« トランプが ノーベル平和賞を受賞できない理由 | トップページ | 30の ニュース・ソースに対する米国人の信頼度 »

2025年10月 5日 (日)

第二次世界大戦後,米国が “War Department” を “Department of Defense” に変更した理由

ノーベル平和賞受賞を切望する人間とは思えない理由で “the Department of Defense” を “the Department of War” に戻す大統領令に署名したトランプは,かつて トルーマン大統領が,その逆に “the Department of Warを “the Department of Defense” に変更した理由を知っているのだろうか-

Military Times’ が Sept.17, 2025付けで掲載した
Why Truman changed the ‘War Department’ to the ‘Department of Defense’
「トルーマンが『戦争省』を 『国防省』に変更した理由」
を下記 拙訳・転載します。

*******************

001_20250922125101

8月25日のホワイト・ハウスでの記者会見で,ドナルド・トランプ大統領は国防総省(the Department of Defense)という名称が自分には「響きが悪い(didn’t sound good)」と述べた。

「国防総省は,防衛だけの省にはなってほしくない。」と彼は続けた。「我々は防衛は欲しいが,攻撃も欲しい。」

大統領は,旧称(the old moniker)である戦争省(the Department of War)の下で,米国は1812年の米墨戦争(the Mexican-American War),南北戦争(the Civil War),先住民との戦争(the wars against Native Americans),米西戦争(the Spanish-American War),第一次世界大戦,第二次世界大戦といった「信じられないほどの勝利の歴史(unbelievable history of victory」を享受してきた(enjoyed)と述べた。

数日後,ピート・ヘグゼス国防長官(Secretary of Defense Pete Hegseth)は “Fox & Friendsで,「我々は国防総省に戦士の精神(the warrior ethos)を復活させた(reestablished)。我々は戦士(warriors)であり,敵に致命的な打撃を与える(exact lethality)方法を知っている人材を求めている。」と語った。

「我々は,際限のない緊急事態(endless contingencies)と,ただ防御だけを繰り返すこと(just playing defense)は望んでいない。」と彼は続けた。「言葉,名前,肩書きは重要だと考えている。ホワイト・ハウスと大統領と協力して取り組んでいる。お待ちください(Stand by)。」

Origins of the War Department
戦争省の起源

1789年,ジョージ・ワシントン大統領は,米国初の戦争省設立法案に署名した。初代戦争長官ヘンリー・ノックス(Henry Knox, the first secretary of war)の下,戦争省は,1776年にワシントン政権下で設立された戦時中の陸軍兵器局(Board of War and Ordnance)に取って代わった。

この法律は,「軍事委員会,陸軍および海軍(land and naval forces),軍需品(warlike stores),インディアン問題(Indian affairs),そして軍事サービスのための土地の付与(granting lands for military services)」を管轄していた。しかし,戦争省は主に陸軍を監督し,10年足らずで海軍も独自の閣僚レベルの省庁を設立した。海軍は海兵隊も監督した。

この組織は,1947年にハリー・トルーマン大統領(President Harry Truman)が議会の承認を得て国防総省(NDENational Defense Establishment)を設立するまで存続した。NDEは最終的に,陸軍(Army),海軍,そして新設された空軍(Air Force)から権限を奪取した。

Air and Space Forces Magazine’ は,これを「アメリカの軍事組織における画期的な出来事(landmark)」と評している。

第二次世界大戦終結からわずか数ヶ月後,トルーマンは,戦争によって,より体系化された(codified)指揮系統(command structure)の必要性が生じたため,軍に新たな統治構造を導入するという目標を掲げた。

1945年1219日,議会への特別教書の中で、トルーマンは次のように述べている:

++++++++++++++++

「私は議会に対し,戦争省(War Department)と海軍省(Navy Departments)を統合し,単一の国防省(Department of National Defense)とする法案を採択するよう勧告する。こうした統合は,普遍的な訓練と並んで,将来の我が国の安全と世界の平和と安全のための包括的かつ継続的な計画の策定において,もう一つの不可欠なステップである。

この戦争の多大な犠牲と危険を伴う経験から最も明確に得られた教訓の一つは,国内のみならず,我が国の軍隊(Armed Forces)が活動する世界の他のすべての地域において,陸海空軍の統一的な指揮が必要であるということである。

4年前に攻撃を受けた際,我々はそのような指揮体制を持っていなかった - そして,その指揮体制を持たなかったために,我々は確かに高い代償を払った。」

+++++++++++++++++++

トルーマンは,陸軍,海軍,そしてその将軍たちがこの提案を自軍の独立性(autonomy)に対する脅威と見なすかもしれないという潜在的な反発(potential pushback)を認識し(cognizant of),194645日のホワイト・ハウスのプレスリリースで次のように記した。「統合(Unification)とは,軍のどの部門の従属(subordination)を意味するものでもない。アイデンティティの喪失を意味するものでもない。

「それはまさにその言葉の通り,統合を意味する。それは,我々の最高の軍事思想と最高の軍事資源を集中し,結束(cohesion)させ,最大限の効率性を目指すことを意味する。それは,第二次世界大戦における我々の経験を世界の平和のために活用することを意味する。」

しかし,トルーマンの宥和政策の言葉(words of pacification)は海軍の一部の隊員をなだめること(placate)にはほとんど役立たなかった。米国海軍研究所によると,1949年,少数の海軍上級将校が陸軍および空軍との個人的な確執を公に持ち出し,ソ連のヨーロッパ侵攻を阻止するための戦略と,乏しい予算の配分に疑問を投げかけた。

この「提督の反乱(Revolt of the Admirals)」と呼ばれる軍民間の対立(civilian-military dustup)は,後に2度の議会公聴会と1947年国家安全保障法(the National Security Act)の改正につながり,「その後半世紀にわたる軍の性格と組織を決定的に形作った」と ‘the Air and Space Forces Magazine’ は述べている。

Revolt of the admirals
提督たちの反乱

米国海軍研究所(the U.S. Naval Institute)によると,この反乱の原因は2要素(twofold)あり,戦後の米国の国家安全保障に対する拡張的な考え方と,財政規律(fiscal orthodoxy)の要求との間の不一致から生じた。

古くから言われているように(in a tale as old as time),第二次世界大戦後,高官たちは世界的なプレゼンスを望みながらも,その費用を負担したくなかった。トルーマン政権は国防予算を年間約130億ドルに抑えることを決意した。

この比較的厳しい予算は,陸,空,海の3軍に分割された。

「これが役割と任務をめぐる争いを激化させた(intensified)」と研究所は述べている。「海軍は航空部隊を空軍に奪われる危険があると感じていた。空軍は,海軍が独自の戦略航空部隊(strategic air force)を構築しようとしていると確信していた。」

歴史家アナンド・トプラニ(Anand Toprani)によると,この反乱には2つの段階があった。最初の事件では,海軍の民間人職員(海軍予備役)が「匿名文書」を捏造し,同情的な下院議員(退役予備役)に漏洩した。その文書は,当時のルイス・ジョンソン国防長官とスチュアート・シミントン空軍長官がB-36重爆撃機の調達を支持した汚職の罪で告発するものだった。

この文書の公表をきっかけに,19498月に2回にわたる議会公聴会が開かれ,最終的にジョンソンとサイミントンが潔白であることが証明され,海軍は大いに恥じ入ることとなった。

トプラニによると,第二段階では,統合参謀本部所属の海軍士官が「海軍内部の文書を公開し、ジョンソンの政策―4月に最初の超大型空母(supercarrier[USSユナイテッド・ステイツ(CVA-58]の建造中止を含むは海軍の士気を低下させ,国家安全保障に有害である(detrimental)と主張した。」という。

この文書をきっかけに,海軍の高官たちはジョンソンとサイミントンとの意見を公然と対立し(publicly breaking),空軍のソ連に対する戦略爆撃への「執着(fetish)」は不道徳で効果がないと述べた。

Creation of the DOD
国防総省の創設

この「反乱(revolt)」を受けて,国家安全保障法(the National Security Act)にいくつかの修正が加えられ,国家軍事機構(National Military Establishment)が国防総省(Department of Defense)へと改組された。

002_20250922125201

これらの修正により,国防総省(DOD)は閣僚レベル(cabinet-level)の省となり,行政機関から軍事部門へと格下げされた。国防長官は国防総省全体に対する完全な「指揮,権限,そして統制」を獲得し,「国防総省に関するあらゆる事項について大統領の主席補佐官」となった。

さらに,国家安全保障法の改正には,大統領と国防長官の双方に直接助言する統合参謀本部議長(chairman of the Joint Chiefs of Staff)の設置も含まれていた。1949年,オマール・ブラッドレー将軍が初代議長に就任した。
「我々はついに,統一を可能にする統合法の成立に成功した。泣き虫ども(crybabies)をそれぞれの居場所(niches)に追い込めば,もはや問題はなくなるだろう。」とトルーマンは述べた。

2025年95日,トランプは,国防総省の「副次的な名称(secondary title)」としてではあるものの(albeit),戦争省(the Department of War)の名称の使用を復活させる大統領令(executive order)を発令した(executive order)。

現状では(As it stands),恒久的な名称変更は議会の法案によってのみ承認可能である。

(転載了)
********************

| |

« トランプが ノーベル平和賞を受賞できない理由 | トップページ | 30の ニュース・ソースに対する米国人の信頼度 »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« トランプが ノーベル平和賞を受賞できない理由 | トップページ | 30の ニュース・ソースに対する米国人の信頼度 »