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2021年9月 8日 (水)

スティーブ・マックイーンのいろいろ・・・。

1970年前後の20歳頃,着るものへの影響が大きかった三つを挙げるとするなら,雑誌 「MEN’S CLUB」,俳優 ポール・ニューマン(Paul Newman, 1925 - 2008),そして スティーブ・マックイーン(Steve McQueen, 1930 - 1980)でした。
スティーブ・マックイーンに関して ‘Gentleman’s Gazetteのサイトに “How to Dress Like STEEVE MCQUEEN” (どのように スティーブ・マックイーンのように着こなすか)というタイトルの記事がありました。
着こなしのみでなく 彼の生涯について書いています。下記,拙訳・転載します。

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あなたは古い映画のファンかもしれないし,そうでないかもしれないが,あなたが時代を超えてファッションのファンなら,あなたはほぼ間違いなくスティーブ・マックイーンの楽な(effortlessly)クールなスタイルのファンに違いない。60年代と70年代に幅広いジャンルの映画に出演したことで,彼は才能とスタイルの両方でその時代の象徴(icon)となっている。

今日は,ハリウッドで最も不朽のスターの1人のキャリア,伝説,スタイルを詳しく見ていこう。

Steve McQueen’s Early Years
スティーブ・マックイーンの初期

彼の武骨な(rugged)グッド・ルックス,クールな男の評判,そして後年のハリウッドでの成功にもかかわらず,スティーブ・マックイーンの若さと初期の時代は苦労(struggle)で象徴される(punctuated)。スティーブ・マックイーンとして知られる俳優は,実際,生まれつきの「スティーブ」ではなかった。

大恐慌の夜明けに1930年にテレンス・スティーブン・マックイーンとして生まれた彼は,母親に見捨てられ,8歳まで祖父母と叔父にミズーリ州の田舎の農場で育てられた。彼の叔父は,彼が好きな思い出を持っていた子供時代の数少ない大人の一人だった。その後,彼は母親と継父と一緒に暮らすようになったが,身体的に虐待された。

失読症(dyslexia)と片方の耳の部分的な難聴も,彼の若いときのあまり知られていない不幸だった。10代の頃,マックイーンは路上生活,母親の家,叔父の農場の間を行き来していた。彼の人生は殴打(beatings),反抗(rebelliousness),軽犯罪(petty crime)に代表され,最終的には少年の家(boy’s home)であるカリフォルニア・ジュニア・ボーイズ・リパブリックに送られ,16歳までそこで生活した。その施設はマックイーンに大きな影響を与え,彼は人生の残りの間,施設を支援し続けた。

マックイーンは最終的に海兵隊に入隊した。この4年間の経験は,当然のことながら権威への反抗に満ちていた。多くの擦り傷,降格,さらには1ヶ月間,営倉(brig)にいた後、マックイーンは海兵隊の規律を犯し,最終的には任務期間への肯定的な思い出と共に名誉除隊された。

Hollywood Film Career
ハリウッド映画のキャリア

1952年までに,マックイーンはGI Bill資金(退役軍人資金)で演技の勉強をすることを決めた。彼はオートバイ・レースによって収入を補い,出場の初期の頃から しばしば優勝した。1955年に彼はハリウッドに移り,そこで映画やテレビの端役を始めた。

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1950年代を通じて,マックイーンはテレビで着実に活動し,賞金稼ぎを演じたシリーズ「拳銃無宿(Wanted: Dead or Alive)」で最高潮に達した。マックイーンの最初の映画への大きなブレイクは,1960年代初頭,フランク・シナトラに他ならぬ才能を発見されて,映画「戦雲(Never So Few)」で小さな役を与えられたときだった。これはすぐにヒットしたことが証明された「荒野の七人(The Magnificent Seven)」の役につながり,監督は1963年に「大脱走(The Great Escape)」で彼を再びキャスティングした。彼の映画のキャリアは,ほぼ20年間で,ほぼすべてのジャンル(genre),スタイル,キャラクター・タイプに及んだ。

彼の個人的な生活の中で,マックイーンの反抗的(rebellious)で負けず嫌いの(competitive)性格は生涯の連れであることが証明された。彼は有名な監督や共演者と対立し(antagonistic),ポール・ニューマンを彼の仕事のライバルと見なしていた。マックイーンは,彼とニューマンで,どちらが最高の出演料を受け取るかについて合意できず,「明日に向って撃て!Butch Cassidy and the Sundance Kid)」の出演を譲った(passed)。

彼はまた,「ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany’s )」,“Ocean’s 11”,“Dirty Harry” での役を逃した。スケジュールのかぶりが原因である場合もあれば,マックイーンの個人的な気まぐれ(whims)が原因である場合もあった。

彼は3回結婚し(2番目の妻は女優のアリ・マッグローで,友人は彼の本当の愛だったと主張した),彼のキャリアの過程でハリウッドの他の多くの女性や女優とつながりがあったが,最初の妻との間に2人の子供がいた。彼は 重度の麻薬使用者(prolific drug user)であり,喫煙者であり,そして飲酒者だった。彼のレースへの愛情は衰えることはなく,彼は自分の映画で自分のスタントを運転して行うあらゆる機会を熱心に受け入れた。彼は最終的に130台のオートバイのコレクションを所有していた。

1980年,50歳の若さで,スティーブ・マックイーンは,アスベスト曝露(asbestos exposure)に関連する癌の一種である胸膜中皮腫(pleural mesothelioma)で亡くなった。マックイーンは,それが海兵隊時代のアスベストへの高い曝露に起因すると信じていた。

McQueen’s Notable Films
マックイーンの注目すべき映画

The Great Escape (1963)
大脱走

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大脱走でのバージル・ヒルツ大尉としてのスティーブ・マックイーンの役は,ハリウッドでの彼のスターの地位を確固たるものにした。マックイーンは映画の最も重要なパフォーマンスと見做されたが,共演者には,すでにスターであったリチャード・アッテンボロー(Richard Attenborough)とジェームズ・ガーナー(James Garner)が含まれていた。

この映画は,現在のポーランドにある捕虜収容所での連合国の捕虜の脱出の試みを描いている。映画は実際の出来事に基づいているが,物語はドラマと脱出のサスペンスを高めるためにスクリーンでは大きく脚色された。ある有名なシーンで,マックイーンのキャラクターがバイクで高い柵を飛び越える; 実際には起こらなかったスタントは,熱心なモーター・サイクリストだった彼自身が要求して実現した。

この映画は商業的かつ批評面で成功を収め,今日でも映画の古典と見なされている。

The Sand Pebbles – nominated for an Academy Award (1966)
砲艦サンパブロ -アカデミー賞ノミネート

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スティーブ・マックイーンの一連の作品であまり知られていない映画である「砲艦サンパブロ」は,それがマックイーンにとって アカデミー賞のノミネートを獲得した唯一の役であったという点で注目に値する。

この架空の物語は,1920年代に中国の長江(Yangtze river)をパトロールしている「サンパブロ」と呼ばれる海軍の船に乗った反抗的な海軍の機関部員(machinist’s mate)を中心に展開する。中国は革命の真っ只中にあり,船と乗組員は緊張し,進行する政治情勢と個人的な絡み合いを乗り越えなければならず,中立を維持することはほとんど不可能だった。長期にわたった撮影は悪天候,地方自治体の紛争,病気,設備の問題が一杯で,撮影中に人生の罪の代価を払わされたとマックイーンが語ったと言われた。

The Thomas Crown Affair (1968)
華麗なる賭け

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「華麗なる賭け」の1968年版がこれまでに作られた中で最もスタイリッシュな映画であると考える人もいる。

スティーブ・マックイーンが見事に演じた,退屈な億万長者のトーマス・クラウンは,「完璧な」銀行強盗(bank heist)を組織することで自分を楽しませている。フェイ・ダナウェイが演じる保険調査員が強盗を調査するために派遣され,彼女はすぐに彼が犯人であると疑う。その後、つばぜり合い(game of cat and mouse)が続き,マックイーンとダナウェイのキャラクターは,相反する目標にもかかわらず,ロマンチックに絡み合う。

もともとこの映画はショーン・コネリーに提供されたが,スティーブ・マックイーンの独りよがりの(smug)自信と軽快な(dapper)スタイルにより,映画のような勝利を収めた。

Bullitt (1968)
ブリット

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ブリットは,批評家の称賛と商業的成功の点でマックイーンの最も有名な映画の1つだった。この映画は彼の車と運転への愛情を物語っている。

物語は,マックイーンの,型破りの(maverick)巡査部長であるフランク・ブリットが,ギャングの離反者であるジョニー・ロスを組織犯罪に関する公聴会で法廷証人(star witness)として呼ばれる前に,報復から守るために担当したところから始まる。暗殺が試みられ,一連の隠蔽,その他の紆余曲折(twists and turns)を通じて,観客は劇的な結論に導かれる。この映画は,ロケで広範囲に撮影し,当時の警察小説の詳細をリアルに描写したことで有名である。

そうは言っても,ブリットで最も記憶に残るシーンはカーチェイスであり,このシーンでは,ブリットの「フォード・マスタング」がサンフランシスコの通りを2人の殺し屋の「ダッジ・チャージャー」を追いかける。このシーンは,映画の最高の古典的カーチェイスの1つと見なされており,ロケ地での撮影には3週間近くを要した。

現代のカーチェイスに比べると遅いように見えるかもしれないが,当時は,確かに画期的(ground-breaking)だった。マックイーンは,映画で運転した「1968 390 V8フォード・マスタングGTファストバック」を何年も購入しようと無駄な努力をし,成功しなかった。それにもかかわらず,「ブリット」は 明らかにスティーブ・マックイーンの最も象徴的な作品の1つである。

Steve McQueen’s Signature Style
スティーブ・マックイーンの特徴的スタイル

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スティーブ・マックイーンは,必要な(requisite)ワードローブがなければ,“King of Coolというニックネームは付けられなかった。スティーブ・マックイーンは,カジュアルな作業服,洋服,スリーピースのスーツをすべて同じように本物のように見せながら,それらすべてを脱ぎ捨てることができた - そのような範囲を持っている男性は多くない。

彼は最も有名なルックスのスタイル・ギャラリーを熟読した(perused)すべての人の羨望である,特定のさりげない(nonchalant)自信を揺るがす。彼は,身に着けるものすべてが見栄えが良かった幸運な,数少ない男性の一人である。

スティーブ・マックイーンのスタイルの最も優れた点は :彼の見た目はほぼすべてスタイリッシュになる,そのため,時代遅れに見えることを少し気にすることなく,彼の美学からインスピレーションを引き出すことができる。

Why Steve McQueen’s Style Worked For Him
スティーブ・マックイーンのスタイルは 何故,有効だったか

スティーブ・マックイーンのスタイルがうまく機能し,あなたにも影響を与える多くの理由のいくつかを次に示す:

彼はクラシックでシンプルな見かけを保った。スティーブ・マックイーンが複数のアクセサリーや柄を身に着けているのを目にすることはめったにない; 彼は,当時のトレンドを追いかけず,クラシックなカットで,うまく組み合わされたソリッド(無地)にこだわっていた。彼の映画のキャリアは60年代と70年代にピークに達したが,大胆なプリントのジャケットやベルボトム・パンツなど,当時のトレンドを受け入れ(embrace)なかった。その結果,彼は写真では時代を超越し,時代遅れにさえ見える。マックイーンはアクセサリーも慎重に選んだ,そして彼の「ロレックス・エクスプローラー II Ref 1655」または「サブマリーナー Ref 5512」の時計,または単一の印章指輪(signet ring)はしばしば彼の唯一のアクセサリーだった。

彼のフィット感は的確(spot-on)だった。明らかに念入りな(fussy)仕立てのものではなかったが,マックイーンが着たものは何でも彼によく合った。シャツはタイトすぎなかった;パンツはストレートでスリムだが,タイトすぎなかった。

彼はレイヤー(重ね着)をマスターしていた。マックイーンはジャケットの大ファンで,ハリントン(Harrington),ボンバー(bomber),オートバイのジャケットなどのクラシックなジャケットを効果的に使用していた。彼はスリム・フィットのセーターの上にそれらを着て,最終的にそれらは彼の最も識別可能な(identifiable)スタイルの定番の1つになった。

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彼は自分に何が似合うかを知っていた。 彼の反抗的な性格は当時のトレンドを拒絶する役割を果たしたかもしれないが, ‘Persol’ や ‘Aviatorのような ‘tear-shaped’ のサングラスなど,自分に似合うものを見つけて,固執した(stuck)。

How to Get Steve McQueen’s Signature Look
スティーブ・マックイーンの特徴的着こなしを手に入れる方法

スティーブ・マックイーンの楽な(effortless)クール・ガイ・ルックの重要な要素を再現する(replicate)には,次の手順を実行する:

カジュアルに保つが,カジュアルすぎないようにする。スティーブ・マックイーンは本質的にダンディではなかったが,決してスロブ(slob,無精者)ではなかった。60年代と70年代には,カーキ・パンツ(khakis)はカジュアルで,彼は撮影していない限り,運動着(gym clothes)姿を見ることはなかった。 彼のスタイルを見習う(emulate)ために,服の選択をほどよくフィットし(well-fitting),シンプルで,そしてカジュアルに保とう。

あなたがスーツを着るなら,悔いが残らないようにしよう(make it count)。スティーブ・マックイーンのコア・スタイルは,よりカジュアルだが,スーツを着るときは真剣に受け止めた。彼のスーツはよくフィットするよう仕立てられており,彼はすべての細部を明確に考慮した。

シンプルなレイヤーの上にジャケットを重ねる。薄いセーターの上のジャケットは典型的な(quintessential)マックイーンの選択であり,その組み合わせはほとんどの男性によく似合う。

特徴的なサングラス(shades)を見つける。Persolsではないかもしれないが,それがあなたに似合うならば,古典的なフレームを着け続けることを躊躇しないこと。

セーターとカーキ・パンツを保持する。セーターとチノパンは素晴らしいカジュアルなワードローブのバックボーンであり,クラシックなカットでは,今後何年にもわたって見栄えがする。

クラシックな時計に投資する。マックイーンはロレックスとタグホイヤーの時計を特に好み,それらは彼のスタイルとうまく調和していた。 あなたの美学に合った素晴らしい時計を見つけてください,そしてそれは価値のある投資になると思う。

Conclusion
結論

スティーブ・マックイーンの個人的および職業的生活には,必ずしも「紳士的」とは見なされない側面が確かにあるが,彼の印象的な映画でのパフォーマンス,クールで楽なスタイルの彼の否定できないコマンドは,これらの両方の分野での彼の影響力がすぐに忘れられないものであることを意味する。

(転載了)
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亡くなって 40年以上経って,尚 影響がある俳優です。

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