英国 王冠の裏話
5月6日,英国国王 チャールズ3世の戴冠式が行われました。
その前日の5月5日,‘GQ-UK’ の ‘Fashion’ の記事として 国王の王冠に関する話が掲載されていました。
下記,拙訳・転載します。
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“The murky true story behind King Charles III's Coronation crown”
「チャールズ 3世の戴冠式王冠の背後にある暗い実話」
反乱(rebellions)や強盗未遂(attempted robberies)から,セント・エドワードの王冠は王室の最も象徴的な工芸品(artefacts)の1つだが,その多くは謎に包まれている(shrouded)。
今週の土曜日,チャールズ 3世の戴冠式が行われる。この国では 70年ぶりのイベントであり,我々が「とてもうまくやる(do so well)」と言われている(allegedly)ようなイベントで,ウェストミンスター寺院で新しい君主の頭にセント・エドワード王冠が置かれると,華やかさ(pomp)と式典は最高潮に達するだろう。コーギー(corgis)やマスコミの禁止命令(injunctions)とともに,それはおそらく王室の最も永続的で代表的なシンボルである。
王冠は 13世紀以来,いくつかの異なるバージョンが君主によって着用されてきた。王冠はエドワード懺悔王(Edward the Confessor)にちなんで名付けられた:エドワード懺悔王は,触れる力で病人を治すと信じられていた非常に敬虔な(pious)アングロ・サクソンの王だった。
王冠の現在のバージョン(iteration) - 土曜日に最終的にチャールズの頭に被せられる(plonked)もの - は,チャールズ1世の処刑を見たイングランド内戦での国会議員の勝利の結果,オリジナルが1649年に溶かされた後,1661年以来存在している。セント・エドワードの王冠は,オリバー・クロムウェル(Oliver Cromwell)の命令(behest)で売却された。彼はそれを「忌まわしい王の支配(the detestable rule of kings)」を思い起こさせるものと見なしていた。
しかし,王党派と国会議員を分断するという王室の主役は終わったわけではなかった。チャールズ 2世の戴冠式のために 1660年に作り直され,安全のためにロンドン塔に保管された - 今日,その本物の大部分が観光客に展示されている場所である。ただし,いくつかの危機的な状況(close calls)があった:1671年,トーマス・ブラッド大佐という元クロムウェル派の軍人が,セント・エドワード王冠を木槌で平らにした後,盗もうとした。ブラッドと彼の共犯者は捕らえられたが,チャールズ2世は彼らの大胆さに感銘を受け,王冠が返還され 修理される前に彼ら全員を許した。
何度も作り直されたにもかかわらず,現在のバージョンはオリジナルからバロック様式のアーチを除いたものとほとんど同じであると言われている。そして,宝石は常に永久的ではなかった。1911年まで,それらはすべて借りられ,それぞれの戴冠式の後に,外された。その時点で,セント・エドワード王冠には 444個の宝石と半宝石がセットされ,アーチの模造真珠は金のビーズに置き換えられた。
王冠について考えるとき -どんな王冠でも- 頭に浮かぶのはしばしばセント・エドワード王冠の特徴的な形である。BBCとCNNの王室コメンテーターであるリチャード・フィッツウィリアムズは,これは王室の意図的な(deliberate)策略(strategy)の一部であると述べている。「[王冠] が非常に強力な(potent)理由は,エリザベス2世女王がそれを王室の暗号(cipher)のシンボルとして使用することにしたからである。そのため,‘Royal Mail’ や軍服の記章(insignia)などに使用されている。」と彼は言う。
王冠が最後に使用された 1953年の母親の戴冠式から 70年後,チャールズはコースを変更して別のバージョンを選ぶことにした。
「チャールズはチューダー朝の王冠に戻り,女王との差別化を図った。もちろん,各君主は自分で決定する。しかし,切り替え(changeover)には多少の費用がかかる。」
セント・エドワード王冠の歴史全体とは異なり,その宝石の具体的な起源の話はあまり明確ではない。
22カラットのゴールド,345個のアクアマリン,37個のホワイト・トパーズ,27個のトルマリン,12個のルビー,7個のアメジスト,6個のサファイア,2個のジャルグーン,1個のガーネット,スピネル,カーバンクルなど,王冠の輝きにもかかわらず,その起源(provenance)は十分に文書化されていない。王冠の宝石の他の部分の歴史を考えると,多くの人は,それらが以前の植民地から反倫理的(unethically)に調達されたと推測している。
たとえば:インドの宮廷で長い間最強(mightiest)と見なされていた宝石であるコ・イ・ヌール・ダイヤモンド(Koh-i-Noor diamond)は,1849年に英国当局によってパンジャブ王位(Punjabi throne)継承者の 10歳の少女から取り上げられ(seized),すぐにビクトリア女王の貴重な所有物になった。コ・イ・ヌールは,故エリザベス女王の王冠に見られるようになった。
‘Daily Mail’ は最近,アクアマリンはブラジル政府からコレクションを購入したエドワード7世にまでさかのぼることができると報告したが,これを確認する他の情報はほとんどない。
不確かな過去とセント・エドワード王冠の膨大な(vast)象徴性は,多くの人にとってさまざまなことを意味する。戴冠式を,多くの苦難に直面している国を祝う瞬間と見なす人もいる。他の人々は,人々が王室の制度とそれに関連する遺物(relics)に疑問を呈しているため,タイミングが悪い(ill-timed),または国民の気分に合わない(incongruent)と見なしている。
この王冠は,英国の伝統の輝くビーコンか? それとも、その暗い帝国の過去のきらめく(shimmering)アホウドリか?真実は,これらのことは互いに矛盾すること(mutually exclusive)ではないということかもしれない。
(転載了)
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因みに この王冠(宝石)の値段は?
‘Reader’s Digest’ によれば-
‘An almost priceless collection, the royal crown jewels are worth anywhere from $1.2 to $5.8 billion. Here are the most well known (and valuable) of the bunch.’
プライスレスの部分を除き 宝石は-
$12億~$58億,円に換算(¥135/$)すると ¥1,620億 ~ ¥7,830億 とのことです。
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