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2023年8月17日 (木)

1996年まで使われた ‘Clarks’ の Logo の塔は “Glastonbury Tor”

001h_20230713185101 デザート・ブーツで有名な英国の ‘Clarks’ の内底や箱にプリントされていた,かつての ロゴ は 「丘の上の塔」でした。それが いつの間にか 筆記体の “Clarks” のみになりました。

いくつかの 英国のサイトで ‘Clarks’ の ロゴ の歴史,および オリジナルの ロゴ に使われた塔について調べた結果をまとめて 以下に示します。

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Logo の変遷】

オリジナルのロゴは,丘の中央にそびえ立つ高い修道院(monastery)の絵が中央に描かれた丸いスタンプ,‘Tor stampだった。
この絵を囲む縁に沿って,2つの文字列が配置されていた: ‘C & J Clark Ltdは上部にセリフ体(serif style)で書かれ,‘shoemakers since 1825は下部にサン・セリフ体(sans-serif font)で書かれていた。色は通常,黒または濃い緑色だった。

Tor stamp’は,‘C&J Clark Ltd.が当初から来歴(provenance)と品質のマークとして使用していた。
これは,マセット州のクラークス本社から見える風景にそびえたつ(dominates),頂上に聖マイケルの塔(St. Michael's tower)がある特徴的なグラストンベリー・トー(Glastonbury Tor)を表している。1879年に商標として登録された。

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(*“Tor” :/tɔː/ 頂上に岩がある小さな丘。高い岩。岩の山。丘の上。岩峰。丘。)

1996年,ロゴとして ‘Clarksという言葉だけを採用した。注目すべきは,それがまるで手書きのような,署名のような(signature-like)スタイルで書かれていることである。線はまだ滑らかで,エッジは丸く流れるようだった。繰り返しになるが,これらの文字の主なカラーバリエーションはダーク・グリーンとブラックである。

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Glastonbury Tor
グラストンベリー・トー
(かつての ロゴに使われた 「グラストンベリー・トー」についての Wikipedia の記述。)

A04h グラストンベリー・トーは,英国のサマセット郡にあるグラストンベリー近くの丘で,その頂上にはグレード 1 指定建造物(Grade I listed building)である,屋根のない聖マイケルズ・タワー(St Michael's Tower)がある。敷地全体はナショナル・トラストによって管理されており,指定記念物(scheduled monument)になっている。

トー(Tor)はケルト神話,特にアーサー王に関連する神話で言及されており,他にもいくつかの不朽の神話的および精神的な関連性がある。

History
Pre-Christian
紀元前

「トー」の頂上から回収された新石器時代(Neolithic)の火打ち石の道具のいくつかは,この場所が先史時代(prehistory)からおそらく永続的な占領(lasting occupation)下で訪問されていたことを示している。

グラストンベリー・レイク・ビレッジ(Glastonbury Lake Village)の近くの遺跡(remains)が 1892年にその場所で確認され,沼地(fens)の中にある防御の容易な島に 紀元前300200年頃に鉄器時代の集落(Iron Age settlement)があったことが確認された。
トーが永続的に占領されていたという証拠はないが,ローマ時代の陶器(pottery)を含む出土品は、トーが定期的に(on a regular basis)訪れられていたことを示唆している。

1964年から1966年にかけてフィリップ・ラーツ(Philip Rahtz)率いるチームによって行われた「グラストンベリー・トー」の発掘調査により,中世後期(the later medieval)の聖ミカエル教会周辺が5世紀から7世紀にかけて暗黒時代(Dark Age)に占領されていた証拠が明らかになった。
発見されたものには,柱穴,金属細工師の鍛冶場を含む2つの囲炉裏,南北方向の2つの埋葬(したがってキリスト教徒のものである可能性は低い),6世紀の地中海のアンフォラ(ワインや食用油を入れる花瓶)の破片,磨耗したサクソン民族の青銅の兜などが含まれていた。

Christian settlement
キリスト教徒の入植地

サクソン後期から中世初期にかけて,頂上には少なくとも 4つの建物があった。
石の十字架の基部は,この時代にキリスト教徒がこの場所を使用していたことを示しており,修道院(hermitage)であった可能性がある。10世紀か11世紀に作られた車輪十字架(wheel cross)の壊れた頭部が丘の途中で発見され,頂上に立っていた十字架の頭部であった可能性がある。十字架の頭は現在,トーントン(Taunton)のサマセット博物館に所蔵されている。

聖ミカエルに捧げられた最古の木造教会は、11 世紀または 12 世紀に建設されたと考えられている。 その後,ここら柱穴が特定された。関連する修道士の個室(monk cells)も確認されている。

1243年,ヘンリー3世は,この場所で 6日間の市を開催する許可を与えました。

聖ミカエル教会は 1275911日の地震により破壊された。
英国地質調査所によると,この地震はロンドン,カンタベリー,ウェールズで感じられ,英国の多くの家屋や教会が倒壊したと報告されている。揺れの強さは 7MSKMedvedev-Sponheuer-Karnik scale)以上で,震源地(epicentre)はイングランド南部のポーツマスまたはチチェスター付近だった。

同じく聖マイケルに捧げられた 2番目の教会は,14世紀にソドベリーの修道院長(Abbot)アダムによって,前の建物の基礎を組み込んで地元の砂岩で建てられた。ステンド・グラスや装飾された床タイルも含まれていた。パーベック大理石(Purbeck Marble)の携帯用祭壇もあった;おそらく,トーの聖マイケル修道院はグラストンベリー修道院の娘の家であったと思われる。

聖ミカエル教会は,1539年の修道院解散(the Dissolution of the Monasteries)まで存続し,塔を除いて取り壊された。トーは,グラストンベリー修道院の最後の修道院長リチャード・ホワイティングが,彼の修道士の二人,ジョン・ソーンとロジャー・ジェームスとともに絞首刑(hanged),さらに,はらわたを取られ四つ裂きにされた(drawn and quartered)処刑場だった。
聖ミカエル教会の 3 階建て(three-storey)の塔は現存している。コーナーの控え壁(buttresses)と垂直なベル開口部がある。胸壁(parapet)の下には鷲の像が刻まれた石板がある。

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Post-dissolution
解散後

1786 年にスタウアヘッド(Stourhead)のリチャード・コルト・ ホアがトーを購入し,1804 年の北東隅の再建を含む塔の修理に資金を提供した。その後,ジョージ・ネヴィル・グレンヴィル牧師に売られ,20世紀までバトリー荘園(Manor)に含まれていた。
トーの最後の所有者はロバート・ネビル・グレンヴィル(Robert Neville-Grenville)で,彼はグラストンベリー裁判所とともにナショナル・トラストにトーを譲渡することを望んでいた。1936年に彼の死後,この建物はナショナル・トラストに売却され,維持費を公募した。

ナショナル・トラストは 1937年にトーを管理したが,修理は第二次世界大戦後まで延期された。
1960年代の発掘調査で岩石の亀裂が確認され,過去に地面が動いていたことが示唆された。これに風食が加わり,塔の基礎が露出し始め,コンクリートで補修された。増加する訪問者の足による浸食も問題となっており,台地(terraces)を傷つけずに頂上まで到達できるよう道が整備された。

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2000年以降,アクセスの強化と胸壁(parapet)の再建を含む塔の修復が行われた。これには,以前の修理で損傷した石積み(masonry)の一部をハドスペン採石場(the Hadspen Quarry)からの新しい石で置き換えることが含まれていた。

グラストンベリー・トーを漠然とベースにしたモデル(塔の代わりに木があったものの)が,2012年ロンドン夏季オリンピックの開会式に組み込まれた。選手たちがスタジアムに入場すると,模型の台地に選手たちの旗が掲げられた。

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興味深い歴史がある ロゴでした。

不思議なことに 1996年 に ロゴが ‘Clarks’ に変更になったとありますが,2013年に購入した ‘Desert London’ の内底のロゴが “Tor Stamp” です。Dead Stock

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