ビートルズのアルバム,ランキング
男性誌GQ の英国電子版 ‘GQ-UK’,Apr.2, 2025 付け
“Every Beatles album, ranked”
「ビートルズの全アルバムのランキング」
のタイトル記事を 下記,拙訳・転載します。
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1本のビートルズの伝記映画(biopic)より素晴らしい(fabber)ものがあるだろうか? 4本だ。少なくとも,それがサム・メンデス(Sam Mendes)の論理だ。彼は、メンバー 1人につき 1本ずつ,2028年4月にビートルズの映画 4本を製作する契約を結んでいる。リバプールの最も音楽的な息子たちを演じる俳優が誰なのかは,何ヶ月も前から噂やほぼ確定事項となっていたが,今や疑いの余地なくラインナップが決まった:ジョン・レノン役のハリス・ディキンソン(Harris Dickinson),リンゴ・スター役のバリー・コーガン(Barry Keoghan),ジョージ・ハリスン役のジョセフ・クイン(Joseph Quinn),そしてポール・マッカートニー役のポール・メスカル(Paul Mescal)だ。
これは,音楽界で おそらく最も強力なアルバム・カタログをもう一度見直す良い口実である。ビートルズは,言うまでもなく,その完璧な(bulletproof)作曲レベルとスタジオでの果てしない考案(invention)の両方で,ポップを何度も作り直した。そして,彼らはこれを数十年ではなく,わずか 7年で行った:これが,彼らの最初の正式なスタジオアルバムを最後のアルバムと分けるもので,その間には世界的に認められた傑作が 6枚ほどある。これが我々のランキングである;議論は歓迎する。
12) Yellow Submarine (1969)
ある意味,ビートルズのカタログに本物の駄作(dud)があるというのは安心できる。彼らは非常に才能があったが,絶対的な存在ではなかった。彼らも私たちと同じ人間だったのだ。‘イエロー・サブマリン’は、同名の楽しいアニメ映画の,少々中途半端な(half-arsed)サウンドトラックだ。
ここにはビートルズの新曲は 4 曲だけ,その中には「オンリー・ア・ノーザン・ソング(Only a Northern Song)」と「イッツ・オール・トゥー・マッチ(It’s All Too Much)」の2 曲があり、この 2 曲はジョージ・ハリスンが書いたサイケデリックな狂気の(freakouts)曲だ。以前にリリースされた “Yellow Submarine” と “All You Need Is Love” が A面を締めくくり,B面はジョージ・マーティンの素敵だが安っぽい(nice-but-chintzy)映画音楽からの抜粋が使われている。
11) With the Beatles (1963)
さて,話を最初に戻そう:ビートルズが1963年から1965年にかけて立て続けにリリースした5枚のアルバムである,彼らのキャリアは急上昇中(vertical take-off)だった。この頃,彼らは,堅苦しく練習されたカバー曲中心のクラブ・バンドから,ライブ・ショーで観客の叫び声にかき消されてしまうほど熱狂的に愛されるグループへと移行していった。
“With the Beatles” は彼らの2枚目のアルバムである:14曲の短く鋭いロックンロールで,その約半分はミュージシャン自身が作曲したもので,その中には ローリング・ストーンズが最初に録音した “I Wanna Be Your Man” も含まれているが,ここでは リンゴがブルージーな熱意で(bluesy gusto)歌っている。(ブルースといえば,チャック・ベリーのカバー “Roll Over Beetoven” も楽しい。)
10) Beatles for Sale (1964)
4枚目のアルバム,これはひどい(gnarly one)。タイトルと陰鬱な(moody)カバーは,この時点でバンドが絶え間ないツアーとレコーディングで疲れ果てていた(run ragged)ことを暗示している(hint)。音響的にも(sonically),このアルバムにはダーティーさがある - スタジオでの実験(experimentation)が増えたことで,ダーティーさが和らぐどころか強調され,独特のブルージーでカントリー・ミュージックのフィルターを通った。ボブ・ディランと出会い,マリファナ(weed)に出会ったことで,ハード・エッジで内省的な(introspective)曲が生まれた - “I’m a Loser” や “Baby’s in Black” は,タイトルが示唆するように,バンドのいつもの陽気さ(cheeriness)とは大きくかけ離れており,初期の作品とは一,二歩異なる。
9) Help! (1965)
このアルバムが収録されている映画は,世界を縦横無尽に駆け巡る(romp)不均一で無茶苦茶な冒険物語(madcap)(あらすじは語る価値すらない)だが,このアルバムは,ビートルズの最も不朽の名曲の一つとなった “Yesterday” に弦楽四重奏がオーバー・ダビングされており(overdubbed),ポップ界の革新者としてのバンドの真価を十分に発揮している。
バンドの帝国時代(imperial phase)の始まりを告げた “Rubber Soul” の前の最後のアルバムとして,このアルバムには “Ticket to Ride” のどもった(stuttering)ドラムビートなど,天才的なひらめきが十分に表現(fleshed out)されていない点に,紛れもない魅力(undeniable charm)がある。
8) Let It Be (1970)
これはビートルズの最後のアルバムである。“Abbey Road” より前に録音されたが,正式に解散してから1ヶ月後の1970年5月にリリースされた。そのため,最も輝かしい芸術的パートナーシップの1つが,敵意と(おそらくさらに悪い)無関心(apathy)の混沌の中で解散した(dissolved)ため,必然的に憂鬱な色合い(inevitable tinge of melancholy)を帯びている。
このバンドが録音したほとんどの曲と同様に,ここでの音楽は素晴らしいが,前作の最高レベルには達していない。音響トリックに重点が置かれておらず,スーパープロデューサーのフィル・スペクター(Phil Spector)がいくつかのトラックに加えた合唱とオーケストラはビートルズの間で物議を醸した。しかし,壮大な楽器の華やかさをすべて抜きにして “Let It Be” の想像できるか?
7) A Hard Day’s Night (1964)
まず,このアルバムのタイトルと同じ映画は(“Help!” とは違って)素晴らしいが,今日ではやや見過ごされがちだ。名声に対する皮肉な(wry)コメントは,今日リリースされるどのアルバムよりもスマートでメタ的(meta)だ。アルバムは素晴らしい。他のアルバムと比べてかなりポップで、名曲が2曲(特にタイトル曲と “Can't Buy Me Love” ,そしてラテン風味の “And I Love Her” でのリンゴの響き渡るパーカッションへの特別な賛辞)が満載だ。ジョージ・ハリスンの輝く12弦ギターの音は,この時点でのグループの目もくらむような創造力を表現するのに十分だった。
6) Please Please Me (1963)
ビートルズのファースト・アルバムは,まさにビフォー・アフター(before-and-after)だ - 白黒からカラーへと道が開かれた『オズの魔法使い(The Wizard of Oz)』のように - ポップ・ミュージックの世界でもそうであった。このバンドは,ヨーロッパ中のクラブで演奏する数多くのグループのひとつから,文化的センセーションを巻き起こした。 “Please Please Me” は 不変の(fixed)作品だが,かなり偶然的で(contingent)危なっかしい(touch-and-go)場所から生まれた: 数曲のオリジナル曲と数曲のカバー曲で,すべて(シングル曲は別として)1963年2月11日の一日で, 当時このバンドが最もよく知られていたライブ・パフォーマンスと同じくらい猛スピードで(breakneck pace)録音された。 “I Saw Her Standing There” のハーモニー,“Love Me Do” のインストルメンタル・リフ(riff)(この場合はハーモニカを使用)など,バンドのDNAの多くは最初からそこにあった。最後の曲 “Twist and Shout” の最後の不協和音(dissonant jangle)は,音楽がひっくり返ったようなサウンドだ。
5) Revolver (1966)
1965年12月から 1969年9月までの間に,ビートルズはポピュラー音楽の最高傑作に並ぶ 5枚のアルバムをリリースした。これらのアルバムをランク付けするのはほとんど無茶な作業(absurd exercise)である。ほとんど。“Revolver” は 5枚のうちの 2枚目のアルバムで,ビートルズ(the Fab Four)が本格的に奇抜(freaky)になった最初のアルバムである:マリファナの奇妙な一服(odd puff)だけでなく,LSD(acid)の影響が全体に感じられる:奇妙な楽器や奇妙な録音の通常の楽器がある; サウンドは引き伸ばされ,逆再生され,全体的にぐちゃぐちゃにされている(mangled),本当に頭を悩ませる(mind-bending) “Tomorrow Never Knows” のように。欠点があるとすれば,スタジオの革新性と作曲の素晴らしさ (“Here, There and Everywhere” は特に素晴らしい) が他のアルバムほど完全に統合されていないことである。
4) Rubber Soul (1965)
ビートルズの傑作の中で年代順に(chronologically)最初の作品である “Rubber Soul” は,完全に前衛的(avant-garde)ではない唯一の作品であり,そのクオリティは少し控えめ(subtler)で,バンドのルーツと、彼らが晩年に昇り詰めたアストラル界(astral plane)との重要な結びつき(crucial hinge)として機能している。
以前のアルバムは標準的な手法でスピーディーに録音されていたが,このアルバムでは,バンドは時間をかけて技術的な実験を始めた。たとえば,美しい “In My Life” ではピアノ・ソロを半分のスピードで録音してからスピードアップしたり,“Norwegian Wood” ではジョージ・ハリスンがシタールを演奏したりしている。
3) The Beatles (aka The White Album) (1968)
(*aka=also known as,別名)

ビートルズの数ある発明品の中でも,広大で雑然としているが素晴らしい(messy-but-brilliant)ダブル・アルバムは特に印象的だった。公式にはバンド名にちなんで “The Beatles” と名付けられ,真っ白なカバーというミニマルな方法で発表されたという事実は,ほとんどジョークだ:アルバムをかけてみると,決して簡単なもの(straightforward)ではないことがわかる。多かれ少なかれ,既存のポップ・ミュージックのジャンル(当時は存在していなかったジャンルもいくつか)がここでカバーされている;ジョーク・ソング(“Rocky Raccoon”),顎を撫でるような前衛的な曲(“Revolution 9”),完璧なメロディの断片(“Blackbird”)などがある。
2) Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band (1967)
これはまた別の前後の出来事である-おそらくビートルズのファースト・アルバムよりも根本的な出来事である。なぜなら,もし “Please Please Me” が現代ポップスのスタートを切ったのなら,“Sgt. Pepper’s” はアルバムをそのデフォルトのフォーマットとして定義したからである。LPをシングルのコレクションとする頑固な(stubborn)考えは,ここでついに打ち砕かれた(demolished)-しかも,華麗に(with panache)。
面白いことに,コンセプト・アルバムの要素やスタジオのあらゆる革新(“Day in the Life” の,世界を飲み込むようなピアノ・コード)は,“When I‘m Sixty-Four” のように,バンドの両親や祖父母が楽しんだミュージック・ホールのショービジネスを思い起こさせる(harkened)ノスタルジックな歌詞と組み合わされている。とにかく,これは世界で最も有名な音楽コレクションの1つである。ちなみに,“She's Leaving Home” はビートルズ関連の曲の中で最高のシングルとして過小評価されている(underrated)。
1) Abbey Road (1969)
しかし,ビートルズは “Abbey Road” も制作した。これは彼らがレコーディングした最後のアルバムであり,制作中にバンドは解散しつつあった。それにもかかわらず,彼らは最高の状態で(on a high)去っていった。なぜ “Abbey Road” を もっともらしく(plausibly)ビートルズの最高のアルバムと呼べるのか?このアルバムはグループの才能を最大限生かしている(leverages)。ジョージ・ハリスンは “Something” や “Here Comes the Sun” という形で素晴らしいハイライトを提供し,後者ではリンゴ・スターのセンセーショナルなドラム・フィル(drum fills)がフィーチャーされている。
最後の16分間のメドレーは,奇妙で(weird)複雑な曲構成に対するバンドの興味の集大成(culmination)である。このアルバムは “I Want You (She’s So Heavy)” でヘビー・メタルを,そしてモーグ・シンセサイザー(Moog synthesiser)をふんだんに使用したエレクトロニック・ミュージックを予感させるものだった(foreshadowed)。洗練され,自信に満ちているが,それでも前作と同じくらい興味深い。これは,録音された音楽の中で最高のもの(best stretch)かもしれない。
(転載了)
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“Magical Mystery Tour” は 上記に含まれていません。
ビートルズの1枚目のアルバムがリリースされた1963年,私は中学3年生で, 以後 高校生時代を通して FM放送で よく聴いていました。
1966年に日本公演があった時,九州に住む高校3年生で,公演を観に行くなど全く考えもしませんでした。
新幹線はまだ新大阪までで(山陽新幹線は 1972年に岡山まで,1975年に博多まで),東京に行くには 寝台特急が普通の時代でした。
しかし,当時は知りませんでしたが 数日 学校を休んで ビートルズ公演に行った同級生がいました。
高校卒業後 30年の同期会で 担任教諭の話が出て 「あの先生は いかに多くの生徒を国立一期校に合格させるかを使命と考えていたと思う。」などの会話の途中,その同級生が 当時,その先生に休んだ理由を訊かれて 「ビートルズ公演のため 東京に行っていた。」と正直に言ったところ,「この大事な時期に何を考えているんだ ・・・ 」 と,かなり絞られたとのことでした。
彼に言わせれば 「大学入試は 浪人すれば 何度でも受けられるが ビートルズ公演は一度だけ・・・」 とのことで,反省など全くしていませんでした。彼にとって ビートルズ公演は 受験勉強に較べられるものではありませんでした。
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