映画「アルゴ」の元になった事件を読む。
9月18日,NHK BSプレミアムで 久しぶりに 映画「アルゴ」(“Argo”,2012)を観ました。
1979年から1980年にかけて発生した在イラン・米国大使館人質事件を題材とした,ベン・アフレック(“Benjamin Géza Affleck-Boldt”, 1972~ )監督・製作・主演による米国映画です。
映画らしい緊迫感にあふれたストーリーになっています。
実際の事件をどのように脚色しているのだろうかと思い,英文 Wikipediaで,この事件を詳述している “Canadian Caper”(カナダの策謀)を読んでみました。
下記,拙訳・転載します。
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‘Wikipedia’,“Canadian Caper”(カナダの策謀)
“Canadian Caper”(カナダの策謀)とは,イラン革命後の1979年11月4日,イランのテヘランにある米国大使館占拠の際に逮捕を逃れた6人の米国外交官をカナダ政府とCIAが共同で秘密裏に救出した出来事である。イスラム主義者(Islamist)の学生らは米国大使館職員の大半を人質にとり,米国が支援するシャー(Shah)に裁判を受けさせるための返還を要求した。
外交官らが英国使節団とカナダの外交官らに保護された後,カナダと米国の両政府は,カナダのパスポートを利用して隠蔽工作をして逃亡を図る戦略を立てた。
この “caper”(策謀)には,CIA職員(トニー・メンデス(Tony Mendez)と同僚のエド・ジョンソン(Ed Johnson))がテヘランにいる6人の外交官に加わり,偽映画撮影班(fake film crew)を結成することが含まれていた。伝えられるところによると(purportedly),そのメンバーは6人のカナダ人,1人のアイルランド人,1人のラテン・アメリカ人で,実際には製作が中止されていたSF映画『Argo(アルゴ)』のシーンを撮影するのに適切な場所を探し終えていたところの設定だった。
1980年1月27日日曜日の朝,8人全員がテヘランのメヘラーバード(Mehrabad)空港でパスポート審査を通過し,チューリッヒ行きのスイス航空の便に乗ってイランを脱出した。
これらの出来事について書かれた記事が 2007年にワイアード(Wired)に掲載された。この記事は,メンデスが書いた回想録と並行して,2012年の映画『アルゴ(Argo)』の元として大まかに使用された。
2023年9月14日,ポッドキャスト『ラングレー・ファイル(The Langley Files)』シーズン最終回の一環として,CIAは「フリオ(Julio)」の正体(identity)が言語学者で救出(extractions)の専門家であるエド・ジョンソンであることを明らかにした。
Background/背景
Main article: Iran hostage crisis
主な記事:「イラン人質事件」
イラン・イスラム革命が起きたとき,米国の支援を受けたイランのシャー,モハマド・レザー・パフラヴィー(Mohammad Reza Pahlavi)は国外に逃亡した。
混乱(turmoil)のさなか,1979年11月4日,イマームの系譜に従うイスラム学生として知られる若いイスラム主義者の暴徒がテヘランの米国大使館を襲撃し、数十人の外交官を捕らえ人質にした。彼らは裁判のためにシャーをイランに返還するよう要求した。臨時政府はその直後,メフディ・バザルガン(Mehdi Bazargan)首相と閣僚が辞任し崩壊した。
イラン新政府は,人質を取ったのは独自に行動した学生であると述べたが,シャーの返還要求に加わった。人質のほとんどは1981年初頭まで拘束された。
Sanctuary for diplomats/外交官の庇護
ロバート・アンダース(Robert Anders),コーラ・アンバーン・リジェク(Cora Amburn-Lijek),マーク・リジェック(Mark Lijek),ジョセフ・スタッフォード(Joseph Stafford),キャスリーン・スタッフォード(Kathleen Stafford),リー・シャッツ(Lee Schatz)の6人の米国人外交官は,カナダの外交官ケン・テイラー(Ken Taylor)とジョン・シアダウン(John Sheardown)によって匿われ(harboured),1980年にテヘランから脱出した(exfiltrated)。
イラン人が壁を越えてやって来たとき,彼らは大使館敷地内にある別の建物である領事館で働いていた。
外交官の2つのグループが英国大使館まで歩くよう命令を受けてテヘランの通りに避難した(fled):アンダース・グループ(シャッツを除く)と,領事サービス(consular services)を求めていた2人の米国人(後に地元大使館職員に出国ビザの取得を手伝ってもらったキム・キング(Kim King)も含む,そしてイランから飛び立つ):そして第二グループにはリチャード・モアフィールド(Richard Morefield)総領事が含まれる。
後者は間接的なルートを選択し,すぐに捕らえられ,敷地内に戻された。
アンダースのグループは英国大使館に近づいたが,彼らの行く手に抗議活動を行っている大規模な群衆を目撃した。ロバート・アンダースは近くに住んでいたため,他の人たちを自宅に招いた。
アンダースのグループは,タイ料理人のソムチャイ・“サム”・スリウィーネトルさんの協力を得て,6日間の旅で家々を移り,その中にはイギリスの住宅地で一晩過ごしたものも含まれていた。
3日後にバザルガン政権は崩壊し,外交官たちは試練(ordeal)がすぐには終わらないことを悟った。
選択肢を探していたアンダースは,カナダの入国管理官である旧友のジョン・シアダウン(John Sheardown)とコンタクトをとり,グループ全体への熱烈な招待を受けた。11月10日,アンダースの元のグループ(アンダース,ジェク夫妻,スタッフォード夫妻)の5人がシアダウン邸に到着した。ジョンとゼナ・シェアダウンに会ったことに加えて,彼らはカナダ大使のケン・テイラーからも歓迎された。
スタッフォード夫妻はテイラーによって自宅に連れて行かれ,そこで妻のパットと合流した。残りの3人はシアダウン家に残った。
彼らは合計79日間カナダ人2世帯に保護された。
11月27日,テイラーはスウェーデン大使のカイ・サンドベリ(Kaj Sundberg)から電話を受け,米国人のリー・シャッツ(Lee Schatz)を引き取ってほしいと頼まれた。
シャッツは当初スウェーデン大使館の床で寝ており,その後,スウェーデン領事セシリア・リサンダー(Cecilia Lithander)のアパートに滞在した。
しかし,スウェーデン大使はカナダ人になりすました(impersonate)方が良いと感じた。テイラーは同意し,シャッツをシアダウン邸に住まわせた。
カナダ人は米国人を保護する際に大きな個人的な危険を冒し,危険にさらされた6人の米国人外交官を私邸に避難させた。「友好国」大使館職員2人も支援し,空いた公邸が数週間使用された。
テイラーはカナダの外務担当国務長官フローラ・マクドナルド(Flora MacDonald)とカナダのジョー・クラーク(Joe Clark)首相に支援を求めた。彼らは保護活動への支持を表明した。彼らはカナダのパスポートを使用し,国際線で米国人6人をイランから密入国(smuggle)させることにした。そのために,カナダの保護地区にいる米国の外交官に,さまざまな偽の身分を記載したカナダのパスポートの公式の複数のコピーを発行するという枢密院令(Order in Council)が下された。
発行されたパスポートには,イランからの逃亡を目的としてCIAが偽造イラン・ビザ一式が含まれていた。
Preparation/準備
CIAは,偽装(disguise)と脱出(exfiltration)の専門家であるトニー・メンデス(Tony Mendez)に,彼らの体裁(appearances)を変えるためのカバー・ストーリー,書類,適切な服装,および機材を準備するよう依頼した。メンデスはオタワのカナダ政府職員と緊密に連携し,カナダ外交官を通じてカナダ大使館にパスポートやその他の資料を送付した。
メンデスは救出を支援するためエド・ジョンソンとともにテヘランへ飛んだ。ジョンソンとメンデスは以前,CIAの技術局(OTS:Office of Technical Service)部門で一緒に働いていた。
さまざまなシナリオに備えて代替のパスポートと身分証明書が用意されていたが,選択されたカバー・ストーリーでは,6人が映画のロケ地を確認する(scouting)ハリウッドのクルーとして働くカナダ人として描かれていた。
精緻な(elaborate)バック・ストーリーは,1967年のロジャー・ゼラズニー(Roger Zelazny)の SF小説『ロード・オブ・ライト(Lord of Light)』を基にした映画『アルゴ(Argo)』に関するものだった。
バリー・ゲラー(Barry Geller)がプロデュースし,ロージー・グリア(Rosey Grier)が主演したオリジナルの『ロード・オブ・ライト』プロジェクトは,資金が横領された(embezzled)ため撮影開始前に放棄されていた; ジャック・カービー(Jack Kirby)によるコンセプト・アートが存在し,脚本は中東の雰囲気を持つ惑星を舞台としており,チームはそれを利用してイランでのロケ地を探したいという希望を正当化することができた。
カバーを真実味のあるものにするために,メンデスはハリウッドのベテラン メイク・アップ・アーティスト,ジョン・チェンバース(John Chambers)に協力を求めた。彼らは,サンセット大通りのサンセット・ガワー・スタジオ(Sunset Gower Studios)に「スタジオ・シックス・プロダクションズ(Studio Six Productions)」(6人の外交官にちなんだ)という名前の機能する(functioning)オフィスを設立した。
このオフィスは,俳優のマイケル・ダグラスが映画『チャイナ・シンドローム(The China Syndrome)』(1979年)の撮影中に直近まで使用していたオフィス・スペースを使用した。ロサンゼルスにある「スタジオ・シックス」オフィスへの電話は,映画の制作状況を確認するために誰が電話をしようと応答される。
近日公開予定の「スタジオ・シックス」映画のディスプレイ広告がハリウッドの出版物に掲載され,そのような新聞の 1つがコーラ・リジェク(Cora Lijek)に送られ,カバー資料の一部として持ち歩いた。
チームはまた,偽の名刺を用意し,ロサンゼルスのナイトクラブで映画パーティーを開き,バラエティ誌(Variety)とハリウッド・レポーター(The Hollywood Reporter)の業界誌に映画の初期広告を掲載した。
チェンバースの友人でメイクアップ・アーティストでもあるロバート・サイデル(Robert Sidell)は関連イベントで映画プロデューサーを装い,妻のジョアンは「スタジオ・シックス」の受付係として参加した。
チェンバースは後に,作戦への協力に対して CIAの諜報功労勲章(Intelligence Medal of Merit)を授与された。
イランの年は春分(the spring equinox)の日から始まるため,ビザの日付けに誤りがあった。カナダ大使館職員の一人が書類をチェック中に間違いに気づいた。幸いなことに,予備のパスポートが同梱されていたため,メンデスはイラン暦に基づいた日付を記した新しいビザ・スタンプを挿入することができた。
この準備中に数週間が経過するにつれて,米国の外交官たちは本を読んだり,主にカードやスクラブル(Scrabble)などのゲームをしたりしていた。テイラーは不要不急のカナダ大使館職員を帰国させるよう努めた。テイラーは,普通ではない(erratic)パターンを確立するためと空港での手続きを行うため,偽の任務(errands)に他の人を派遣した。
不審な電話やその他の活動により,外交官の隠蔽が発覚した可能性が示唆され,緊張が高まった。
Rescue/救出
1980年1月27日日曜日の早朝,メンデス,ジョンソン,そして6人の米国外交官は,本物のカナダのパスポートと偽造入国書類を持って旅行を決行,テヘランのメヘラーバード(Mehrabad)国際空港の保安検査を難なく通過した。
マクドネル・ダグラス DC-8-62 の機械的トラブルにより少し遅れた後,一行はスイスのチューリッヒ行きのスイスエア 363 便 (登録: HB-IDL) に搭乗した。
偶然にも(by coincidence),この航空機はスイス北部のアールガウ州(the Aargau canton)にちなんでアールガウと名付けられていた。チューリッヒに着陸した6人の外交官はCIA工作員によって山小屋の隠れ家に案内され,一晩過ごした。そこで彼らは,外交上の理由から報道陣と話すことはできず,人質事件が解決するまでフロリダの秘密の場所に匿われる(kept hidden)ことになると告げられた。
メンデスとジョンソンはドイツのフランクフルトへ向かい,そこでメンデスは事後報告書(after-action report)を書いた。
翌日,この話はラ・プレッセ(La Presse)のワシントン特派員,ジャン・ペルティエ(Jean Pelletier)によって書かれた記事でモントリオールで報道された;それはすぐに国際的な報道機関に取り上げられた。
CIAは6人の外交官をスイスから西ドイツのラムシュタイン(Ramstein)空軍基地まで運び,大西洋を渡ってデラウェア州のドーバー空軍基地まで飛行機で移動させた。
「ケーパー(caper)」の8人の米国人は1月27日,日曜日にイランを出国した。カナダ人は同日,大使館を閉鎖した。テイラー大使と残りの職員はカナダに帰国した。6人の米国外交官は1980年1月30日に米国に到着した。
救出されたアメリカ外交官6人は以下の通り:
Robert G. Anders, 54 – consular officer(領事館官吏)
Mark J. Lijek, 29 – consular officer(領事館官吏)
Cora A. Lijek, 25 – consular assistant(領事館官吏)
Henry L. Schatz, 31 – agricultural attaché(農務官)
Joseph D. Stafford, 29 – consular officer(領事館官吏))
Kathleen F. Stafford, 28 – consular assistant(領事官補)
救出に携わったカナダ人は,カナダで民間人として2番目に高い勲章であるカナダ勲章(the Order of Canada)を授与された。次の人々が含まれる:
・Ambassador Taylor and his wife Patricia Taylor(大使)
・Immigration officer John and his wife Zena Sheardown(出入国審査官)
・Mary Catherine O'Flaherty – communications officer(通信員)
・Roger Lucy – political officer and first secretary for the Canadian Embassy(政治担当官・一等書記官)
・Laverna Katie Dollimore – personal secretary for Ambassador Taylor(大使私設秘書)
ガイアナ生まれの英国民(British subject)であるゼナ・シアダウン(Zena Sheardown)は,通常なら勲章の資格がなかったはずだった。フローラ・マクドナルドは彼女に名誉会員(honorary membership)が与えられるよう介入し,その後カナダ国民になったときに正会員に転換した。
その後,テイラー大使は,米国に対する重要な(critical)支援を評価され,米国議会から議会金メダル(the Congressional Gold Medal)を授与された。
特派員 ペルティエ(Pelletier)は1980年1月28日以前に逃亡外交官に関する事実の一部を明らかにしていたが,その話を公表しなかった。同紙と記者にとっては大きなニュース価値があるものの,関係者の安全は守らなければならないことは分かっていた。他のいくつかの報道機関も,この記事の一部の要素を報道していた。ペルティエ氏の記事は,人質がイランを出国したと彼が知って すぐに1月29日に掲載された。
しかし,彼の作戦暴露により,米国は人質事件が続く間は6人の米国人を秘密裏に収容する計画を中止しなければならなくなった。「アルゴ」の話は大騒ぎになったが,CIAの役割は当時の米国とカナダの両政府によって秘密にされていた。
彼らは残りの人質の安全を確保したかった。
CIA の完全な関与(full involvement)は,記録が機密解除された(declassified) 1997 年まで明らかにされなかった。
ジミー・カーター大統領は,行方不明のアメリカ外交官全員が人質に取られていると交渉目的で公式に主張していたので,6人が救出されたというニュースは国民にとって完全な驚きだった。
カナダ人の行動に対する米国人の感謝の気持ちは,数多くの米国のテレビ関係者や一般国民によって広く示され,特にテイラーへの感謝の意を認めた。
カナダの国旗が全米の多くの場所に掲げられ,広告「ありがとう」の看板が掲載された。
In popular culture/大衆文化で
1981年,ラモント・ジョンソン(Lamont Johnson)監督,ゴードン・ピンセント(Gordon Pinsent)がケネス・D・テイラー(Kenneth D. Taylor)を演じ,“The Canadian Caper”(カナダの策謀)についてのテレビ映画『イランからの脱出:カナダの策謀(Escape from Iran: The Canadian Caper, directed)』が製作された。この映画はトロントとその周辺で撮影され,米国とカナダの共同製作だった。この事件についての子供向け絵本『Escapes!』は,2013年エリック・ホッファー賞(Eric Hoffer Award)受賞者のローラ・スカンディフィオ(Laura Scandiffio)とスティーブン・マクイーハーン(Stephen MacEachern)によって書かれた。
この出来事に基づいて,批評的にも商業的にも成功を収めた映画『アルゴ(Argo)』が,2012年10月12日に北米の映画館で公開された。映画では,ジョン・シアダウンとその妻ゼナの役は長さとコストの理由から省略された。この映画には事実とフィクションの両方の要素が含まれている。
特に,この映画は作戦においてCIAが果たした役割に主に焦点を当てており,カナダ人の広範囲にわたる関与や戦略や準備へのカナダ人の分担は最小限に抑えられている。
ジミー・カーター元大統領も2013年のインタビューでこのことを認め,同時にこの映画を賞賛した。
さらに映画では,6人の米国外交官が英国とニュージーランドの大使館から拒否されたと誤って述べられている。米国外交官らは,武装勢力が外交官らを捜索し,英国大使館と対峙していることが明らかになるまで,英国の外交官邸で一夜を過ごした。
関係した外交官全員が,カナダ大使公邸の方が彼らを保護するのに適しているとの意見で一致だった。
『アルゴ』は、2013年2月24日に開催された第85回アカデミー賞で作品賞を含む 3つのオスカーを受賞した。
歴史家のロバート・ライト(Robert Wright)も,著書『テヘランの私たち人間(Our Man in Tehran)』(2010年)の中でこれらの出来事を取り上げている。2013年には同名のドキュメンタリー映画も公開された。
また,英国の人気ドキュドラマ(docudrama)・テレビ・シリーズ『史上最悪の地球の歩き方』(Banged Up Abroad)では,2014年にシリーズ 9エピソード “The Real Argo” の焦点としてこの物語を特集した。
(転載了)
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実際には「空港の保安検査を難なく通過した。」とありますが,映画では 空港に緊張する場面を集中させています。
「本国での作戦中止決定による航空券キャンセル」,「『スタジオ・シックス』への電話確認」,「面割れによる滑走路での追跡」など。
尚,映画「アルゴ」で ベン・アフレックが使っているショルダー・バッグは 英国 ‘Brady’ 社の “Gelderburn” を元に ‘Brady’ と ‘The Sportin Lodge’ がコラボして,この映画のベン・アフレック用に作った ‘Brady Westmorland Special Edition “Argo” Day Bag’ です。
No.入りの同製品が販売されましたが 情報入手が遅れ 買えませんでした(ーと,書いておこう)。
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