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2024年3月16日 (土)

英国版 GQ 電子版で 真田広之 を紹介

GQ UK’,‘Culture’ の Mar.7,2024付けに
Shogun star Hiroyuki Sanada has stolen scenes from Tom, Brad, and Keanu. Now it's his turn to rule
「トム,ブラッド,キアヌからシーンを盗んだショーグン・スター真田広之,今度は彼が統治する番」
の見出し記事がありました。

下記,拙訳・転載します。
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俳優,武道家,そして現在はプロデューサーである彼が,壮大なFXシリーズで 用意周到で(calculating) 複雑な武将(warlord)を演じることについて語る

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真田広之の初めてのハリウッドの瞬間は土砂降りの雨の中で訪れた。 エドワード・ズウィック(Edward Zwick)監督の 2003年の戦争大作『ラスト サムライ』で恐ろしい(fearsome)家来役を演じた彼は,日本の小さな村で見つめる見物人の前で,トム・クルーズ演じる捕虜の米国軍人に木刀での決闘を挑む。ほんの数回の激しい打ち込みで,彼はクルーズの仰向けに(flat on his back)倒し,頑固な(stubborn)相手(counterpart)が負けを認めること(concede)を拒否するたびに屈辱を与え(humiliation)続けた。 それはおそらくこの映画で最も感動的な瞬間であり、クルーズ演じるキャラクターの身体的および精神的な回復力の汗だく(soaking-wet)の証しである。しかし,脅威(menace),尊敬(respect),そして懐疑(disbelief)の色合いを同時に反映し,忘れられない印象を残すのは真田だ。

「あのシーンはハードだった -泥の中での2日間の撮影と戦いだった。」と真田はGQに語った。「我々は長い時間を一緒にトレーニングした。素晴らしい経験だった。」

数分間のシーンにわたって,真田は観客に彼の多様な技術(skill set)を垣間見せた - つまり,無名の戦士を重力(gravitational forces)に変え,世界最大の映画スターのシーンを盗むことができるものだった。それ以来,彼は映画製作者たちの頼れる日本の武道家として,ハードコアなアクション映画,コミック・ブックのスペクタクル,そして高い評判のテレビを通じて活躍してきた。これには、『47 RONIN』,『アベンジャーズ/エンドゲーム(Avengers: Endgame)』,『ウエストワールド』、そして最近では『モータルコンバット(Mortal Kombat)』,『ブレット・トレイン(Bullet Train)』,『ジョン・ウィック:コンセクエンス(John Wick 4)』など,キアヌ・リーブス,ブラッド・ピット,香港のレジェンド,ドニー・イェン(Donnie Yen)らとスパーリングやチームを組む映画への出演も含まれる。

恐ろしい(fearsome)登場から 20年以上が経った今,真田は個人的なマイルストーンを達成し,FX の新しい 10部構成のシリーズ『SHOGUN 将軍』 で初のプロデュース・クレジットと主演を獲得した。このシリーズは,ジェームズ・クラベル(James Clavell)による1975年の小説を基にした野心的な歴史ドラマである。『ゲーム・オブ・スローンズ(Game of Thrones)』の規模,範囲,宮殿の陰謀(intrigue)を共有しながら,「さむらい」の道を採用する前に富を求めて17世紀初頭に封建時代の日本に上陸した英国人船員ジョン・ブラックソーン(John Blackthorne)の物語を紡ぐ。この本は 1980年に初めて翻案されたが,クリエーターのジャスティン・マークス(Justin Marks)とレイチェル・コンドウ(Rachel Kondo)は,この将軍をより日本的な視点で補完し(supplemented),特にブラックソーンの到着を利用して政敵を分断し,家族と同盟者を生かし続ける吉井虎永 (真田) を前景化している。

この役は,正しくヴィンテージのアクション・スター真田ではない。虎永役のこの63歳の俳優は,主に裏取引(back-room dealmaking)のために剣を使いこなし,城壁の内側や島の穏やかな岩だらけの海岸で戦術の専門知識と精神的強さ(vulnerabilities)を発揮する。 「彼はミステリアスかつ戦略家で,パワフルでありながら人間的でもあり,弱さを見せる家庭的な男であり,典型的なさむらいではない。」と真田は低く,ざらついた(gravelly)声で語る。東と西を融合し,母国とその習慣をより本物の表現で伝えたいと熱望していた真田は,プロデューサーである機会を楽しんだ(relished)-彼はこのポジションを,彼のキャリアの中で完璧な時期に来たと信じている。「文化的ドラマを正しく作るいい機会だと思った。」と彼は言う。「それがとても嬉しかった。」

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真田は,ハリウッドでの幅広いキャリアを通じて,しばしばクレジットされていない文化コンサルタントとして活動し,着物の正しい着方,武器の扱い方,特定の歩き方(gait)など,日本の伝統や細部についてアドバイスを提供してきた。しかし,さまざまな撮影現場で,責任者(department heads)に修正や調整を伝えることに徐々に躊躇するようになった。「彼らはプライドがあり,あまり多くを言うのは難しい。」と彼は言う。『SHOGUN 将軍』の場合,真田は感情を傷つける必要はなかった。数年間のプリ・プロダクション期間後,バンクーバーでの10ヶ月の撮影スケジュールを経て,真田はマークスとともに脚本のプロットを手伝い,その後,時代劇映画やテレビで働いていた経験豊富な日本人クルーと衣装専門家を雇った。「責任は私の肩にのしかかったが,プレッシャーはそれほどなかった。」と彼は言う。「私はチームを作ったから。(Because I had a team.)」

複数の(multi-hyphenate)役を演じる他の俳優とは対照的に,真田は,権限委任(delegatory duties)により俳優としてより自由になったと語る。各シーンの小道具やジェスチャーの正確さを気にすることなく,「自分の役に集中することができた」と彼は言う。「演技の部分はご褒美(reward)だった。」 また,撮影現場での彼の日々の雑用が、アシスタントを監督し,必要に応じて知恵や情報を提供するという,政治的および戦いの戦略家としての虎永自身の役割と重なっていたことも助けとなった。「すべてを準備した後,(役柄に)飛び込むのは簡単だった。」と彼は言う。「そのような感情を今まで感じたことはなかった。おそらくプロデュースと演技は私にとって良いバランスなのかもしれない。」

真田はほとんど映画のセットで育った。5歳から俳優として活動を始めた。さまざまなサウンド・ステージから湧き出る騒音 監督たちの怒鳴り声(yelling),セット作業員のドリル作業,照明のブンブン音が「私の子守唄だった。」と彼は言う。「他の仕事はやりたくなかった。他の仕事については考えたこともない。それは私にとってとてもシンプルで自然なことだった。」 学業に専念するための短期間の活動休止(hiatus)後,ソニー・千葉(Sonny Chiba)のジャパン・アクション・クラブに加入し,そこで格闘技を習得し,身体能力に優れた(physically-gifted)俳優として成長し始めた。その後30年にわたり,彼は香港の映画に出演し,ミシェル・ヨーやジャッキー・チェンと共演し,その後も『たそがれ清兵衛(The Twilight Samurai)』や『リング』などの人気映画に出演した。しかし,真田は師(mentor)である千葉のアドバイスを決して忘れなかった。「彼は常に将来の世界市場を見据えていた。」と真田は言う。「彼は私に多くのインスピレーションを与えてくれ,将来的に他の素晴らしい俳優や監督とどのように仕事ができるかを考えるようになった。」

彼の最初の海外進出はロンドンで,そこで真田は1998年の日本の舞台「ハムレット」に出演した。公演の1つ後,プロデューサーのナイジェル・ホーソーン(Nigel Hawthorne)により ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの『リア王(King Lear)』公演への出演をオファーされ,彼は驚いた。彼はキャリアが終わるまで - あるいは少なくとも自信を持って流暢に英語を話せるようになるまでは- 英語を話す舞台の役を演じることになるとは思っていなかった。「怖かった。人前でやる経験がなかったので。」と真田は言う。「しかし,プロデューサーたちは『あなたは日本人である前に俳優だ。』と言った。」彼らのメッセージが「私の頭の中でゴングを鳴らした(a gong in my head」と彼は言う。彼は,そのオファーを断った場合,10年後の自分のキャリアがどのようになるかを考えた。彼が「人生最大の挑戦」に乗り出すまで,それほど時間はかからなかった。

「その経験は,文化を混ぜ合わせて,誰も見たことのない新しいものを作ることがいかに重要であるかを私に多くのことを教えてくれた。」と真田は付け加えた。「将来的にはそのような国際的なプロジェクトに挑戦する(take on)ことにした。」

真田は,もし『リア王』に参加していなかったら,『ラスト サムライ』のオーディションを受けることはなかったかもしれないと推測している。世界興行収入45,400万ドルを記録したこの映画は,白人男性の視点から語られるが,真田は,戦士・氏尾を演じることが,ハリウッドの稀有なサムライ作品に真実味(authenticity)を加える唯一のチャンスだと感じた。「たとえこれが私にとって最初で最後のハリウッド映画だったとしても,私たちの文化について何かが間違っていると感じたら,何かを言う必要があった。」と真田は言う。「それが当時の私のモチベーションだった。」 最近出版された回想録の中で,ズウィックは この俳優が大きくステップ・アップしたことを回想している。「私は真田の格闘技における豊富な経験を頼りにした(count on多くの戦闘シーンの演出を助けてくれた。」と監督は書いている。

最終的に、業界が注目した。 氏尾は,真田の将来の数多くのプロジェクトの青写真となり,彼の剣術(swordplay)と,ほとんど同業者が真似できない圧倒的でストイックな存在感を密かに表現する(smuggle)能力で映画製作者たちの興味を惹きつけた(intriguing)。彼の名誉のために言っておくが,真田は常に洞察力のある(discerning)目で各役に取り組み,役柄とドラマに合わせて(in tandem)スタントを確実に実行できるように努めていた。『ジョン・ウィック:コンセクエンス(John Wick 4)』でのホテル・オーナー役など,短い出演であっても,シリーズ初出演にもかかわらず,真田はウィックと旧知の仲であると思わせる。「秘訣は,とても重量感のある(gravitas)人物をキャスティングすることだ。」とチャド・スタエルスキ(Chad Stahelski)監督は昨年私に語った。「広之は生活の中で,日本学の教授である。彼は自分の文化を愛し,自分の仕事を愛しており,これまで出会った中で最も高潔な(honorable)人間だ。」

ある意味,『将軍』は俳優としての真田の強さが厳密には鎧に依存していないことに気づかせてくれる。 第3話のあるシーンで,英国人水先案内が船から湾に飛び込む方法をブラックソーン(Cosmo Jarvis)に教え,彼とブラックソーン(コスモ・ジャーヴィス)は 親密関係を築き,虎永が折れて追いかけるまで何度も海に飛び込む。それは彼の領主としての見せかけを引き上げ,彼を再び若々しい人物に変えるジェスチャーである。「幸運なことに,ジャンプは 1回だけで済んだ。」と真田さんは,その日の撮影中の気温の低さを思い出しながら語る。「これは非常に重要な瞬間であり,彼らの相棒時代(buddy era)の始まりだ。」 これは,シリーズに対する真田の意図を知る窓でもあり,堂々とした日本人のキャラクターの多重性(multiplexity)を強調している。「それが 私が見せたかったものだ。」と彼は言う。 「人間だ。」

より多くの役や今後のプロジェクトを検討する中で,真田はより多くのプロデュースの機会を追求し,「日本人のタレントと物語を世界に紹介したい」と考えている。 彼はまた、将来を見据えて海外でより多くのインセンティブを構築することで,千葉の知恵を伝え,若い俳優たちにインスピレーションを与え続けたいと考えている。「少しずつ壁を壊し,扉を開けてきた」と真田は振り返る。ロサンゼルスに住んで 20年を経た彼は,自分の新たな指導的役割と,文化の正確さへの生涯にわたる献身が注目されることを望んでいる。「『SHOGUN』 は未来への大きな一歩で,東と西をつなぐ大きな架け橋となるだろう。」と真田は言う。「この橋をより硬く,強く,そして滑らかにしたい。」

(転載了)
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