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2023年5月 9日 (火)

見出しに見る勘違い(その903)

「『十五少年漂流記』? 正しくは『二年間の休暇』です…韓国出版業界,日本語重訳依存から脱却の試み」  2023/5/7 朝鮮日報・日本語版
   ‘小説『二年間の休暇』(Deuxans de vacances)を耳にしたことはあるだろうか。『十五少年漂流記』で知られるフランス人小説家ジュール・ベルヌが手掛けた作品の原題だ。15人の少年が船上で嵐に遭遇して難破し,漂流した先の無人島で生きていく話だ。出版社の「ヨルリムウォンオリニ」は最近ジュール・ベルヌの5冊の小説を児童・青少年用に再編集して発行する過程で,『二年間の休暇』というタイトルを採用した。代わりに『十五少年漂流記』を副題として付け、誤解の余地を減らすのに努めた。
  これまでタイトルが誤って知られていた理由は,1896年に日本で翻訳されたタイトルを韓国がそのまま取り入れたためだ。原題を使ってこそ少年たちが2年間の共同生活を通じて成長してきた過程に集中できるというわけだ。『ジュール・ベルヌ傑作集』(ヨルリムウォンオリニ刊,全20巻)などの翻訳を手掛けたキム・ソクヒ氏が翻訳した。キム氏は「14年前に全集の翻訳を担当した時はでたらめの作品と勘違いされるのではないかと思って本のタイトルを変えなかった」とし「これまでは日本語訳のタイトルを踏襲してきたが,今は変える価値があると思った。本来のタイトルが知られ、広く使われることを願う」と話した。
  誤って訳されたタイトルが原題に近く再び翻訳し直されるケースが少なくない。日本語など重訳本に依存していた慣行から脱し,原作の意味をきちんと知らせようとする試みだ。チャンビ世界文学全集1巻であるゲーテの『若きヴェルターの悩み』が代表的だ。『若きウェルテルの悲しみ』(Die Leiden des jungen Werthers)で知られる作品だ。主人公の名前(Werthers)を「ウェルテル」という日本式の発音を原語に近い発音(ヴェルター)に変えたほか,「Leiden」を悲しみよりも悩みという解釈に変えたことだ。ヨンアムソガ、シゴンサなどの出版社もこのタイトルを使用している。この他『若きヴェルターの悲しみ』『若きヴェルターの苦痛』など「ヴェルター」と表記するケースも多々見受けられる。
  タイトルのニュアンスを正しく表現しようとする試みも多い。出版社グリーンビーは,アルベール・カミュの『異邦人』を『異人』(韓国語読みが「イイン」)というタイトルに直して出版した。原題(L'Etranger)が普通の人と違う見知らぬ人間である異人と,作品の中で断絶した二人(韓国語読みが「イイン」)の主人公が存在するという意味の「イイン」を同時に内包しているというのだ。チャンビは夏目漱石の『吾輩は猫である』を『この体は猫だ』に,英国作家ドリス・レッシングの『黄金ノート』(原題 The Golden Notebook)を『金色ノート』に変えて出版する。それぞれ小説の中心素材を指す原文のニュアンスを反映して修正したという説明だ。
   作品のタイトルを変えることに懐疑的な立場もある。翻訳の意図が良くても,全く違う作品のように思われる場合,読まれなくなる恐れがあるためだ。出版社の立場としては,作品の販売部数を無視することはできない。ある出版業界の関係者は「原題に忠実な翻訳だとしても,大衆が古典に対して持っている情報がすでに蓄積されているので,タイトルを変えることはより一層慎重にならざるを得ない」と説明する。’ と書いています。
   日本語訳が誤っているような書き方です。ところで 日本語ではない言語からの重訳は存在するのでしょうか。又,重訳ではない,原語から 日本語訳を介さないで,そのまままま朝鮮語に翻訳した小説はあるのでしょうか。
19世紀に フランスの小説の翻訳版を出版していた日本に対して 21世紀になって 韓国は ようやく朝鮮語独自の翻訳版発行が可能になったということのようです。先進国に一歩近づいたと言えるのかも知れません。 

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