「みゆき族」の顛末と日本のファッション黎明。
‘Parisian Gentleman’ のサイトに 服飾に関する書籍について書いた記事 “HOW JAPAN SAVED AMERICAN STYLE (AMETORA), A BOOK BY W. DAVID MARK”(アメトラ:どのように日本がアメリカン・スタイルを救ったか,デビッドマーク著)By Hugo JACOMET,8/4/2017 - がありました。
(*‘Parisian Gentleman’ は,2009年にヒューゴ・ジャコメ(Hugo Jacomet)によって 個人的な日記として作成された。この日記で,彼の服飾の冒険(sartorial adventures)とオーダーメイドの仕立て(bespoke tailoring)と靴作り,・・・ への情熱を共有している。)
下記,拙訳して転載します。
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男性のエレガンスに興味があるなら,おそらく日本の紳士が世界で最も教育を受けた,より粋な(dapper)男性であることをご存知だろう。活況を呈しているオーダーメイドの靴業界(bespoke footwear industry),才能のある靴職人,アトリエを開く多くのオーダーメイドのテーラー,高品質のメンズウェア・ブランドとショップ,クラシックなメンズウェアを専門とする優れた雑誌を擁する日本は,現在の衣服(sartorial)ルネッサンスの原動力の1つである。
しかし,なぜ ? 世界的な衣服ムーブメントにおいて日本が果たしている重要な役割をどのように説明できるだろうか?
ちょうど1年以上前,米国の出版社であるベーシック・ブックス(Basic Books:G. Bruce Boyerの “Real Style” を出版)の広報部(press bureau)から,著者 W.デビッドマークによる「アメトラ:どのように日本がアメリカン・スタイルを救ったか(AMETORA : How Japan Saved American Style)」というタイトルの本を郵送で受け取った。それでも,先週まで 本の内容を吸収するのに時間がかかった。
この非常に興味深く,十分に記録化された本は,古典的な男性のスタイルの現象における日本の現在の役割に関する質問に正確に答える。
今日,私たちは本の紹介の一部をその内容のスニーク・ピーク(sneak peek:チラ見せ)として,そしてうまくいけば,服装の議論へのこの優れた貢献を注文して読むためのインセンティブとして公開する。
“AMETORA/How Japan Saved the American Style by W. David Mark” から-
1964年の夏,東京はオリンピックに向けて何千人もの外国人ゲストを迎える準備をしていた。計画立案者は,延びた(sprawling)高速道路,現代主義の(modernist)スタジアム複合施設,エレガントな西洋料理のレストランを揃えて,第二次世界大戦の灰の中から生まれ変わった未来都市(futuristic city)を示そうとしていた。昔ながらのトロリー・カーが通りから姿を消して,羽田空港から都内に観光客を呼び込む(whisk)ために,洒落た(sleek)モノレールがデビューした。
東京都は,観光客が高級デパートや高級(posh)カフェに引き寄せられる(gravitate)ことを知って,街の最高峰(the crown jewel)である銀座に特別な注意を払った。銀座のコミュニティ・リーダーは,戦後の貧困を連想する可能性があるものを排除し,木製のゴミ箱をモダンなプラスチック製のゴミ箱に置き換えさえした。
これらの清掃活動は,築地警察署の配電盤が必死の電話で点灯し始めた8月まで着実に進んだ。
銀座の店主達が,メイン・プロムナードである「みゆき通り(Miyuki-dori)」に侵入(infestation)があり,警察(law enforcement)の早急な支援が必要だと報告した:奇妙な服を着てぶらぶらしている多くの日本人ティーン・エイジャーがいた!
警察は調査(reconnaissance)チームを現場に送った。そこで彼らは,襟を押さえている珍しいボタンが付いた,厚いしわのある布(thick wrinkled cloth)で作られたシャツ,胸の高いところに余分な3番目のボタンが付いたスーツ・ジャケット,大きなマドラスとタータンの格子縞,縮んだチノ・パンツ あるいは 後ろに丈夫なストラップが付いたショーツ,長い黒のニー・ハイソックス,複雑な(intricate)ブローグ(broguing)が付いた革靴 を身に付けている若い男達を発見した。10代の若者たちは,正確に7:3の比率で髪を分けていた - これは,明らかに 電気ヘア・ドライヤーの使用を必要とした。警察はすぐに,このスタイルが英語の “Ivy” から「アイビー(aibii)」と呼ばれていることを知った。
夏の間,タブロイド誌は銀座のこれらの気まぐれな(wayward)十代の若者たちに対して論じ(editorialized),彼らを「みゆき族」(the Miyuki Tribe)と呼んだ。彼らは家で真面目に(dutifully)勉強する代わりに,一日中店の前をうろつき(loitered),異性のメンバーとおしゃべりをし,銀座の紳士服店で父親が苦労して稼いだお金を浪費した(squandered)。彼らの哀れな(pitiful)両親はおそらくそのグループ(tribal)のアイデンティティについて知らなかっただろう:10代の若者たちは学校の適切な制服を着て家からこっそり出て,カフェのトイレに滑り込んで禁じられたアンサンブル(ensembles)に変わった。メディアは,皇居から天皇の出発を称える通りの名前である「みゆき通り」を「親不孝通り(Oyafuko-dori)」(street of unfilial children)と呼び始めた。
メディアは,みゆき族を彼らの明らかな少年非行(juvenile delinquency)だけでなく,国のオリンピック・プロジェクトの中心を脅かすものとして非難した。1964年の夏季オリンピックは,第二次世界大戦での敗北以来,世界の注目を集める日本初の瞬間であり,国際社会への完全な復帰を象徴するものだった。日本は,外国人観光客に,反抗的な十代の若者たちが通りにたむろしている様ではなく,国の奇跡的な復興の進展を直接見てもらいたいと考えていた。日本の当局は,帝国ホテルにお茶を飲みに出かける(sauntering)米国人ビジネスマンとヨーロッパの外交官達が,ボタンダウンの襟付きの軽薄な(frivolous)シャツを着た不快な(wicked)ティーンエイジャーの醜い光景に出くわすことを恐れた。
一方,地元の店のオーナーは,より直接的な不満を持っていた:毎週末,2千人の10代の若者がウィンドウの表示を覆い隠し(obscured),商取引の道具を台無しにした(gummed up)。戦前の日本の権威主義の(authoritarian)時代なら,警察は最も些細な理由で銀座の怠惰な(derelict)ティーンエイジャーを簡単に逮捕することができただろう。しかし,新しい民主主義の日本では,警察の手は縛り(tied)があった。みゆき族のメンバーを一斉検挙する(round up)法的正当性はなかった。彼らは立ち止まって話をしているだけだった。しかし,警察は店主と同様に,介入(intervention)しなければ,銀座がそのうち「悪の巣(hotbed of evil)」に退化することを恐れた。
そのため,オリンピックの開会式まで1ヶ月を切った1964年9月12日土曜日の夜,10人の私服の刑事(plain-clothes detectives)が銀座の通りを一掃した(ran a coordinated sweep)。彼らは,ボタンダウン・シャツとジョンF.ケネディのヘアカットであれば誰でも止めた。85人の10代の若者が逮捕され,バスで築地留置所に送られ 手続き,説教,取り乱した両親との面会の夜に耐えた。
翌日,刑事は新聞にみゆき族の,たとえば,厚い英語の本のページの中にタバコを隠すなど多くの悪意のある(nefarious)トリックを明らかにした。すべてのメンバーが不正行為をしたわけではない,と警察は認めたが,彼らは「これらの若者を法律侵犯者(delinquents)になることから守る」ために手入れ(raids)が必要だったと感じた。逮捕はまた,10代の若者のファッションへの異常な関心が,男らしさ(masculinity)の危機と相関しているという警察の懸念を確認した。刑事たちは,「女性らしい(feminine)」言葉で話すみゆき族の少年たちに反発した(recoiled)。
これらの反体制的な(subversive)若者を撲滅しよう(stamp out)と決心した警察は,次の土曜日の夜に再び銀座に群がり(swarmed),残りの者たち(stragglers)を捕まえた。彼らの強硬な戦術(hard-line tactics)は成功した:みゆき族はその年の残りの期間,銀座から姿を消し,1964年の東京オリンピックは滞りなく開催された。縮んだ綿のズボン(shrunken cotton trousers)を穿いた日本人のティーンエイジャーの振る舞いの,おかしな(lurid)話を持って帰国した外国人は一人もいなかった。
大人はみゆき族を打ち負かしたかもしれないが,日本の若者はより大きな戦いに勝利したことになろう。1960年代以降,世界中で反抗的な10代の若者が両親や当局をはねつけ(spurned),独自の文化を築き上げ,学生としての狭いアイデンティティから解放された。日本での,最初のそして最も重要なステップは,標準的な問題(standard-issue)の学校制服を彼ら自身のスタイリッシュな服に置き換えることだった。このファッションへの関心はエリート家族の若者の間で始まったが,国の奇跡的な経済成長とマスメディアの爆発(explosion)と並行して大衆に広がった。アイビーによる銀座の奪取(takeover)以来,日本は世界で最もスタイルに拘る(style-obsessed)国としての現在の地位に向けて50年の軌道(trajectory)に乗ってきた。
Copyright © 2015 by W. David Marx,Published by Basic Books, a Member of the Perseus Books Group
(転載了)
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「みゆき族」のニュースは全国的であり,九州の高校生だった我々の耳にも届いていました。
そして その翌年の1965年秋,「みゆき族」騒動から 1年強経過後,高校2年生での関東地方への修学旅行の東京自由行動日,おかしなことをした連中がいました。
ニュースと「平凡パンチ」と想像力で,精一杯の「みゆき族」風の恰好をして「みゆき通り」に出向いたというのです。
勿論,教師がいる本郷の旅館からなので,途中で着替えるにしても,意図する格好に対して,かなり制限があったと思われます。
で,その結果は? 「みゆき通り」に十代の若者の姿は全くなかったそうです。
いずれにせよ,丸刈り頭では 7:3 に分けられない。
1968年から1972年まで学生だった私は,ほぼボタンダウン・シャツを着ており,1971年に入社試験(特に面接)を受ける際,「ボタンダウン・シャツは止めた方がいい」とのアドバイスを誰か(覚えてない)から受けた記憶があります。面接で,よほどおかしなことを言わない限り,筆記試験の出来が悪くても不採用になることはないと言われた指定校だったので,おそらくアドバイスは無視したと思います。
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