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2025年9月18日 (木)

ロバート・レッドフォードさん死去 89歳

CNN’ は Sept.16,2025付けで
Robert Redford, actor, director, environmentalist, dead at 89
「ロバート・レッドフォード,俳優,監督,環境保護活動家,89歳で死去」

の見出しで 報じています。
下記,拙訳・転載します。

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ハリウッドのスター俳優としての地位を捨て(eschewed),自らの情熱を注ぐ大義のために尽力した,颯爽とした俳優であり,オスカー受賞監督でもあるロバート・レッドフォードが亡くなったと,ロジャース・アンド・コーワンPMKRogers and Cowan PMK)の会長兼CEOで広報担当のシンディ・バーガーが発表した。

He was 89. / 享年89歳。

「ロバート・レッドフォードは2025916日,ユタ州山岳地帯にあるサンダンスの自宅で亡くなった。彼が愛した場所で,愛する人たちに囲まれていた。深く惜しまれることだろう。」 とバーガーはCNNへの声明で述べた。「遺族はプライバシー保護を要請している。」

『明日に向かって撃て(Butch Cassidy and the Sundance Kid)』 や 『大統領の陰謀(All the President’s Men)』での主演で知られるレッドフォードは,『普通の人々(Ordinary People)』 や 『リバー・ランズ・スルー・イット(A River Runs Through It)』 といった受賞歴のある映画も監督した。

映画製作への情熱は,独立系映画・演劇を支援する非営利団体サンダンス・インスティテュートの設立へと繋がり,毎年開催されるサンダンス映画祭で知られている。

レッドフォードは熱心な環境保護活動家(environmentalist)でもあり,1961年にユタ州に移住し,同州と米国西部の自然景観の保護活動を主導した。

レッドフォードは晩年まで俳優として活躍し,2017年のNetflix映画『夜が明けるまで(Our Souls at Night)』ではジェーン・フォンダと再共演した。翌年,82歳で 『さらば愛しきアウトロー(The Old Man & the Gun)』に主演した。彼はこの作品が最後の出演作になると語っていたが,引退は考えていないと語った。

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「私にとって,引退とは何かをやめること,あるいは何かから去ることだ。」と彼は2018年にCBSサンデー・モーニングで語った。「人生は生きるものなのだから,できる限り長く,精一杯生きたらどうだろうか?」

2020年10月,レッドフォードはCNNに寄稿した意見記事の中で,米国西部で壊滅的な山火事が続く中,気候変動への関心が薄れていることへの懸念を表明した。

同じ月に,レッドフォードの58歳の息子が癌で亡くなった。

ロバート・レッドフォードと元妻ローラ・ヴァン・ワゲネン(Lola Van Wagenen)の間に生まれた4人兄弟の3番目,デビッド・ジェームズ・レッドフォードは,活動家,映画製作者,そして慈善家(philanthropist)として父の足跡をたどってきた。

A restless youth / 落ち着きのない少年時代

1936年,ロサンゼルス近郊のカリフォルニア州サンタモニカで生まれたレッドフォードの父親は,牛乳配達人と会計士(accountant)として長時間働き,後に家族で近くのヴァン・ナイズ(Van Nuys)にあるより大きな家に引っ越した。

「あまり父に会えなかった。」と,レッドフォードは2005年の ‘Inside the Actor’s Studio’ で父親について回想している。

ベビーシッターを雇う余裕がなかったため,レッドフォードは地元の図書館の児童書コーナーで何時間も過ごし,ギリシャ神話やローマ神話の本に夢中になった。

しかし,レッドフォードは決して模範的な生徒(model student)ではなかった。

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「忍耐力なんてなかった…やる気もなかった。」とレッドフォードは回想する。「育った環境の枠を超えて,ふざけたり冒険したりする方が面白かったんだ」

芸術とスポーツ,そして広大なロサンゼルスを離れた生活に惹かれたレッドフォードは,1955年にコロラド大学ボルダー校で野球選手として奨学金を獲得した,同年,彼の母親が亡くなった。
「彼女はまだ40歳にもなっていなかった,とても若かった」と彼は語った。

レッドフォードは,母親は「(私のキャリアを)いつもとても応援してくれていた。」と言い,父親以上に応援してくれたという。

「父は大恐慌時代(the Depression)に成人したので,リスクを取ることを恐れていた。だから,私にも真っ直ぐな道(the straight and narrow path)を歩ませようとしたのだろう,しかし,私にはそんな道はふさわしくなかった。」と彼は言った。「母は,私が何をしても,いつも許し,支えてくれ,何でもできると信じてくれた。

私が家を出てコロラドへ行った時,母が亡くなった時,私は母に感謝する機会が全くなかったことに気づいた。」

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レッドフォードはすぐに酒に溺れ,奨学金を失い,ついには大学を退学させられた。スタンダード石油会社で「雑用係(roustabout)」として働き,その収入を貯めてヨーロッパで美術の勉強を続けた。

「その日暮らしの(hand to mouth)生活だったが,それでも十分だった。」とレッドフォードはヨーロッパでの生活について語る。「冒険がしたかった。他の文化がどんなものかを知る経験がしたかった。」

A star is born / スター誕生

米国に戻ると,レッドフォードはニューヨーク市のアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツ(the American Academy of Dramatic Arts)で演劇を学び始めた。

内気で心を閉ざしたレッドフォードは,演技の腕前を披露することに熱心な他の演劇部の生徒たちと馴染めなかったと言う。クラスメイトとクラスの前でパフォーマンスをした際,フラストレーションと惨憺たる結果に終わった後,レッドフォードの先生は彼を呼び出し,演技を続けるよう励ましてくれた。

1959年,レッドフォードはアカデミーを卒業し,「ペリー・メイスン(Perry Mason)」のエピソードで初めての役を獲得した。彼の俳優としてのキャリアは「そこから上り坂だった(uphill from there)」と彼は語った。

俳優として大きな転機を迎えたのは1963年,ニール・サイモン作のブロードウェイ舞台『裸足で散歩(Barefoot in the Park)』 に主演した時だった。後に彼はジェーン・フォンダと共演し、映画でもこの役を再演した(reprise)。

この頃,レッドフォードはローラ・ヴァン・ワゲネン(Lola Van Wagenen)と結婚し,家庭を築いた。最初の子スコットは1959年に生後わずか数ヶ月で 乳幼児突然死症候群(sudden infant death syndrome)で亡くなった。シャウナは1960年,デイビッドは1962年,エイミーは1970年に生まれた。

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俳優としてのキャリアが軌道に乗り始めた1961年,レッドフォードは家族と共にユタ州に移り住み,わずか$5002エーカーの土地を購入し,自ら小屋を建てた。
「人生において自然がいかに大切かに気づき,自然の極み,そしてもしかしたら永遠に続くかもしれないと思える場所に住みたいと思った。」と彼はCNNに語った。

レッドフォードは1969年,『明日に向かって撃て!(Butch Cassidy and the Sundance Kid)』で,既に大スターだったポール・ニューマンと共演し,主演男優として名を連ねた。2人の無法者を描いたこの西部劇は,アカデミー賞4部門を受賞した。

レッドフォードは,役を獲得する手助けをしてくれたニューマンに 「永遠に恩義を感じる」と語った。2人はスクリーン上で素晴らしい息の合った演技を見せ,生涯の友人となり,1973年の 『スティング(The Sting)』で再会。同作はアカデミー作品賞を受賞した。

A reluctant leading man/ 不本意ながらも主演を務めたレッドフォード 

レッドフォードは1970年代を通して、数々のヒット作に出演した。『大いなる勇者(Jeremiah Johnson)』,バーブラ・ストライサンドと共演した『追憶(The Way We Were)』,『華麗なるギャツビー(The Great Gatsby)』,そして1976年のウォーターゲート事件を描いた『大統領の陰謀(All The President’s Men)』ではダスティン・ホフマンと共演した。

『大いなる勇者』でシドニー・ポラック監督とタッグを組んだレッドフォードは,スタジオ側と戦い,自分の思い通りに映画を制作させた -これが,レッドフォードの監督としてのキャリアと,インディペンデント映画製作への支持の先駆けとなった。

「最初から戦いだった。」とレッドフォードは ‘Inside The Actor’s Studio’ で語っている。「スタジオ側はこう言ったんだ ・・・『400万ドルある。ソルト・レイク・シティの銀行に預けておけば,どこで撮影しても構わない。だが,それだけだ。予算がオーバーしたら,責任を取ってもらう』と。」

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この映画は、簡素な(spare)セリフと息を呑むような(stunning)風景を背景に,戦場を離れ米国西部で罠猟師(trapper)として生き延びることになった米墨戦争の退役軍人の物語を描いている。

レッドフォードによると,スタジオの営業部長はこの映画が「あまりにも異例(so unusual)」で観客は集まらないだろうと判断したため,製作から3年以上経ってから公開された。
『大いなる勇者』は最終的に4,500万ドル近くの興行収入を上げた。レッドフォードの映画製作への情熱が,彼の作品に資金を提供したスタジオと対立させた(odds with)のは,この作品だけではなかった。

「映画監督として,何がうまくいくか,何がうまくいかないかという固定観念と戦わなければならない悲しい現実がある。」 とレッドフォードは語った。「スポーツ映画はうまくいかない,政治映画はうまくいかない,報道に関する映画はうまくいかない - 私はそういう映画を3本も作ってしまった。」

レッドフォードは1980年,『普通の人々』で監督デビューを果たした。これは郊外に住む不幸な家族を描いたドラマで,アカデミー作品賞と監督賞を獲得した。その後も,野球への情熱を燃やした1984年の『ナチュラル(The Natural)』や,はるかに若いデミ・ムーアと共演した1993年の『幸福の条件(Indecent Proposal)』など,ヒット作に出演し続けた。

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その後,1993年の映画『リバー・ランズ・スルー・イット(A River Runs Through It)』で監督を務め,アカデミー賞3部門を受賞。1994年には『クイズ・ショウ(Quiz Show)』,そして1998年には主演も務めた『モンタナの風に抱かれて(The Horse Whisperer)』を監督した。

たくましくハンサムなレッドフォードは,1985年の『愛と哀しみの果て(Out of Africa)』など,ロマンチックな主役を演じることが多かったが,そのレッテルに常に違和感を覚え,型にはめられること(being typecast)を恐れていた。
「他人が見ているように自分を見ていなかったし,ハンサムな主役という枠から抜け出せないことで,ある種の閉塞感を感じていた。」と彼は語った。「とてもうれしかった(flattering)のだが,窮屈に(restrictive)感じていた…だから,そこから抜け出すのに何年もかかった。」

レッドフォードとヴァン・ワゲネンは1985年に離婚。彼は2009年にアーティストのシビル・ザガース・レッドフォード(Sibylle Szaggars Redford)と結婚した。

A lasting impact / 永続的な影響

レッドフォードの環境への情熱とインディペンデント映画製作への情熱は,1981年にサンダンス・インスティテュートを設立した際に融合した。この非営利団体は,演劇だけでなく「米国映画におけるリスク・テイクと新しい声」を支援しており,ユタ州プロボの渓谷に建つレッドフォードのサンダンス・リゾートでは,劇作家や脚本家のためのワークショップを毎年開催している。

レッドフォードのインスティテュートは毎年ユタ州でサンダンス映画祭を開催している。これは,米国最大のインディペンデント映画祭である。多くの若手映画監督がサンダンスで大きな飛躍を遂げた。例えば,1989年のスティーブン・ソダーバーグ監督の 『セックスと嘘とビデオテープ(Sex, Lies, and Videotape)』,1992年のクエンティン・タランティーノ監督の 『レザボア・ドッグス(Reservoir Dogs)』,そして2013年のライアン・クーグラー監督の 『フルートベール駅で(Fruitvale Station)』などが挙げられる。

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レッドフォードの生涯にわたる映画界への貢献は,2002年に名誉アカデミー賞で認められた。

晩年もレッドフォードは映画を通して物語を伝える情熱を失わず,環境保護活動の熱心な支持者であり続けた。引退について尋ねられると、彼はしばしば躊躇した(demurred)。

「与えられたものを最大限に活用したい。」とレッドフォードは2015年に CNNのクリスティアン・アマンプール(Christiane Amanpour)に語った。「常に自分を奮い立たせ,新しいことに挑戦することで,活力が湧いてくる(invigorating)。」

レッドフォードの遺族は,妻,娘のショーナ・レッドフォード・シュローサーとエイミー・レッドフォード,そして7人の孫である。
(転載了)

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May he rest in peace.

初めて観たのは 56年前,「明日に向かって撃て!」で,おそらく 大学2年のときでした。

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