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2021年8月27日 (金)

見出しに見る勘違い(その751)

「【寄稿】韓日関係,『善くないサマリア人』と共存する知恵を学ぶ時だ」  2021/8/26 中央日報・日本語版
    ‘ソウル地下鉄3号線の安国駅5番乗り場の前に立って列車を待つときはいつも複雑な思いを抱く。5番乗り場のスクリーンドアには抗日詩が貼られているが,作者は李奉昌義士だ。その最後の部分は「倭人を屠殺しよう」という内容だ。屠殺は肉屋で牛や豚を刃物で切って分けるという意味だ。なぜこのような詩をここに貼っているのか気になった。管轄部署に尋ねたところ「倭人(日本)大使館に行くには安国駅で降りなければいけないため」「安国駅一帯が独立運動の街であるため」という説明を聞いた。
  ・・・これは文明国家がすることではない。・・・
   111年前の1910年8月27日,韓日併合条約署名の前後の朝鮮は,自分たちも気づかないうちに日本に染まりつつあった。親日を犯しながらもそれが親日かどうかも知らずに慣れていった。1926年の李完用の葬儀では行列が十里も続き,高宗の国葬以降で最も大きな規模だった。愛国志士には本当に申し訳ない話だが,その時代の韓国人は帝国大学を卒業し,高等文官試験に合格して郡守や判事に出世し,タクシーに乗って鍾路の和信百貨店でショッピングをする人を羨んだ。
  ・・・
我々は親日の黒歴史の清算を叫びながら,親日派として乙巳5賊(李完用・朴斉純・李址鎔・李根澤・権重顕)と丁未7賊(李完用・任善準・趙重応・李秉武・李載崑・宋秉畯・高永喜)を挙げる。もちろん彼らが歴史に犯した罪の赦免を受けることはできない。ところが彼らが亡国のすべての原因を招いたのではない。
   反日を叫んだ人たちが果たして当時の事態を正確に直視したのかも疑わしい。例えば金九が「日帝時代に国内に残っていた人はすべて親日派だったため,全員監獄に行くべき」と主張した時,呂運亨はあきれて「国内派民族主義者の苦痛を知らない言動」と反発し,金九との提携をあきらめた。
  ・・・
日帝の滅亡を早くから感知した親日財閥はそれぞれ家1軒ずつを用意して当代の実力者を訪ねて泣訴し,救命運動を展開することを談合した痕跡がみられる。そのような汚れた財産は「受けるのにふさわしい」ものではなかった。こうした点で見ると,我々はすべて罪人であり,亡国の責任者だ。今の親日論争は「先に生まれた者の悲しみと遅く生まれた者の幸運」がもたらした葛藤だ。

解放政局はもちろん,現代史を合わせて親日論争の最も大きな被害者は李承晩だろう。公敵が必要であり,復讐心に燃える人たちに親日は李承晩に濡れ衣を着せる口実として利用された。しかし厳密にいうと,李承晩の初代内閣で閣僚13人のうち親日に分類できるのは2人だけだった。それでも反李承晩系列が李承晩と韓民党を親日に追い込んだ際,直ちに反撃しなければ立ち場を失うことを李承晩陣営はよく知っていた。米軍政で警察総帥を務めた趙炳玉が反撃の先鋒に立った。彼は政界の人たちの親日に精通していたため話せることが多かった。それで出てきた論理が「親日は生きていく中で犯したことだった」というものだ。

今のこの時代の持つ者のうち・・・「我が家は本当に天を仰いで一点も恥じるところがない」と言える家はいくつあるだろうか。奴婢と火田民を除けばそれほど多くはないはずだ。同時にその9族のうち愛国者がいない一族もほとんどない。きまり悪いが、我々はその時代をそのように生きた。

また国難を迎えれば我々は祖国のために死ぬことができると全員が言えるだろうか。率直にいって筆者も完全にはそうできない。巨大な国家暴力の前で一個人が抵抗することは容易なことではなかった。興亡盛衰を経験しながら義士がいなかったこともなかったが,歴史的に愛国者があふれる時代もなかった。こうした点で見ると,我々は亡国の原因を数人の親日派に負わせることで亡国という巨大談論を希釈した。
  ・・・
  人種差別問題の権威者,英国のアンドリュー・リグビは「過去の清算は政敵を引っ掻くものではいけない」と力説した。領土もなく国家もなく国民もない状況で一個人が憂国的な気概だけで抗戦するのは限界があった。こうした論理が亡国の責任者に免罪符を与える論理になってはいけないが,敵の治下で4年間過ごした反逆者を処理できなかったフランスとはケースが異なる。昔から巨富は亡国の瞬間や残酷な戦争を踏んで現れた。したがって我々は亡国を招いた彼らの罪状を歴史に記録しておくこと以外に方法はない。我々は過去を抱えて暮らし、過去と共に進む方法を学ばなければいけない。
  ・・・
国別の物価を反映したビッグマック指数でみると,韓国が日本よりはるかに豊かな暮らしをする。もう「日本コンプレックス」から抜け出してもよいということだ。
  ・・・
なら今後,韓日関係をどう維持していくべきなのか。「合意は守られなければならない」というラテン語の格言を見てみよう。現在の政府と路線が異なる過去の政府が約束したものなので守ることはできないという論理は「下之下策」だ。日本の右翼は「それでも国か」と批判し,さらに命脈を維持してきた日本国内の少数の知韓派知識人までも離脱させたのは文在寅政権の責任だ。
   柳成龍の『懲毖録』によると、朝鮮初期の「現実主義外交の達人」と呼ばれた申叔舟が1475年に落命する際,成宗が都承旨を派遣して「卿が私に最後に残す遺言は何か」と尋ねた。申叔舟は「日本と対立しないでほしい(不失和日本)」という言葉を残して目を閉じた。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を100年余り先にした時期だった。中国が急浮上した21世紀に安全保障を考えると,申叔舟の遺言は依然として韓日関係に有効だ。過去への行き過ぎた執着も,過度な期待も失望も,一喜一憂も正解でない。あきらめることはあきらめて「善くないサマリア人」と共に暮らしていく方法を学ぶべきというのが我々の宿命的な課題ということだ。 シン・ボクリョン/元韓国政治外交史学会長/元建国大客員教授 ’ と書いています。

  認識に違いはありますが,韓国人の立場としての内容は それほど悪くありません。
しかし,タイトルからは著者,あるいは韓国人の歪んだ精神が見えます。
日本の韓国との共存は韓国しだい,どちらでもいい話です。まともな国になるかどうかを見守るだけです。

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