ヘンリー王子を チャールズは “Spare” と言った。
発売前から話題になっている,ヘンリー王子の暴露本 “Spare” は 1月10日に 世界16ヶ国で同時発売される予定でした。が,スペイン・バルセロナの書店で 1月5日に誤って発売されてしまいました。
書店店員は「4日に本が到着したので,5日に販売した。10日までに売ったらダメなんて言われてないな。6日はスペインの国王の日であり,家族が伝統的にプレゼントを交換する日であり,小売業者は土壇場での購入で活況を呈しているから。本を売るのにちょうどよかった。とにかくお金を稼がなきゃ。」と明かしたと伝えられています。いかにもラテン系の言い訳です。
それを入手したメディアが 暴露本の内容を,正規発売日に先立って暴露しました。
ここでは ‘BBC News’ が,Jan.7, 2023付けで掲載した記事を拙訳して転載します。
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“Prince Harry makes sensational claims in memoir Spare”
「ハリー王子,回想録 “Spare” でセンセーショナルな主張」
By James Gregory & Sean Coughlan, royal correspondent
A stream of sensational claims and accusations from Prince Harry's autobiography, Spare, have been leaked.
ハリー王子の自伝 ‘Spare’からセンセーショナルな主張と告発が次々とリークされた。
この本は,彼とウィリアム王子が父親にカミラと結婚しないように促したという主張など,王室の不満と苦々しさを概説している。しかし,ガーディアン紙が最初に報じたハリーの最も印象的な主張の1つは,兄から物理的に攻撃されたようすだった。これに対して ケンジントン宮殿とバッキンガム宮殿のどちらもコメントしないと述べている。
BBC Newsは ‘Spare’ のコピーをスペインで早期に販売した後に入手し,翻訳を進めてきた。
これらは、この本からの重要な主張と暴露(revelations)の一部である。
Harry and William urged father not to marry Camilla
ハリーとウィリアムは父親にカミラと結婚しないように勧めた
ハリーは,彼とウィリアムが父親に,現在は王妃であるカミラと結婚しないように頼んだと書いている。
正式なリリース日より前にスペイン語版が発行された後,‘The Sun’ は,カミラが正式に家族に加わる前に,彼と兄が彼女と別々に会ったと主張していると報告している。ハリーは,彼女がいつか自分の「邪悪な継母(wicked stepmother)」になるかどうかを考えていたが,彼女がチャールズ王を幸せにすることができるならば,彼と兄は「心の中で」喜んで彼女を許したと主張している。いつ会ったのか,またはハリーが当時何歳だったかについての詳細はない。
A woman with powers relaying a message from Diana
ダイアナからのメッセージを伝える力を持つ女性
ハリーは,母親のダイアナ妃-Princess of Wales-の死に対する悲しみから、「『力(powers)』を持つように主張する」女性に助けを求めるようになったと述べている。「あなたのお母さんは,あなたは彼女が生きられなかった人生を生きていると言っている。」とその女性がハリーに告げたと彼に言った。「あなたは彼女があなたに望んでいた人生を送っている。」
ダイアナは,ハリーが12歳だった1997年にパリで自動車事故で亡くなった。
ガーディアン紙によると,亡くなった母親との会話についてのハリーの説明は短かかった- 木曜日の早い時間に本のコピーを入手し,抜粋を公開した。その女性との出会いがいつ,どこであったかについての詳細もない。
Charles 'did not hug Harry' when Diana died
ダイアナが亡くなったとき,チャールズは「ハリーを抱きしめなかった」
回想録の中で,ハリーは,ダイアナが自動車事故に巻き込まれたというニュースを伝えるために,父親が彼を起こしたと述べている。ハリーは,「通常の状況(normal circumstances)」で自分の気持ちを表現するのが苦手だったとハリーが言うチャールズが,この時,彼を抱きしめなかったと書いている。
その後,ハリーは,彼自身に終止符を打つことを望みつつ,ダイアナが死に至るまでのパリでの車の旅を再現したことについて書いている。しかし,それは代わりに彼女の死の公式の原因に疑問を残したと言う。
William 'knocked him to the floor'
ウィリアムは「彼を床になぐり倒した。」
ハリーは,ロンドンのコテージで,兄が彼の襟首をつかみ,ネックレスを引き裂き,彼を床に叩きつけたと主張している。
この本は,メーガンについてウィリアムが行ったコメントによって引き起こされたとハリーが主張する,二人の間の口論を示している。
ハリーは,ウィリアムが彼女を「難しい(difficult)」,「失礼(rude)」,「不快(abrasive)」と表現したことで、兄がメーガンに批判的だったと書いている。
ガーディアン紙によると,サセックス公(The Duke of Sussex)は,対立がエスカレートするにつれて,彼の兄が「マスコミの物語(narrative)の請け売りしている(parroting)」していると述べた。
ハリーは,疑われている(alleged)身体的な口論(altercation)を含め,次に何が起こったのかを説明していると言われている。「彼はコップ一杯の水を置いて,私を別の名前で呼び,私に近づいた。すべてがとても速く起こった。とても速く。「彼は私の襟首をつかみ,ネックレスを引き千切り,私を床に叩きつけた。
私は犬のボウルに着地し,背中の下で割れて,破片が私に食い込んだ。私はしばらくそこに横になり,ぼんやりしていたが,立ち上がって彼に出て行くように言った。」
William and Catherine laughed at Harry's Nazi costume
ウィリアムとキャサリンはハリーのナチスの衣装を見て笑った
回顧録はまた,2005年に仮装パーティー(fancy dress party)の前にハリーがナチスの制服を着て家に帰ったとき,ウィリアムとキャサリンが笑ったと主張している。ハリーは,イベントの衣装について議論していて,2人に意見を求めたと言う。彼は,パイロットの制服とナチスの衣装を持っていて選ぶことができた。彼は回顧録でそれを詳述している:
「私はウィルとケイトに電話して,どう思うか尋ねた。」
「ナチスの制服,と彼らは言った。」
「とんでもない(ridiculous)口ひげ(moustache)と一緒に借りて,家に帰った。」
「ウィリーとケイトは笑っていた。ウィリーのレオタードの衣装よりもひどいものだった。もっとばかげていた。」
「ネイティブとコロニアル」をテーマにした仮装パーティーでその制服を着たハリーの写真がサン紙(the Sun)の 1 面に掲載された時,ハリーは20歳だった。
Using cocaine at 17, smoking cannabis at Eton and taking magic mushrooms
17歳でコカイン使用,イートンで大麻喫煙,マジック・マッシュルーム摂取
ハリーは,17歳のとき,誰かの家で 鼻から吸う粉末の(a line)コカインを提供されたと言い,他の何回かの機会にドラッグを服用したことを認めたが,それを楽しんではいなかった。
彼は次のように書いている:「それほど楽しくはなかったし,他の人がそうしているように私を特に幸せに感じさせたわけではなく,私は違うと感じていた。私は 17歳の少年で,既成の秩序(pre-established order)を変えるものなら何でも試す準備ができていた。」
彼はまた,イートン・カレッジの生徒(pupil)時代,彼のボディガードとしてテムズ・バレー警察の警官が建物の外をパトロールしているとき,バスルームで大麻(cannabis)を吸っていたことについても語っている。
ハリーはまた,2016年にカリフォルニアへの旅行中にマジック・マッシュルームを摂取したことについても語っている,とTelegraph は報じている。
William did not like having Harry at Eton
ウィリアムはハリーがイートンにいるのが好きではなかった
「あなたは私のことを知らない,ハロルド。そして私はあなたのことを知らない。」とハリーは,イートン・カレッジに入学しようとしていたときにウィリアムが彼に言ったと主張している。
ハリーは,兄が「そこにいた最初の2年間,イートンは聖域(sanctuary)だった」と説明したと言う。
「その2年間は,質問で彼を悩ませたり,彼の社交界に鼻を突っ込んだりする弟の負担がなかったから。」とハリーは言う。
彼はウィリアムに「心配しないで」と言ったと言う。彼は兄に「あなたのことを知っていることを忘れてしまう。」と言ったと主張している。
Harry stopped seeing Caroline Flack over media pressure
ハリーはメディアの圧力でキャロライン・フラックと会うのをやめた
彼は、2009年に友人とレストランに行ったときに,テレビ司会者の故キャロライン・フラックに会ったと言う。彼女を「甘く(sweet)」そして「面白い(funny)」と表現し,マスコミがすぐに気づき,カメラマンが彼らを追跡したと彼は書いている。
「それは狂乱(frenzy)を引き起こした。」と彼は書いている。「ほんの数時間で,大勢の(horde of)ジャーナリストがフラックの実家,友人の家,祖母の家の外にキャンプを張った。
私たちは時々お互いに会い続けたが,二度と自由を感じることはなかった。一緒に楽しい時間を過ごし,そして彼ら愚か者(imbeciles)の手による敗北を認めたくなかったので,私たちは会い続けた。しかし,取り返しのつかないほど(irredeemably)関係は悪化し(tainted),最終的には,悲しみ(grief)と嫌がらせに値するものではないと判断した。何よりも(above all)彼女の家族のために。私たちは別れを告げた。さようなら,そして幸運を祈る(Goodbye and good luck)。」
Killed 25 Taliban fighters in Afghanistan
アフガニスタンで 25人のタリバン戦闘員を殺害
2012年から 2013年にかけてアフガニスタンでヘリコプターのパイロットを務めていたとき,ハリーは 6つの作戦に参加し,そのすべてに死が含まれていたが,正当なもの(justifiable)と見なされていた。
「それは私が誇りに思う統計ではないが,恥とも思ってない。」と彼は書いている。「私が戦闘の熱気と混乱に陥った(plunged)とき,私はあの 25人を人間だとは思わなかった。彼らは盤面から取り除かれたチェスの駒であり,悪人が善人を殺す前に排除された。」
William suggested village chapel for Harry and Meghan's wedding
ウィリアムは,ハリーとメーガンの結婚式に村の礼拝堂を提案した
ハリーは,王室(the royal household)がメーガンとの結婚式の日付と会場(venue)に足を踏み入れたと主張している。
セント・ポール大聖堂(St Paul's Cathedral)またはウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)での結婚式の可能性について兄に相談したとき,ウィリアムは,チャールズとダイアナ,ウィリアムとキャサリンの結婚式の会場だったので,それは不可能だと告げた,と彼は言う。ウィリアムは,代わりに,コッツウォルズにある父親のハイグローブ・ハウス(Highgrove House)の家の近くにある村の礼拝堂を提案した,とハリーは言う。
ハリーとメーガンは,2018年5月にウィンザー城のセント・ジョージ礼拝堂(St George's Chapel)で結婚式を挙げた。
'Terrifying' panic attacks before public appearances
公の場に出る前の「恐ろしい」パニック発作
「2013年の夏の終わりまで,私は衰弱させる無気力(debilitating lethargy)と恐ろしいパニック発作の時期を交互に繰り返す,悪い時期を経験していた。」とハリーは回想録に書いている。
ハリーは,スピーチすることからインタビューを受けることまで,当時の職務について説明し,「これらの基本的な機能を実行することができない」ことに気付いたと述べている。
スピーチの少し前に体が汗でびっしょりになって,スーツを着ることが引き金となってパニックが始まった,と彼は言う。「ブレザーを着て靴ひもを結ぶ頃までに,頬や背中に汗が流れだしていた。」
Charles 'begged William and Harry not to fight'
チャールズは「ウィリアムとハリーに争わないように頼んだ」
2021年のエジンバラ公の葬儀の後,ハリーは彼と兄を巻き込んだ対立について説明する。
ハリーは,チャールズが彼とウィリアムの間に立って,彼らに言ったと言う:「どうか,諸君(boys)……私の晩年を惨めにしないでくれ。」
William and Harry 'were the heir and spare'
ウィリアムとハリーは「後継者であり予備だった」
(*管理者:ここで本のタイトル “Spare” の意味を理解。)
この本のタイトルは,ハリーの誕生後になされたと思われる発言を暗に示している(alludes)。
ハリーは、チャールズがダイアナに次のように言ったことを知らされたとき,20 歳だったと書いている:
「素晴らしい。あなたは私に後継者(heir)と予備(spare)を与えてくれた。あなたは仕事をやり遂げた(Wonderful. You have given me an heir and a spare. You have done your job)。」
Three details you may have missed:
見落としているかもしれない 3つの詳細:
・ハリーは,ウィリアムとキャサリンが メーガンに会う前は,彼女が出演した TVシリーズ「スーツ(Suits)」のファンだったと言う。ハリーが当時のガールフレンドの身元を明らかにしたとき,彼らは「あっけにとられた(open mouthed)」と彼は書いている,彼の兄が彼に警告したことを付け加える前に:「結局のところ,ハロルド,彼女はアメリカの女優です(When all's said and done, Harold, she's an American actress, anything could happen)。」
・公爵はまた,女王がその機会のためにひげを残す許可を彼に与えたにもかかわらず,ウィリアムがメーガンとの結婚式の前にひげを剃るように命じたと主張している。
・メーガン妃は,イベントの直前にリップ・グロスを貸してほしいと言ってキャサリン妃を怒らせた,とハリーは書いている。メーガン妃が絞って少し指に付け,唇に塗ったとき,キャサリンはうんざりした(disgusted)ように見えた。
(転載了)
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チャールズはハリーを “Spare” と呼んだと書かれています。
英語と日本語の意味は厳密には異なるかも知れませんが 日本語には「予備」の意味しかありません。
タイトルを “Spare” にしたのは,ハリー王子の拭いきれない屈辱感 あるいは 劣等感が込められた自虐の意味があるのでしょうか?
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