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2021年9月 8日 (水)

ジャン=ポール・ベルモンドさん 逝去。

1960年代,フランス映画が日本でもかなり公開されていた頃,アラン・ドロンと並んでジャン=ポール・ベルモンドがフランス男優の双璧でした。(私は「モーリス・ロネ」,「ロベール・オッセン」が好きだった。)
その ジャン=ポール・ベルモンドさん逝去のニュースが 7日朝から続きました。

BBC Newsが Sept.6, 2021付けで報じています。
下記,拙訳・転載します。

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French film great Jean-Paul Belmondo dies at 88
フランス映画の偉大なジャン=ポール・ベルモンド,88歳で死す

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(ジャン=ポール・ベルモンドの壊れた(battered)顔,無駄のない(laconic)スタイル,そして悪戯っぽい(roguish)笑顔が,1960年代のフランスの若者の想像力を捉えた。)

パリの自宅で88歳で亡くなったベルモンドは,ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)監督の1960年の映画の名作,『勝手にしやがれ(A Bout de Souffle)』に代表されるフランス映画のニュー・ウェーブのクールな反逆者(rebel)だった。絶望的な泥棒とハンフリー・ボガートのファンとしての彼の物悲しい(moody)パフォーマンスは和音を打ち,彼がフランスの(Gallic)ジェームズ・ディーンと呼ばれた。その後,彼は,ドラマの中のコメディーの家のように,芸術映画が非常に資金力のある商業俳優になることを諦めた。

ジャン=ポール・ベルモンドは,193349日,パリ郊外のヌイイ・シュル・セーヌ(Neuilly-sur-Seine)で,多くのパリの公園を飾る彫刻家ポール・ベルモンドの息子として生まれた。彼の養育(upbringing)時の強烈なボヘミアンな雰囲気は彼の成長に影響を及ぼした。

彼は学校で失敗し,アマチュア・ボクサーになった。彼の短命のキャリアの中で,彼は演技に集中することをあきらめる前に23試合で15勝していた。

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(『勝手にしやがれ』が彼の最初の主役映画だった)
(*管理者:右は ジーン・セバーグ(Jean Seberg),この2年前の『悲しみよこんにちは(Bonjour tristesse)』でのセシール・カットのまま。)

しかし,彼のトレードマークであるへしゃげた(bumpy)鼻は,リングではなく学校の遊び場での喧嘩の結果だった。地方の(provincial)劇場で舞台に出演した後,彼の映画への再登場は,マルセル・カルネ(Marcel Carné)監督の1958年の映画「危険な曲り角(Les Tricheurs)」でラズロの役を演じた。彼の力強い個性の強さで,彼は「勝手にしやがれ」で最初の主役を与えられた。ある批評家は彼を「うっとりさせる(bewitchingly)醜い男」と表現した。彼のカルト・イメージは,‘Les Distractions’ や ‘La Noviceなどのいくつかのアクション映画を通して印象付けられた。

Flying grandpa
空飛ぶおじいちゃん

固定観念(stereotyped)にとらわれないことを決意したベルモンドは,1961年のヴィットリオ・デ・シーカ(Vittorio de Sica)監督の『ふたりの女(La Cioclara)』のイデオロギー知識人や,翌年のフィリップ・ド・ブロカ(Philippe de Broca)監督の「大盗賊(Cartouche」の若い田舎司祭など,より骨の折れる(demanding)役も受け入れた。

彼はまた,ゴダールの 『女は女である(Une Femme est une Femme)』,特にド・ブロカの 『リオの男(L'Homme de Rio)』での,温厚な(suave)うろたえない(unflappable)シークレット・エージェントの役など,コミックな演技を楽しんだ。

60年代半ばまでに,彼は完全に商業の主流に切り替わって,彼自身の制作会社である‘Ceritoを設立した。

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(彼はフランス映画の長老指導者(statesman)としての役割を楽しんだ(relished))

彼は1965年の『カトマンズの男(Les Tribulations d'Un Chinois en Chine)』などの映画で自分のスタントを演じたが,1985年の映画『ホールド・アップ(Hold-up)』での事故の後,このスタントをあきらめた。彼は,『パリは燃えているか(Is Paris Burning)』(1966),ジェームズ・ボンドのパロディー(spoof)『カジノロワイヤル(Casino Royale)』(1967),アラン・ドロンと共演したギャング映画『ボルサリーノ(Borsalino)』(1970)などの国際的な映画製作で多くのオールスター・キャストを輝かせた。

彼は「私はフランス映画の空飛ぶおじいちゃんになりたくない」と主張してアクション映画から離れた。
1987年,ベルモンドは30年近くぶりに舞台に戻り,残りのキャリアでは 仕事を演劇と映画に分けた。

2年後,彼は『ライオンと呼ばれた男(Itineraire d'un Enfant Gate)』での演技で,フランスのオスカーに相当するセザール賞(Cesar)を受賞した。

彼は1995年に ヴァルダ(Varda)監督の国際映画 『百一夜(Les Cent et une Nuits de Samon)』へのオマージュでのアンサンブルの一部として,また同じ年にクロード・ルルーシュ(Claude Lelouche)監督の ‘レ・ミゼラブル’ の再制作でのジャン・ヴァルジャン役として創造的に分岐した。

ジャン=ポール・ベルモンドは1965年に最初の妻エロディーと離婚し,コンスタンティンとの2度目の結婚も失敗した。彼は後に,女優のウルスラ・アンドレス(Ursula Andress)や ラウラ・アントネッリ(Laura Antonelli)と長い付き合いがあったと語った。。

国内外の映画館の観客は彼の魅力に惹かれ,画面上で起こっているどんな不条理(absurdities)も無視しているように見えた。 彼はエンパイア誌によって映画史上最もセクシーなスター100人の1人に選ばれた。
(転載了)

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かつては多かったフランス映画やイタリア映画が日本で公開される機会が減ったようです。
そもそも フランスやイタリアの俳優が分かりません。ハリウッド映画には出ているようですが・・・。

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