« 灯油購入,18ℓ (配達)¥2,200。 | トップページ | 角度を求める:しばらく考えた,他角形の内角の和は? »

2024年11月 9日 (土)

「鎌倉シャツ」創業者の,5年前のインタビュー記事があった。

2012年に米国に進出し,コロナ禍の2020年末に閉店した「鎌倉シャツ」が 919日に,ニューヨークに店舗を再オープン,約4年ぶりの米国での復活となりました。

2019年に 「鎌倉シャツ」を創業した貞末良雄氏にインタビューした記事が ‘GEAR PATROL’ のサイトに掲載されています。

GEAR PATROL’,April 10, 2019付け
This Japanese Brand Perfected the Button-Down Shirt
「この日本のブランドはボタン・ダウン・シャツを完成させた」
のタイトル記事を 以下,拙訳・転載します。

**********************
共同創業者 貞末良雄氏へのインタビュー。

1990年代初頭,日本の海岸都市 鎌倉のコンビニエンス・ストアの上に小さなシャツ店がオープンした。このブランドの製品は,伝統的なボタン・ダウン・シャツというおなじみのものだったが,そのアプローチは当時としては静かな革命的だった。共同経営者の夫婦である貞末良雄と民子は、工場と直接協力して高品質のシャツを生産し,手頃な価格で直接顧客に販売することを選んだ。鎌倉市にちなんで名付けられた鎌倉シャツは,国内で熱心なファンを獲得し(garnered),2012年にニューヨーク市に店舗をオープンしてからは米国でもファンが拡大した。

貞末良雄にとって,服飾ブランドを所有することは,いわば生まれながら持つ権利(birthright)だった。彼の父親は広島で服飾店を経営し,貞末家は数百年の歴史を持つ織物商だった。鎌倉シャツを設立する前,貞末は,60年代から70年代にかけてアメリカのアイビー・リーグ・スタイルを初めて国内に紹介した伝説の会社,VAN Jacketで働いていた。そこで彼は妻と出会い,スタイルとビジネスについて直接学んだ。数年後,貞末家が独自のビジネスを始めたとき,良雄はシャツを作る工場で働き,民子は店を切り盛りした。

鎌倉シャツは,過去数十年にわたり,最高品質と手頃な価格を提供する最高のブランドとしての地位を確立してきた。半世紀前に販売されていたシャツと同様に,同社のシャツは,スレッド数(thread counts)が100から300100%コットン生地で作られている。外側も内側も同じようにきれいなシングル・ニードル(巻き伏せ本縫い)の縫い目で仕上げられており,天然の貝で作られたボタンが特徴である。近年事業が拡大している一方で,貞末夫妻は尊敬される工場との関係を育み,オール・ジャパンの製造を活用し続けている。

鎌倉シャツは現在,幅広いスタイルを提供しているが,品質と価格は依然として貞末良雄氏の使命を反映している,日本製のカジュアル・シャツは 79から,ドレス・シャツは 89から。価格も魅力的だが,鎌倉シャツのクラフトマン・シップがこれらの衣服を最高のものにしている。ブランドの歴史と,同ブランドがどのようにしてボタン・ダウン・シャツを完成させたのかを知るために,我々は最近 貞末氏に話を聞いた。

Q: あなたのお父上は広島で衣料品店を経営されていましたね。これは若い頃のあなたのファッション観にどのような影響を与えましたか?
A: 人々は他人に好印象を与えるために服を着るのであり,そのために服を買うのだということを私は学んだ。戦後,あらゆるものが不足していたとき,紳士が好印象を与えるためにはどのような服装をすべきかを教えてくれたのは VANだった。

Q: いつからアパレル業界で仕事に就きたいと思ったのですか? また,どのようにして VAN Jacketに就職したのですか?
A: 大学卒業後の最初の2年間は科学者になる道を歩んでいたが,私の体は商人としてのルーツを感じていた。その時点で正直で誠実な商人になろうと決心し,どこも私を雇ってくれなかったときに父が代理店をしていた会社,VAN Jacketで働き始めた。

001_20241001171901

Q: VANで働いていた間に,スタイルに対する考え方はどのように変わりましたか? 会社で役職は変わりましたか?
A: VANのアイビー・ルックの導入により,私の服に対する概念は完全に変わった。ルールのあるスタイルがすべてだった。それは日本にとって新しい概念だった。

Q: アイビー・スタイルの台頭はビジネスにどのような影響を与えましたか?なぜ学校でボタン・ダウン・シャツが禁止されたのですか?
A: 日本は物不足に苦しんでいたが,米国は豊かで物に溢れていた。大人たちは人生に自信を失っていたが,若者たちは米国に憧れ,アイビー・スタイルは若者の心を掴んだ。アイビー・スタイルの人気により,VANは日本でメンズ・ウェアのナンバー・ワンになった。ボタン・ダウン・シャツは不良少年たち(bad kids)のお気に入りの服となり,学校では禁止された。

Q: 1978年にVANが倒産してから1991年に 鎌倉シャツを始めるまでの間,何をしていましたか?
A: VANが倒産したとき,私はGMSgoods movement study)で働いた後,米国のブランドである ‘Villager’で働いていた。そこでプレッピー・スタイルのレディース・ウェア・ブランドの立ち上げを担当していた。しかし,ジョナサン・ローガンが ‘Villager’ を吸収したとき,私は元VANのメンバーの1人が経営する‘Scene’ という会社に移った。

Q: 鎌倉シャツを始めたきっかけは何でしたか? VANでの経験は,初期のビジネス上の決断にどのような影響を与えましたか?
A: 日本のアパレルビジネスは,卸売業者の立場から西洋の服から学ぶことで発展したが,私は工場直販の時代が来ることを知っていたので,小売店を始めた。VANが倒産してから15年経ったが,本物のボタン・ダウン・シャツはどこにも見つからなかったし,‘Brooks Brothers以外には,そもそもボタン・ダウン・シャツを正しく理解している会社はなかった。

VANは,そのわずか 15年前にボタン・ダウン・シャツを 50万枚販売していた。そこで私は,VANの古くからのファンのために,まさにそのボタン・ダウン・シャツを販売するシャツ店を思いついた。その見込み客は 50万人いた。

Q: あなたのブランドが生産するシャツで,あなたにとって最も大切なことは何ですか? ‘Brooks Brothersや ‘Gantのような,米国人に馴染みのあるブランドとの違いは何ですか?
A: ボタン・ダウンの生みの親である ‘Brooks Brothersも,ヨーロッパの傘下に入り,米国人が愛した本物のボタン・ダウンの魅力を失ってしまった。他の衣類と同様に,効率重視の大量生産の波に飲み込まれてしまった。シャツは元々下着だったので,体に合わせた丁寧なシルエットが必要だが,効率を求められる生産ラインでは,そのような細かな配慮はできない。
だからこそ,細かいところまで気を配れる日本の生産ラインこそ,多くのボタン・ダウン・ファンが待ち望んでいたものだと確信した。私も,そんなシャツが欲しかった。

Q: 過去16年間で,御社のビジネスはどのように変化しましたか? スタイルに関する世間の見方の変化は,ビジネスに影響を与えましたか?
A: ファッション・スタイルは変化するが,フォーマルなどの機会がなくなることはなく,常に需要がある。当社は一貫して高い基準を維持し,品質をさらに向上させるために全力を尽くしてきた。高品質を求める人々の欲求は,決して衰えることはない。

Q: ニューヨークに店舗をオープンする決断について教えてください。これでボタン・ダウンの物語は完結するのでしょうか?
A: 日本のブランドが洋服を国際市場に売り込むのは難しいだろうとわかっていた。しかし,古き良き時代の本物のボタン・ダウン・シャツを作れるのは,世界中のどこのブランドでも,米国のブランドでも無理だと思った。そこにチャンスがある(window of opportunity)と感じた。私たちのボタン・ダウンが発祥の地で受け入れられるなら,どこでも受け入れられるはずだと信じていた。

Q: 今後の抱負を教えてください。
A: メイド・イン・ジャパンの技術と品質を後世に伝える職人を育てたいです。また,手作業の工程は残しつつも,できるだけ効率化できる工場をつくりたい。ものづくり(monodzukurimaking things)の創造環境が,人々の憧れ,夢になることを願っている。

(転載了)

*******************

| |

« 灯油購入,18ℓ (配達)¥2,200。 | トップページ | 角度を求める:しばらく考えた,他角形の内角の和は? »

つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 灯油購入,18ℓ (配達)¥2,200。 | トップページ | 角度を求める:しばらく考えた,他角形の内角の和は? »