ファッション・イラストの第一人者,穂積和夫氏について,5年前,米国のサイトが書いていた。
穂積和夫氏(1930~ )は東北大学 工学部建築学科を卒業した,ファッション・イラストレーターの第一人者で,ファッションの他にも 車,小説挿絵,ポスター,時代建築など幅広く,品のある絵を描きます。
氏について,米国のファッション・サイト ‘IVY STYLE’ が,MARCH 24, 2016付けで-
“Japanese Ivy Artists: Part One, Kazuo Hozumi”
(日本の アイビー・アーティスト:パート1,穂積和夫)
と題する記事を掲載していました。
下記,拙訳・転載します。
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アイビー・リーグ・ファッションが1960年代の初めに日本で最初に登場したとき,それは日本のルーツにない完全に異質な文化(alien culture)だった
アパレルメーカーのVAN Jacketとそのメディア・パートナーであるファッション雑誌の「メンズクラブ」は,より広い文化的背景の中でアイビー・スタイルの威光(majesty)を示すことにより,日本の消費者を魅了する必要があった。しかし,ニュー・イングランドのキャンパスのように見える場所が東京にほとんどなければ,雑誌は読者をアイビーの世界(universe)に連れて行くために写真だけに頼ることはできなかった。代わりに,ファッションを披露するだけでなく,スタイリッシュなビジュアルなテキストを覆い隠すために,イラストを通して世界観全体を構築した。「メンズクラブ」は,各号でアーティストがやりたいことを自由に行えるようにし,今日に至るまで象徴的なビジュアルを残している。
それで,穂積和夫、大橋歩,小林泰彦という,その時代の真のパイオニアとして際立った最初の3人のアイビー・アーティストを見るのは良いことだと思った。
穂積和夫(1930年生まれ)は東京で裕福な歯科医に生まれたが,米国が日本の銃後(home front)を爆撃し始めると田舎に疎開した。彼は次の20年を北東部の都市・仙台で過ごした。4人兄弟の4人目である穂積は子供の頃に絵を描くことを楽しんでいたが,イラストは「本当の仕事(real job)」とは見なされていなかったため,彼は最も近い,社会的地位がある(respectable)同等物である建築を勉強し続けた。穂積は大学を卒業後,東京の建築事務所を就職したが,すぐにその仕事に飽きてしまった。絵を描くことへの情熱を追い求めて必死になっていた彼を新しいファッション・イラストレーション・クラスの最初の学生に招いた,彼のヒーローである長沢節に手を差し出した。
「メンズ・クラブ」の前身である「男の服飾」が1954年に登場したことで,穂積はメンズ・ファッションのイラストで将来のキャリアパスを見た。長沢はVAN Jacketの石津謙介に穂積を紹介し,第4号から穂積が雑誌の主なイラストレーターになった。これまで,ファッション・イラストはストーリーで言及された衣料品を示す機能図として主に登場していたが,穂積のリーダーシップと創造性の下で,雑誌の線画はアートとして高く評価されるようになった。穂積は,「エスクァイアとプレイボーイを読んでインスピレーションを得てから,「メンズ・クラブ」の人々に「このようなフルカラーのページを作りたい」と話した。そして,彼らは私を許してくれるだろう。彼らは一度も私に何を描くべきか教えてくれなかった。彼らはただ,ここにカラーページがある,あなたがやりたいことをしてくださいと言うだろう。」
穂積は多才で才能のあるアーティストとして雑誌に登場したが,毎月必要なイラストの数が非常に多いため,スーツを着た男性のシャープでモダンな線画から,漫画のような曲線美の女の子,華やかな19世紀のパロディーまで,非常に多様なスタイルを試す必要があった。「しばらくの間,私は唯一のイラストレーターだった。 クレジット・ページと編集者のページを見ると,私はそれらすべてのカットをしなければならなかった。」 多様性が唯一の答えだった。「それらがすべて同じに見えると私は退屈するだろう,そして私はまた読者が退屈するだろうと思っていた。」
「メンズ・クラブ」 で働いている間,穂積はアイビー・リーグの服に恋をし,彼と仲間のセツの学生である くろすとしゆきは,「トラディショナル・アイビー・リーガーズ」というクラブを設立した。くろすは後にアイビー・クロシングの立ち上げを手伝うためにVAN Jacket に行き,穂積はVAN Jacketの広告のイラストを描くことになった。穂積は主に絵で知られるようになったが,「メンズ・クラブ」に Ivy VIPとしても頻繁に現れ,VANのイベントやパーティーでいつでも見つけることができた。これにより,ブランドの外部で,独立したアイデンティティを確立することが困難になることがよくあった:「誰もがいつも私をVANの従業員と混同していた。」
しかし,実は,石津謙介と良い友人だった。」
穂積の最も象徴的な作品は,彼がグループ展に作品を提出するように依頼された1963年に登場した。
穂積は,サムライのラインナップをさまざまな服装の14種類のアイビー・リーガーに置き換えた見せかけの(mock)の木版画を作成した。すべてのキャラクターは同じ顔をしていて,丸い頭,バラ色の赤い頬,そして巨大な笑顔があり,「アイビー・ボーイ」(アイビーボーヤ)として知られるようになった。陽気な性格(cheery personality)は,穂積自身の性格によく似ている:「緊張して,神経質(neurotic)で、怖い絵は好きではない。シンプルで健康的で幸せなキャラクターが好きだ。」
穂積は,広告として使用したVAN Jacketにポスターを贈り,その後,そのキャラクターは「メンズクラブ」に頻繁に登場した。1980年代に,穂積はそれを独自のIvy Illustratedシリーズの本に載せ,この10年間で,キャラクターは‘Free&Easy’ の表紙を飾ることがよくあった。
穂積は今も活躍するイラストレーターであり,さまざまな媒体で活躍している。
彼はまた、「着るか着られるか」(1964)や Charles Hicksの1981年の ‘DressingRight:A Guide for Men’( DressingRight:男性のためのガイド)の日本語訳など,メンズ・ファッションに関する多くの本を執筆している。 — W.デイビッド・マルクス
David Marxは,東京を拠点とするハーバード大学の卒業生であり,‘Ametora:How Japan Saved American Style’ (AMETORA―日本がアメリカン・スタイルを救った物語)の著者である。
(転載了)
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下のポスター,カレンダーのイラストも穂積氏の作品です。
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