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2023年11月 1日 (水)

知らなかった,「関門国道トンネル」の着工は戦前だった。

朝日新聞の投書欄に「・・・ 門司区の関門国道トンネルの出入り口から 500mほど離れた家で生まれ育ちました。工事が難航していたトンネルは戦時中,防空壕に使われました。・・・ 」と84歳の女性が書いているのを読んで,驚きました。

1958年(昭和33年)に完成した「関門国道トンネル」の着工が戦前とは知りませんでした。

Wikipedia には 次のように書いていました。
1938年(昭和13年)9月22日、内務省は、関門国道トンネル工事を1939年(昭和14年)度から4ヶ年計画で着工することを決定した。1939年5月12日、起工式。道路のトンネルは、関門海峡の最狭部である早鞆瀬戸の下に建設されることになり、鉄道より遅れた1937年(昭和12年)に試掘導坑の掘削を開始し[2]1939年に完了。同年、本坑掘削に着工し1944年(昭和19年)12月に貫通したが、トンネルの掘削に適さない地質であったことや、第二次世界大戦の勃発で資材不足に陥り、相次ぐ戦災で1945年(昭和20年)6月ないしは7月に工事を中断するなど、工事は困難を極めた。
その後、1952年(昭和27年)に道路整備特別措置法による有料道路としての工事を再開し、着工から21年の歳月をかけて1958年(昭和33年)3月9日に開通した。

私の記憶では 65年前の完成時,門司と下関を会場とする,完成記念の博覧会が開催され,小学3年生(or 4年生になる前の春休み)の私は 門司会場から下関会場まで トンネルの人道を関門海峡を歩いて渡りました。歩いて通ったのは この1回のみ。(もう1回?)

博覧会の展示に関する唯一の記憶は 自衛隊の戦車で,これを「特車」と示していたことです。「『戦車』じゃないの?」と思いました。
その頃,まだ戦車を戦車と呼んではいけない時代だったのです。
自衛隊で公式に「戦車」と呼ばれるようになったのは この少し後,1961年の「61式 戦車」あたりからと言われています。

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