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2024年6月11日 (火)

英国でも 『ゴジラ-1.0』がヒット,その理由は?

GQ-UK’ の CultureJune 5, 2024付けで
How Godzilla Minus One became a monster hit on a shoestring budget
「『ゴジラ-1.0』がいかにして低予算で大ヒットを記録したか」
の見出し記事がありました。

下記,拙訳し,転載します。
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The Japanese action movie is now sitting in the number one slot on Netflix UK
日本のアクション映画がNetflix UK1位にランクイン

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Netflix が『ゴジラ-1.0』の配信が間もなく開始されると発表したとき,ストリーマーは,ちょっとしたことで大きな効果が得られることを痛感した。このニュースをほのめかすツイートは,ほんのささやかな宣伝(breadcrumb)だった:テキストはなく,ゴジラの爬虫類の頭が太平洋の海から突き出ているスクリーンショットを添えたものだった。そして,それでも,何千人もの視聴者がすべてを放り出して Netflix を起動し,落ち着いて(settle in)懐かしい怪獣アクション(ol’ Kaiju action)を楽しむ(revel)には十分だった。

この映画は間違いなくヒット作であり,先週公開されて以来,ストリーミングのナンバー・ワンの座を楽々とキープしている(sitting comfortably)。口コミ(word-of-mouth)の力によるところが大きい。『ゴジラ-1.0』は昨年の冬に映画館で公開されたとき,予想外の成功(surprise success)を収め,噂されていた1000万ドルという驚愕の(jaw-dropping)予算に対して,世界中で11500万ドルを稼ぎ出した。

この映画は静かに公開されたが,ネット上では,これはただのゴジラ映画ではなく,本当に素晴らしい映画だという噂が広まった。日本の東宝が制作したゴジラ映画は,一般には観客は字幕を読めないと思われるため,国際的にはニッチなアートシアター映画として軽視されている(brushed off)が,『ゴジラ-1.0』は,高層ビルを倒す(toppling)怪物のように,それらの壁を軽々と打ち破った(smashing)。

Netflix でのこの映画の勝利は,デジタル版と物理版のリリースが極めて(arduously)遅かった後にも起こり,意図せずして(inadvertently)『デューン 砂の惑星PART2Dune: Part Two)』を抑えて 今年最も海賊版が作られた映画となったが,それほど意外ではない(not-so-surprising)。誰の目から見ても,『ゴジラ-1.0』は 夏の必見の(must-see)ストリーミング・イベントだ。『ゴジラ-1.0』の成功に秘密はない - そのクオリティがすべてを物語っている。

当然ながら,日本はハリウッドよりもゴジラ映画の出来がはるかに良い。それはおそらく,両者の優先順位が異なるからだろう。『モンスター・ヴァース(Monsterverse)』シリーズはストーリーよりもスペクタクルを重視し,人間的要素を退屈なつなぎ(filler)に落とし込み,良い部分にたどり着けるようにしている。(ゴジラとコングの映画の登場人物を 1人でも挙げることができるか?)

東宝は完璧な実績を残しているわけではないが,本物の緊張感(real stakes)を与えるキャラクターを登場させ,真に魅力的な災害映画(disaster movies)を制作するリズムに落ち着いたようにみえる。『ゴジラ-1.0』の2016年の前作『シン・ゴジラ』(無関係)は滑稽である(farcical)。怪獣が東京を破壊したとき,日本の官僚政府が効率的に行動できないことを描いた,コメディである。
そして『ゴジラ-1.0』は,多くの点で,考える人間のゴジラである:戦後の日本政府が国民を無謀に(recklessly)扱った後,人々が命を大切にすることを学ぶ壊滅的な叙事詩的(devastating epic)映画である。

物語の中心人物は,元神風特攻隊員の敷島浩一。彼は犠牲となる任務を放棄し,恥辱の中,東京に戻る。彼は家を再建し,間に合わせの家族を養子に迎え、勇敢な(plucky)掃海艇(minesweepers)チームとともに巨大な怪物と対峙する。生きることを選んだのだから,彼が生き延びることを願うばかりだ。
ゴジラが戻ってくるのを待ち焦がれてこれらの映画を観ているのではなく,ゴジラの復活を恐れているのだ。『ゴジラ-1.0』 と 『シン・ゴジラ』は,タイトルの怪獣(titular kaiju)よりも大きくて重いアイデアに取り組んでいる。これは『モンスター・ヴァース』にひどく欠けているものであり,それをすべてわずかなコストで実現している。

皮肉なことに,は,小さな怪獣映画が実現したような感じがする。脚本家兼監督の山崎貴(視覚効果(visual effects)の監督も務めた)と彼のチームは,あらゆる場所に持ち込んだ愛らしいフィギュアで賞シーズンを勝ち取った - オスカー賞で展示された怪獣のドリップは言うまでもない。
しかし,この映画の魅力的な背景と表面上は小さなサイズにもかかわらず,『ゴジラ-1.0』は苦労して得た哀愁に支えられ,大ヒット映画製作と同じスリルを味わっている。火,破壊,混乱の中で,山崎の物語は生存と名誉についての考えと格闘し,どんな人間も小さすぎるとか取るに足りない(inconsequential)とかいうことはないと主張している。

『ゴジラ-1.0』が世界中の注目を集めたのも不思議ではない。より大きな目的のために団結する(rallying together)ことほど満足させられるものはない(gratifying)。

(転載了)
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深い「ゴジラ映画」の見方をしています。

shoestring” は「靴紐」ですが 名詞と形容詞で 「〔資本・財源が〕靴ひもを買える程度の(金),わずかの(金)」の意味があります。

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