日本の温度単位は いつから 摂氏になったか?
7月20日の朝日新聞・声(投書欄),「あの日 あの時」(過去の投稿から)に『暑中休暇』と題する 1920年(大正9年)の投稿が掲載されていました。教員の夏休みに関する内容ですが,この中に「・・・ 毎日百度以上の温度に ・・・ 」,「・・・去七月二十五日などは自分の学校では実に百五度八分を示した。・・・ 」という文章がありました。気温を 当たり前のように 華氏で示していました。
日本の温度単位はいつから摂氏になったのかー
この件に関し,気象庁広報室発行「こんにちは!気象庁です!」の平成21年(2009年)4月号 『5月の気象/摂氏と華氏』に次の一文がありました。
「・・・ 日本における気象観測の気温の単位に摂氏が採用されたのはいつ頃なのでしょうか。昭和50年に気象庁が編集・発行した『気象百年史』によると,明治15年(1882年)5月に内務省・陸軍・大学等で構成される委員会により,気象に用いる単位系としてそれまで使われていたイギリス式(長さはインチ,気温は華氏)とフランス式(メートル,摂氏)のどちらが適当かの検討が行われ,同年7月よりフランス式を採用することにしたとあります。その理由として,当時の先進国の学術分野では摂氏が用いられていることや摂氏における氷点0度,水の沸点100度のほうが華氏における氷点32度,水の沸点212度よりも覚えやすいことのほか,温度が広く一般に利用される前に変更した方が影響が少ない,といったことが挙げられていたようです。
実際に当時の観測資料を見ると(図),明治15年6月までは華氏,7月以降は摂氏表記となっており,気象官署ではこの時期に華氏から摂氏に移行したと考えられます。一方,明治19年に内務省が定めた気象観測法によると「万国全時観測報ニハ摂氏及ヒ華氏ノ度ヲ以テ二様二温度ヲ記スヘシ」とあり,しばらくの間は国際気象通報には摂氏と華氏の両方を用いていたようです。
なお,摂氏が広く一般に普及するには少し時間がかかったらしく,少なくとも昭和初期の新聞などではまだ華氏が使用されていたようです。また,委託や篤志により運用していた気象観測所の資料でも,華氏による気温の記録が明治15年以降にも散見されます。これまでの習慣がまだ残っていた(三浦栄五郎「気象観測法講話」(昭和15年)によると,特に夏に華氏が喜ばれる傾向があるとしています。)ことや,海外から輸入した(またはそれを元に日本で作られた)華氏表記の温度計がまだ多かったことが,その要因であったかもしれません。」
公式には 明治時代に 「摂氏」を採用することに決まりましたが,実際には 「華氏」は 昭和になっても新聞に使用されていたようです。
大正9年に 一般的に「華氏」が使われていても不思議はありません。
団塊世代の私(1948年生まれ)は 日本で「華氏」で示された気温を見たことはありません。
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