「ジャッカルの日」のテレビ・シリーズ版が作られる。
男性誌GQの英国版 ‘GQ-UK’ の Culture,July 26,2024付けで
“Inside The Day of the Jackal, Eddie Redmayne and Lashana Lynch’s ambitious new hitman series”
「エディ・レッドメインとラシャーナ・リンチの野心的な新ヒットマン・シリーズ『ジャッカルの日』の内幕」
の見出しで 新しいTVシリーズが紹介されていました。
下記,拙訳・転載します。
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GQは,フレデリック・フォーサイス(Frederick Forsyth)の古典的暗殺小説を ‘Sky’ が再解釈した作品のキャストとスタッフに話を聞いた。
1973年の “The Day of the Jackal”(ジャッカルの日)は,父親たちが通過儀礼として受け継いでいる(pass down as a rite of passage)古典的なスリラー映画の 1つである。そうでなくとも,日曜の午後のんびりとした時間に ‘ITV 2’ で この映画を観たことがあるかもしれない。エドワード・フォックス(Edward Fox)が,タイトルの(titular)ジャッカルを演じる。ジャッカルは,1963年にフランスの過激な(militant)極右勢力からシャルル・ド・ゴール大統領の暗殺を依頼された殺し屋である。
映画の第一幕では,細部にまでこだわる彼の細心の(scrupulous)注意が堪能できる(savours):例えば,無害な部品に分解できる特注の(bespoke)ライフルを購入したり,偽造文書を偽造者(forger)から入手したり,判断を誤った恐喝(extortion)未遂の末に偽造者を素手で殺害したり。 彼は形を変える一匹狼,いや,ジャッカルであり,人を殺すのがいかに上手いかということ以外,我々は彼についてほとんど何も知らない。
ヒットマン映画の数限りない作品(デヴィッド・フィンチャー監督の2023年のオマージュ映画『ザ・キラー』を参照)にその影響が感じられる,非常に豊かなキャラクターは,再解釈されるにふさわしい。ただし,前回は特にうまくいったわけではない:『ジャッカルの日』を現代風にアレンジ(contemporise)しようとした最後の緩い試みは,1997年にブルース・ウィルスとリチャード・ギア主演で行われ,批評家はそれを失敗作(dud)と呼んだ。
しかし27年後,‘Sky & Peacock’ は原作を現代風に再解釈し,政治的分裂と常に存在する世界的危機という緊迫した(fraught)世界にジャッカルを登場させた。脚本は ‘Top Boy’ の脚本家ロナン・ベネット(Ronan Bennett)が書き,シリーズの製作総指揮は ‘Downton Abbey’ のギャレス・ニーム(Gareth Neame)とナイジェル・マーチャント(Nigel Marchant),主演はエディ・レッドメイン(Eddie Redmayne)とラシャーナ・リンチ(Lashana Lynch)が務める。
「我々二人ともこの本が大好きで,子供の頃に映画も見た - 私は人生で何度もこの映画を見てきたが,いつも本当に尊敬していた。」とニームはマーチャントとともにGQに語った。彼らは当初,これほど評価の高い(esteem)原作に取り組むことに慎重だったが,この物語をエピソード形式のテレビ番組で展開することは,断る(turn down)にはあまりにも良い機会に思えた。
「これはとても象徴的で心をつかむ物語なので,それを現代の文脈で再考し,複数のエピソードからなる番組の利点をすべて活かすことは…この非常に尊敬されているIPを取り上げ,このように展開するのは本当に興味深いことだと思った。」
マーチャントも同意する。「この種のタイトルは多くの人々の意識の中にあると思う。そして,そう,これをより大きなキャンバスで伝えることの利点は何だろうか?」
このバージョンで最も明らかな違いは,舞台が現代であるということだ。「過去に留まるとするなら,なぜそうするのだろう? 映画をより良いものにすることはできない。」とニームは言う。しかし,古典的な『ジャッカルの日』スタイルで,レッドメインのヒットマンは,ギャップ・イヤー社のインターレイル・パスよりも多くのヨーロッパの都市を駆け巡っている。
ということで,このシリーズはミュンヘンのジャッカルから始まる。すぐにジャッカルだとわかるわけではない:彼はしわの多い義肢と付け毛,コンタクトと付け歯を装着し,年配のドイツ人門衛(janitor)に変装している。これは,警備をすり抜けて,分裂的な極右扇動者の選挙本部に入るための方法だが,これ以上ネタバレはできない。
彼は,途中で消音ピストルでスタッフの半分を容赦なく殺害するという必要なことをやり終えると,警察が到着するちょうどその時に,大胆にも屋上から懸垂下降(absailing)で脱出する。雰囲気を説明すると:ミッション・インポッシブルとダニエル・クレイグのボンドが本当に暴走したような感じがする。
1対1で対応してないが,原作と映画のファンも心配無用-全体を通して原作と映画の両方に対する敬意がはっきりと感じられ,このバージョンはストーリーがテレビ用に拡張されているものの,大まかに同じ筋書きをカバーしている。ジャッカル自身については,レッドメインの演技はフォックスの古典的な演技を思い起こさせると同時に,彼自身の作品のように感じられる。「フォックスの演技は,子供の頃とても好きだったので,いつも心に残っている。」とレッドメインはGQに語る。
「しかし同時に,観客には,この社会病質的な(sociopathic)冷たさと,人生と幸福を望む人間との間で揺れ動けるようにしたかった」。彼は,オマージュの明確な例としてナタリー・ハンフリーズの衣装デザインを指摘する。「彼女はオリジナル映画のダンディで少し孔雀のような性質について具体的に語り,我々はそれらの要素をどのように維持したいかについて話した。」とレッドメインは言う。
「オリジナル(映画)を知っていれば,番組を通して隠されたシーンを楽しめる(get these Easter eggs)-セリフのいくつかは完全に一致しているし,シーンは文字通りオリジナルからショットごとに撮影されている。」とマーチャントは言う。「だから,知っていれば途中でお楽しみがあり,オリジナルを愛する我々にとってもそれは重要なことだと感じた。」
最初の仕事からしばらくして,おなじみのストーリーが始まる。ダーク・ウェブ上の謎の顧客候補が,ジャッカルに,彼のキャリア最大の仕事(hit)に退職金級の金額を提示する。(現代の設定を考えると,ターゲットは明らかにシャルル・ド・ゴールではないが,明かせるのはここまで。)そしてシリーズ全体を通して,原作から大きく逸脱するもう一つの点として,ジャッカルの生い立ち(backstory)と,彼が選んだキャリアパスの理由や経緯を掘り下げていく。
(繰り返しになるが,もっと話したいが,私の胸の上に赤いレーザーの点が浮かんでいて(hovering),私は自分の命を大切に思っている。)レッドメインは当初,ジャッカルの背景を掘り下げすぎることに慎重だった。伝統的に,彼について何も知らないことが肝心なのだが-脚本に取り込まれた(won over)。
「エドワード・フォックスの演技は,2時間半にわたって並外れたカリスマ性を持つ謎を描いているため,とても素晴らしい。」とレッドメインは言う。「だから,そのファンとしての私の挑戦は -待てよ,私は,(バックストーリーを)解き明かすことが安易に感じられない方法があると感じた場合のみ,これを引き受けたいと思った。」
ニームは,ジャッカルの過去を探るチャンスが常にポイントだったと語る。「最初から,主人公が幽霊のままの10話構成のテレビ・シリーズは作らないと分かっていた。」と彼は言う。「だから,プライベートな生活,個人的な生活というアイデア,つまり彼がこの並外れた職業の世界と普通の生活を両立させようとしているという事実は,そこから生まれたのだ」。シリーズの後半で,別の登場人物が,この仕事では健康的なワークライフ・バランスは持続不可能だということを彼に告げると,ニームは指摘する。
もちろん,「ジャッカルの日」は,タイトル通りの殺し屋だけを描いた作品ではない。物語の大部分は,スリリングな猫とネズミの追いかけっことして展開され,ジャッカルを追いかけるのは,殺人鬼モリアーティのシャーロック,フランス人探偵クロード・ルベル(1973年,ミシェル・ロンズデールが演じた)である。この新しい映画化では,このキャラクターは,MI6の狡猾なエージェント,ラシャーナ・リンチ演じるビアンカとして再考され,対テロ訓練と銃器の専門知識により,ジャッカルの理想的な引き立て役となっている。(リンチの最近の役柄との関連を思い浮かべるかもしれないが,この地に足の着いた官僚的な英国国王陛下のシークレット・サービスの構想は,ボンドとはほとんど似ていない。)
「権力のある立場にある,または権力のある組織で働いているキャラクターがいる場合,女性が2つのタイプ,つまり強い女性か,何らかの形で乙女に分類されてしまう危険がある。どちらも実際には不公平だ。」とリンチは言う。
「最初の3話で私が読んだビアンカは,弱さ(vulnerability)から生まれた強さを持ち,自分のアイデンティティと仕事の意味について混乱している人物だった・・・ 彼女の世界と存在の中には,本物の人間のように感じるものがたくさんあった。」
ビアンカは,職場の人たちからイライラさせる邪魔者(disruptor)とみなされている;第1話の冒頭で,上司は会議中,メモに彼女を「厄介者(pain in the arse)」と書き殴る。しかし,彼女の不屈の(unrelenting)意欲と献身(commitment)はすぐに成果を上げる。「彼女は人々の限界を押し広げる。彼女は迷惑だ。彼女は止まらない。そして,彼女の限界の押し広げ方は非常に危険だ。」とリンチは続ける。「しかし,彼女は本当に善意の持ち主でもある。彼女は善良な心を持っているが,それをどう使えばよいか知らない。それは演じるのも,見るのも楽しい」。
結局のところ,ジャッカルとビアンカには,当初 彼らが認識していた以上に多くの共通点がある。「この 2人の主人公は、大きな欠陥を抱えた人間でありながら、互いに似たような魅力的な人間でもあり,衝突への一方通行の道を歩んでいるという前提全体が興味深いと思った。」とレッドメインは言う。
「彼らが下している恐ろしい選択にもかかわらず,あなたはこの2人の味方だ。」
『ジャッカルの日』は,11月7日に英国では ‘Sky’ とストリーミング・サービス ‘NOW’ で(米国では‘Peacock’ で)初公開される。
(転載了)
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日本では いつ観ることができるでしょうか?
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