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2022年5月23日 (月)

日本のデニムが世界を席巻している。

児島に代表される日本のデニムは 今や,世界的な評価を得た高級品になっています。

ドイツの英文ブログ ‘HIGHSNOBIETY’ に “JAPANESE DENIM: A HISTORY OF THE WORLD'S BEST DENIM”(日本のデニム:世界最高のデニムの歴史)と題する記事がありました。
下記,拙訳・転載します。
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日本のデニムは,デニム愛好家(denim enthusiasts)の間で世界一の評判があり,それには正当な理由がある。それほど長い歴史はないが,日本のデニムはそのプレミアムな構造(construction)とそれを作るために必要な熟練した職人の工芸品(artisanal craft)で知られている。ここでは,日本のデニムの比較的短いが,重要な歴史を探り,今日の評判をどのように獲得したかを発見し,その経過でいくつかの神話を暴く(debunk)。

詳細については,以下をご覧ください。

日本のデニムが他のタイプのデニムよりもはるかに(significantly)優れている理由を理解するには,まずデニムがどのように作られているか,いくつかのデニムが他のデニムよりも人気がある理由を理解する必要がある。
デニムは,‘wefttransverse thread:横糸)’ が 2本以上の ‘warp’ (longitudinal thread:縦糸)の下を通過する綿綾織物(cotton twill textile)である。ジーンズと言って思いつくのは,縦糸(warp)だけを染めるタイプのインディゴ・デニムである。ジーンズをよく見ると,横糸がジーンズの内側と同じように白い色のままであることがわかる。今日 製造されているデニムのほとんどは,天然染料よりも安価で不純物(impurities)の少ない合成染料(synthetic dye)を使用しており,プレミアム・デニムは天然染料を しばしば使用している。

デニムの品質における他の重要な特性(trait)は,デニムが作られている布である。
"self-edge"の面(phase)からの ‘selvage’ または ‘selvedgeは,ジーンズにすると,素材のほつれを防ぐ,生地のロールの自然な端を指す。「セルヴィッチ・デニム」の製造コストは,非セルヴィッチ・デニムの約半分の幅である31インチの幅でしか織ることができず,より多くのスキルと熟練を必要とする古い織機(loom)で織られるため,より高価である。これは,さまざまな欠陥(imperfections)を伴って,より緊密で密度の高い織りにつながる。緑,白,茶色,黄色はそれほど珍しいことではないが,「セルヴィッチ・デニム」は通常,特徴的な(signature)赤いストライプと共に織られている。

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これらの特性の組み合わせにより,各ジーンズに独特の組成(composition)となり,時間の経過とともにより比類のないものになる。真のデニム愛好家は,ジーンズを初めて洗う前に数か月または数年かけることが知られており,これは,最初の洗濯で,各着用者に固有の特徴的な色あせやしわが生じるためである。

世界で11番目に大きな会社であるトヨタ自動車が現れて,未来を凝視する(gaze)まで,ほとんどの生地は低速で非効率的な機械で織られていた。トヨタが世界で最も売れている車を発売する前は,豊田自動織機(‘Toyoda Automatic Loom Works,そう “d” 付き)という名前で テキスタイル織機を製造していた。創業者の豊田佐吉氏は,当時使用されていた他の織機に比べて生産性を20倍に向上させるさまざまな改良の中で,シャトルを停止せずに交換できるなどの新しいイノベーションを備えた「モデルG自動セルヴィッチ織機(the Model G Automatic selvage loom)」を発表した。デニムを作るためにその機械が使われるまでには数十年かかるだろうが,それらは将来に向けた素晴らしく重要な発展だった。

第二次世界大戦まで,ジーンズは労働者階級と非番の米軍兵士(American GIs)に選ばれた衣服だった。
戦後,ジェームズ・ディーンが1955年の象徴的な映画「理由なき反抗(Rebel Without a Cause)」で ジーンズ姿で撮影され,ジーンズは若者の反抗(rebellion)の象徴となった。米国の文化と古着はすぐに日本の若者の間で魅了され,最も起業家精神(entrepreneurially-minded)にあふれたクラシックなアメリカン・ジーンズを最高額で販売することになった。この高い需要と文化の執着と完璧さの探求が相まって,日本では,主に岡山県にある児島の町でジーンズの生産が始まった。

児島は常に繊維生産の温床(hotbed)であったため,児島で最初のジーンズを生産するのは,現在110年以上にわたって操業している世界最長寿の工場の1つである倉敷紡績でのみ意味があった。これらのジーンズは,19654月に「マルオ被服(Maruo Clothing)」の “Canton”ブランドで米国製デニムから前述の豊田機で生産(縫製)された。
1967年,“BIGJOHN” ジーンズは “Canton” ジーンズと一緒に生産され,“Levi's” に紛れもないデニムを提供したのと同じ工場である“コーン・ミルズ(Cone Mills)”のデニムで作られた。ジーンズは成功したが,日本人はまだ自分の「セルヴィッチ・デニム」から作られたジーンズを切望していた。

1972年,8回の試行を経て,倉紡はついに日本初の ‘KD-8’ というタイトルの「セルヴィッチ・デニム」を倉紡デニム8 Kurabo Denim 8)用に製造することに成功した。これで,日本が後に世界的な現象となるものを世界に紹介するためのすべての要素が整った。

1年後の1973年に,それらの作品は一緒になった。

倉敷紡績KD-8デニムの ‘BIG JOHN’ がプロデュースした “M” シリーズは,日本人だけが作った日本初のジーンズになった。その後に続いたのは,ヴィンテージ・ブームの最前線にいた同じ人々が率いるジーンズ生産の革命だった。

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それ以来,日本のデニムは,ジーンズが元々作られた2つの明確な品質を完璧にすることで有名になった:古い織機で織られてセルヴィッチ生地を製造することと,天然染料を使用することだった。もちろん、すべての日本のデニムが同じように作られているわけではなく,さまざまな工場,メーカー,そしてジーンズでさまざまなバリエーションがある。それでも,日本のデニム会社の経営者(denim heads)は完璧に作られたジーンズの真の価値をすでに知っていたが,90年代後半に高級デニムが爆発して,世界中の人々がこの静かに成長する芸術形態に注目し始めた。

プレミアム・デニム・シーンの最初の1人は,エビス(Evisu)の創設者である山根英彦だった。彼は,世界初のプレミアム・デニムのいくつかを製作するとともに,彼自身が所有していたにも拘らず,日本のデニム・メーカーがリーバイスの製造に使用されるタイプの織機を購入するという一般的な誤解を広めた可能性がある。山根は前任者の手法を用いて,古い織機で,それ以来象徴的になっている手描きのカモメのシンボルが付いたセルヴィッチ・ジーンズを114着 製作することができた。もともとはリーバイスのクラシックな “1944 501 xx” へのオマージュとして製作されたこのブランドは,ストリートウェア・シーンで人気を博した。エビスはすぐにデニムのベスト中のベストであるという評判を獲得し,やがて1着を100ドル以上で販売することができた,初めてのデニム・ブランドとして。

他のブランドは,世界の高級デニム市場が爆発的に拡大する中,完璧なジーンズを求めて「セルヴィッチ・デニム」の実験を続けた。もちろん児島を拠点とする,日本で 既にプレミアム・デニムで知られていた「ジャパンブルー」グループは,ルイ・ヴィトンやグッチなど世界最大級の高級ブランドへの販売を開始した。すぐに,世界中のすべてのファッション・ハウスに日本のデニム・ジーンズのラインができた。ジーンズへの愛情と敬意から逸脱しないように,「ジャパンブルー」は「桃太郎ジーンズ」というレーベルを立ち上げた。

Momotaro's G001-T Gold Label” ジーンズは,おそらくデニムの芸術性の頂点(pinnacle)である。価格は約2,000ドルで,すべて手作業で作られ,タイワンコマツナギ(台湾駒繋,indigofera tinctoria plant)の天然藍を使用して染色されている。このプロセスは,染料が綿の芯に浸透するため,ジーンズが色あせないという点で,ほとんどのデニム会社経営者(denim heads)がジーンズに求めるものとは逆になる。実際,ジーンズはしばしば経年で暗くなる。

着物の絹を織っていた織機で手織りされたデニム自体は,素材3フィート織るのに最大8時間かかる。留めボタンは,各ジーンズの後ろにシルバーとシルクのラインで作られている。一旦終わったら,瀬戸内海の水でジーンズを洗う。各ジーンズの製作には最大1年かかる場合があり,各ジーンズの製作に地元の人々が参加するコミュニティ・イベントになることもある。

多くの人が1本のジーンズに2,000ドルを払うという考えを嘲笑する(scoff)が,デニム愛好家は,それぞれの個性あるジーンズの製作に伴う長年の伝統,トレーニング,工芸,スキルを考慮すると,価格が妥当であると考えている。

要するに,彼らが夢中になった(crazed over)米国のジーンズを再現することへの日本の執着(obsession)は,日本のデニム・メーカーを知識と生産の面で世界最高にした。それ以来,世界中の人々が日本のデニムの背後にある工芸品に追いつくのは時間の問題となった。現在,ジーンズ市場は,目まいがするような(dizzying)量の “Made in Japan” ジーンズに導かれ,日本のデニムで飽和状態(saturated)になっている。
ジーンズの正確な出所を見つけるのは難しいことがよくあるが,探しているものが確実に得られるように,事前に調査を行うことをお勧めする。
クラシック・ブランドは常に確実な賭けだが,それらと同じ情熱とジーンズ作りへの敬意を持っている新しいブランドもたくさん存在する。

(転載了)
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愛好家ではないので UNIQLO で充分です,持っていませんが ・・・ 。
因みに UNIQLO Jeans のデニムは 児島ではなく 広島県福山市の「カイハラ」であり,これも世界的に有名です。

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