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2023年10月31日 (火)

アカプルコをハリケーン “Otis” が急襲,被害甚大。

npr’ のサイト,October 29, 2023付けで
Hurricane Otis death toll rises to 43 while searchers comb through debris in Acapulco
「ハリケーン・オーティス,アカプルコで捜索隊が瓦礫をかきわけ,死者数が43人に増加」
の見出し記事を紹介します。

以下,拙訳・転載します。
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メキシコ・アカプルコカテゴリー5のハリケーン・オーティスがメキシコの南太平洋沿岸を直撃し,少なくとも43人が死亡したと,死者数が増え続ける中,被害の大きかった(hard-hit)ゲレーロ州知事は日曜日に発表した。

エブリン・サルガド知事は,Xで,行方不明者の数も前日の10人から36人に増加したと述べた。この増加は,当局が土曜日に死者数(toll)を39人に引き上げたことを受けて行われた。

アカプルコでは,カテゴリー5の強力なハリケーンによる泥や瓦礫(debris)で塞がれた(clogged)道路を政府職員やボランティアらが撤去する一方,家族らが日曜日に死者の埋葬を開始し,必需品の捜索を続けた。

捜索隊がアカプルコの港や倒木,その他の嵐の瓦礫の下からさらに遺体を回収したため,より多くの資源が到着していた。

アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(Andrés Manuel López Obrador)大統領は土曜日,反対派が同氏に政治的ダメージを与えるために死者数を水増ししようとしているが,数百世帯が愛する家族からの連絡を待っていることから,死者数は今後も増加する可能性が高いと述べた。

オーティスは水曜日の早朝,人々が準備する時間がほとんどないほど急速に強まった後,破壊的な時速165マイル(時速266キロ)の風を伴って海岸に上陸した。

クリスチャン・ベラさんは土曜日,アカプルコの海岸に立って,自分の船3隻を含む数十隻の沈没船を眺めていたが,そのすべてがブイか浮いているか,水面から突き出ているだけだった。

メキシコの太平洋沿岸を猛烈な勢いで通過したオーティスで暮らし(livelihood)を失ったにもかかわらず,44歳の漁師は幸運を感じていた。その日の早朝,彼女は水から引き上げられた遺体を目撃し,家族が愛する人を探して行き来するのを目撃した。

多くの人がボートに乗って出航したが,熱帯低気圧(tropical storm)として始まったこの嵐は,わずか 12時間でカテゴリー 5 の壊滅的なハリケーンにまで拡大した。

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ベラさんは他の4人と交代で,浮力を得るために空のガス水差しを持って泳ぎ出し,浅い港から沈没したボートを引き上げようとした。

ゴミや倒木が散乱する浜辺に横倒しになった,自分と同じような小さな木造漁船にもたれかかりながら,亡くなった人の中には船の世話をしていた漁師か,所有者から雇われたヨットの船長もいたと説明した。 オーティスがまだ熱帯暴風雨だったときに,彼等にはボートが大丈夫であることを確認する必要があったのだ。

「その夜,私はとても心配だった。私はこれで生活しており,これで子供たちに食事を与えているからだ。」とベラさんは語った。「しかし,風の強さを感じ始めたとき,私はこう言った。『明日はボートに乗れないが,神の意志があれば,アカプルコはまた別の日を迎えるだろう。』」

土曜日,軍関係者とボランティアがアカプルコの主要な観光地沿いで作業を行い,サルガドは日曜日,大通りから瓦礫を撤去したと発表した。

しかし,都市の周縁部(periphery)では,地区は廃墟(in ruin)のままだった。 サルガド氏はまた,国営電力会社がアカプルコの家庭や企業の58に電力が復旧し,21台の給水車が郊外に水を配っていると報告したと述べた。

援助はなかなか届かない。 嵐の破壊により,初日は人口約100万人の都市が遮断され,オーティスは火曜日に急速に激化したため,事前の準備はほとんど,あるいは何も行われなかった。

この地域の軍隊の駐留は15000人に膨れ上がった。ロペス・オブラドール大統領は軍に対し,略奪(looting)や強盗を阻止する(deter)ために市内に検問所を設置するよう求めていた。

同氏によると,連邦民間防衛局は嵐によって被害を受けた住宅を22万戸と集計した。

(転載了)
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TVの映像を見ると ビルが爆撃を受けたように壊れていました。
ハリケーンというより竜巻の後のような状況でした。

風速は 時速 266km74mps,瞬間風速としても 相当な値です。

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