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2024年11月21日 (木)

現役時代の海外出張での いくつかの記憶

1972年から2013年の 42年間のサラリーマン時代,何回かの海外出張を経験しました。
その間,記憶に残っていることー

羽田発 成田着
  1978年 初めての海外出張先は ポルトガルでした。
  本来の日程なら 完成直後の 成田空港から発つところでしたが 空港建設反対の過激グループが管制塔を占拠,機器を破壊したため開港が遅れ,羽田から アラスカ経由ロンドン行きで発ち,帰りは 成田空港開港後で アムステルダム発成田行き(南回り)に乘りました。
   当時,ハイジャックが頻繁に(?)発生しており,会社から 南回りは禁止されていたにも拘わらず・・・。

「喫煙は ファーストクラスの喫煙席でー」
   いつまでか 機内での喫煙が可能で 喫煙席が設けられていました。(同じ空間で あまり意味はなさそうだが-)
   ある時,エコノミーの喫煙席を希望しましたが席がなく,禁煙席に座りました
   シートベルトのサインが消え,通りかかったCA(当時は?)に事情を話して 「どこか喫うところは?」と訊いたところ,「ファーストクラスの喫煙席で喫って下さい。但し,喫い終わったら すぐ戻るように・・・」,で,何回往復したでしょう。

米国空港建物から喫煙室がなくなるときー
   米国の空港建物内には喫煙室はありません。その過渡期,シカゴ空港での乗り継ぎ時に 喫煙室を見つけました。
   入口に 「1週間後に閉鎖する」の表示がありました。広い喫煙室には 数人しかいませんでした。

手荷物検査用トレイに靴を-
   2001年9.11同時多発テロの後,米国空港で手荷物検査に並ぶと 皆,靴を脱いで持ち込みバッグなどと一緒に X線検査用トレイに置いていました。
   靴を脱いで履くのが面倒なので 「脱がないといけないか?」とスタッフに訊くと ・・・  脱いでトレイに置きました。
   今でも 靴を脱いでいるのでしょうか?

片道切符で出発-
   通常 海外出張は往復切符で 帰りの便は オープンで出発しましたが,ある時期 片道切符で発ち,帰りは現地で購入していました。
   その理由は - 1971年に円・ドル レートが それまでの ¥360/$ から変動となり そのうち ¥200/$ くらいになった頃,日本ーヨーロッパの片道正規運賃は $1,000(ちょっと自信がないが ) で 日本での購入時,円に換算する時のレートが ¥300/$に固定されていました。 そのため 日本で買うと ¥300,000 で ヨーロッパで買うと 換算 ¥200,000 となるので 帰りは現地購入を会社から指示されていました。
   その頃,クレジット・カードを持っておらず,トラベラーズ・チェックで購入し,現地旅行会社のスタッフが 驚いていました。

19712024ホテルのキーをポケットにいれたまま空港に-
   ポルトガルで リスボンから 車で1時間ほどの町に 3週間ほど滞在しました。
   仕事に出かけるときは 必ず キーをホテルのフロントに置いて出かけていましたが,何故か チェックアウトの日,「タクシーが着た」との声で 慌てて出たため キーが 上着のポケット入れたままになっており,そのままリスボン空港に着きました。
   旅行のガイドブックに,キーを返し忘れたときは 郵便ポストに入れればよい ーと書いていたような気がしましたが,持ってきたキーには プレートに部屋番号だけで ホテル名がありません。空港の Information Desk に ホテル名を言って預けました。無事 戻ったでしょうか?

出張手当は地域毎に固定ー
  現役時代,ある時から 海外出張も 国内出張も 一旦仮払いを受け,帰国後 領収書に基づく実費精算となりましたが,長い間 出張先の地域によって 一定の出張手当が支給され,ホテル代,食費,その他雑費を それで賄っていました。うまく やれば 土産を買うこともできました。
  そんな時代,ある国際コンソーシアム依頼の仕事で 海外の事務所に滞在しました。
  その期間,夕食は ほぼ毎晩,事務所の英国人,米国人,カナダ人と共にレストランに行っていました。そして その支払いは 一番若いカナダ人が いつもクレジット・カードで行っていました。
  彼に 言わせれば このプロジェクトのメンバーの食費を含めた滞在費は コンソーシアムが払うことになっているので 誰が支払っても まとめて請求するので 同じことー でした。インターナショナルには 実費精算が当たり前で 彼は 毎週 領収書の整理をしていました。
  そして 私は 出張手当から夕食代が浮きました。彼には 言っていません。厳しく考えれば 横領?  

ロシア入国は シングル・ビザ
   ロシアに 4ヶ月間に 3回出入りしたことがあります。(行先は サンクトペテルブルクで モスクワを経由すると,Domestic で英語の案内がなく,間違えてシベリア行に乘るのは怖いと思い,全て フランクフルトで乗り継ぎ)
   ロシアに入国するためのビザは 毎回 取る必要がある シングル・ビザで 帰国すると すぐに次回入国のためのビザを申請する必要がありました。しかし,同じ事務所で仕事をしていた米国人,英国人,カナダ人は マルチ・ビザでした。
   たまたま 現地のバーで遭ったロシア外務省の若い役人に 「何とかならないのか」と言ったところ 「日本もロシア人に シングル・ビザしか発行しない。」と言われました。もっともなことでした。

経由地で降りるとき,預け荷物が心配
   ドバイへの日本からの直行便がない(おそらく)頃,ドバイに出張しました。
   シンガポールで ドバイ経由ロンドン行に乗り替えるという経路でした。
   ドバイに着いて 預け荷物を受け取ろうとしましたが 荷物が出てきません。慌てて傍にいた空港スタッフに その旨 告げました。
    その場所から 乘ってきた飛行機がまだ駐機しているのが窓越しに見えました。スタッフがトランシーバーで連絡をとり 「あった!」(アラビア語?)と返事があり,しばらくして 届きました。
   油断すると ロンドンまで運ばれるところでした。

預け荷物の「行先Tag」に注意
   ヒューストンへの直行便がない頃,LA で乗り継ぎました。
   LAでのヒューストン行のチェックイン時,スーツケースにスタッフが付けた「行先Tag」を何気なく見ていると “HOU” ではない文字,おそらく “DFW” とあり,思わず “It's wrong!” と叫びました。気が付かなければ 荷物はダラスか どこかに飛んでいくところでした。

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