シドニー・ポアチエの逝去をBBCはこう伝えた。
シドジー・ポアチエ(Sidney Poitier,1927~ ),アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身の映画俳優,監督。黒人俳優としての先駆者的存在で,黒人としては初めてアカデミー主演男優賞を受賞,KBEを与えられた -が,1月7日 バハマで死去したと伝えられました。
現在は,私が名前を挙げられるだけでも モーガン・フリーマン(Morgan Freeman,1937~ ),サミュエル・L・ジャクソン(Samuel Leroy Jackson,1948~ ),デンゼル・ワシントン(Denzel Washington,1954~ ),エディ・マーフィー(Eddi Murphy,1961~ ),ウィル・スミス(Willard Smith,1968~ ),ジェイミー・フォックス(Jamie Foxx,1967~ )など 多くの黒人俳優が活躍していますが,1960年代のアメリカ映画の主役級,かつ,名前を知っている黒人俳優は シドニー・ポアチエしかいませんでした。
私が 初めて見た彼が出演した映画は1958年,小学4年生の時の,トニー・カーティス(Tony Curtis, 1925~ 2010)と共演した「手錠のままの脱獄(The Defiant Ones)」でした。2本立てのもう一本の映画の記憶はありません。(ひょっとすると メキシコ映画「獣人ゴリラ男」?)誰と見たのか,一人だったのか(私は小学生のときから 一人で映画を観に行っていた。中学校には許可映画と保護者同伴の規則ありー守ってなかったが。小学校には規則なし。),その記憶もありません。
‘BBC’ 電子版は この訃報を次のように伝えています。
(下記,拙訳・転載します。)
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‘BBC’ Jan.7,2022
“Sidney Poitier: Hollywood trailblazer dies aged 94”
「シドニー・ポワチエ:ハリウッドの先駆者が94歳で死去」
アカデミー主演男優賞を受賞した最初の黒人であるシドニー・ポワチエが,94歳で亡くなった。ハリウッド・スターの死は,バハマの外務大臣であるフレッド・ミッチェルの事務所によってBBCに確認された。ポワチエは先駆的な俳優であり,尊敬される人道主義者(humanitarian)であり外交官だった。 彼は1963年に「野のユリ(Lilies of the Field)」で最優秀男優賞のアカデミー賞を受賞した。
元米国大統領バラク・オバマは,ポワチエは「尊厳(dignity)と優雅さを象徴した(epitomised)」そして「並外れた才能(singular talent)」を持っていた,と語った。彼は,ポアチエが「我々を互いに近づける映画の力」と「俳優の世代への扉を開いた」ことを明らかにした俳優であると付け加えた。
米国のブロードキャスターでジャーナリストのオプラ・ウィンフリーも,「私にとって 『偉大な木』の最大のものが倒れた」と賛辞を送り,ポアチエは「私が永遠に大切にする(cherish)巨大な魂を持っていた」と付け加えた。
マイアミで生まれたポワチエは,バハマのトマト農場で育ち,16歳でニューヨークに移り住んだ。彼は軍隊での短い任務(stint)に従事し(signed up),1950年代と60年代に舞台とスクリーンのスターになる途中で(en route to),演技のレッスンを受けながらいくつかの奇妙な(odd)仕事をした。
Obituary: Sidney Poitier
死亡記事:シドニー・ポワチエ
ポワチエはハリウッドで人種の壁を打ち破った。1958年に「手錠のまゝの脱獄(The Defiant Ones)」に出演したことで,彼は初めてオスカーにノミネートされた - それ自体が,当時の先端の分野(lead category)の黒人にとって歴史的な業績だった。5年後,彼は1つ前進し,「野のユリ(Lilies of the Field)」の栄光を手に入れた。そこで,彼は,ドイツの修道女が砂漠に礼拝堂を建てるのを手伝う便利屋(handyman)を演じた。金曜日のライブFacebookストリームで,バハマの首相であるフィリップ・デイビスは,「私たちのバハマ全体が悲しんでいる。しかし,私たちが嘆き悲しんでいるときでさえ,私たちは偉大なバハマ人の人生を称賛する(celebrate)」と述べた。彼は次のように付け加えた。「彼の性格の強さ,立ち上がって無視されない意欲,そして人生の旅を計画しナビゲートした方法。トマト畑からアメリカでウェイターになった少年,読み書きを独学するだけでなく,言葉や考え,気持ちを表現することをキャリアの中心に据えた青年。」
ポアチエは,米国での人種差別の時代にスクリーンで常連であり,1965年に「いつか見た青い空(A Patch of Blue)」に出演し,翌年には「夜の大捜査線(In the Heat of the Night)」に出演し,続いて「招かれざる客(Guess Who's Coming to Dinner)」で白人婚約者の相手役としての黒人男性を演じた。「夜の大捜査線」で,彼は殺人事件の捜査中に人種差別に直面する黒人の刑事,ヴァージル・ティブス(Virgil Tibbs)を演じた。彼の他の古典的な映画には,ブロードウェイでも上演した「いつか見た青い空」,「暴力教室(Blackboard Jungle)」,「A Raisin in the Sun」などがある。彼は続いて多くの映画を監督し,先月,人生とキャリアについてのブロードウェイの戯曲が発表された。
'Tackled racism head on'
「人種差別に真っ向から取り組む」
‘Empire’ 誌のエイモン・ウォーマンはBBCに次のように語っている:「彼はパイオニアであり,非常に影響力があり,業界の多くの人々が独自の目標を持てる道を開いた。特に,デンゼル・ワシントンは,オスカーを受賞したとき,ポアチエに敬意を表した。」
2002年,ポワチエが名誉オスカーを受賞した同じ夜にオスカーを受賞したワシントンは,冗談めかして言った。「私は40年間シドニーを追いかけてきた,そして彼らは何をしようとするのか - 彼らは同じ夜に彼にそれを渡す。」
ウォーマンは,ポワチエは彼の作品の中で「人種差別に正面から取り組んだ」が,又「非常に不安定(versatile)だった」とも付け加えた。「彼は,オスカー受賞当時の黒人俳優の見方を変えるのに本当に役立った。彼はその期間の最大のスターの1人だった。」
オスカー,エミー賞,トニー賞を受賞した最初の黒人アメリカ人であるヴィオラ・デイビス(Viola Davis)は,「どんな言葉も,あなたの仕事が私の人生を,どれほど根本的に変えたかを説明することはできない」と述べている。
(転載了)
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