「エノラ・ゲイ」 副操縦士の手記
‘The Washington Post’,Feb.26,2026付け
“A pilot dropped the atomic bomb, then journaled: ‘My God what have we done’”
「パイロットは原爆を投下した後,日記に記した:『「神よ,我々は何をしてしまったんだ』」
の見出し記事を 下記,拙訳・転載します。
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Capt. Robert A. Lewis, the co-pilot of the Enola Gay, scribbled thoughts in a notebook that’s now for sale.
エノラ・ゲイの副操縦士,ロバート・A・ルイス大尉は,その思いを書き留めていたノートが,現在売りに出されている。
1945年8月6日の夜明け直後,エノラ・ゲイの副操縦士,ロバート・A・ルイス大尉は,眼下の雲が晴れ始め(dispersing),広島への飛行中は天候が良好になりそうだとノートに記した。
「爆弾投下(bombs away)まであと2時間ほどだ。」と,26歳のルイスはB-29が破壊しようとしている日本の都市に接近する中で記した。「爆弾は今,作動している(alive)。そして,それがすぐ後に迫っていることを知ると,奇妙な(funny)感覚だ。」
攻撃が始まると,ルイスはこう記した:「目標への爆撃の間,短い休憩(intermission)を取ろう。」
続いて,彼が 最初の原子爆弾投下の様子を「逐一記述(blow by blow description)」と呼んだものと,彼の有名な反応が続いた:「なんてことだ,我々は一体何をしてしまったんだ(My God what have we done)。」
歴史家の推定によると,7万人から8万人が瞬時に命を落とし,その後数ヶ月でさらに数千人が命を落とした。広島は壊滅状態にあった(obliterated)。
ルイスが原爆投下中と投下後に執筆した記録(account)が,裕福な米国人オーナーから委託されて(on consignment for),カリフォルニア州パサデナの古書商(rare book dealer)ダン・ホイットモアによって売りに出されている。希望価格は95万ドル。
このノートが市場に出るのは今回で5回目である。1971年に初めてオークションで3万7000ドルで落札された。オークションに出席していたルイスは,このノートには大きな歴史的価値があると考えた。「他にどう活用すればいいのか分からなかった。」と語ったと伝えられている。
ホィットモアが作成したこのノートの説明文によると,最後に落札されたのは2022年の54万3000ドルだった。
「これは第二次世界大戦における最も重要な文書の一つと言えるだろう。」と,ホィットモアはワシントン・ポスト紙との電話インタビューで語った。「多くの点で,20世紀における世界全体にとって非常に重要な瞬間(pivotal moment)だった。」
ルイスは,ニューヨーク・タイムズの科学記者ウィリアム・L・ローレンスの要請(behest)でこの記録を執筆し,後にローレンスが若干の加筆修正を加えた。
ノートの記述によると,ローレンスは広島への原爆投下任務に参加する予定だったが,太平洋のテニアン島(Tinian Island)の爆撃機基地に到着したのが遅すぎた。(彼は3日後に長崎への原爆投下任務に参加することができた。)
エノラ・ゲイの歴史家ゴードン・トーマスとマックス・モーガン=ウィッツによると,ルイスはこの任務で「数ドル」稼げるかもしれないと考えていたという。エノラ・ゲイは現在,ワシントン郊外のバージニア州シャンティリー(Chantilly)にある国立航空宇宙博物館(the National Air and Space Museum)スティーブン・F・ウドバー=ヘイジー・センター(Steven F. Udvar-Hazy Center)に展示されている。
約25cm×20cm(10 inches by 8 inches)のノートの表紙には,「ロバート・A・ルイス所有(Property)…広島への原爆投下(Bombing of Hiroshima) 1945年8月6日」と記されている。
ルイスは,執筆の大部分は夜間飛行中のほぼ暗闇の中で行われたと述べている。ある時点でインクが切れ(ran out),鉛筆で書き続けた。
この記述は,両親への手紙「親愛なるお父さん、お母さんへ(Dear Mom and Dad)」から始まる。
ルイスは,12人の男が搭乗していた 「エノラ・ゲイ(Enola Gay)」を 誤った無線コールサインと思われる “Dimples 12” と記していた。任務記録によると,実際のコールサインは “Dimples 82” だった。
ルイスは 高度31,000 ft で広島に接近中,「我々は…完全に見通せる標的まで 約4分」と記している。
爆弾は 広島時間 午前8時15分頃に投下された。爆弾は爆発高度(detonation altitude)1,890 ftまで落下するのに43秒を要した。
閃光があり,続いて6マイル下方の爆発した(blast)からの2つの衝撃波(shock waves)が飛行機に到達したと ルイスは記している。
「それから,我々は結果を観察するために機を旋回させた。」とルイスは書いた。「そして,我々の目の前には,疑いなく(without a doubt)人類がこれまで目撃した中で最大の爆発(explosion)があった。」
「何か恐ろしいもの(something fierce)が起こるだろうと予想していたにもかかわらず,機上の(on the ship)全員が唖然としている(dumbstruck)。」とルイスは B-29の大きなコックピットの窓から外を眺めながら書いている。
数日後,ルイスは自身の記述に,おそらく自らの判断か あるいは 記者のローレンスの勧めによるものと思われる,より思慮深い(reflective)1ページを追加した。
ホイットモアによると,新しいページは爆撃直後,記述(narrative)のどこかにテープで貼り付けられた。黄ばんだテープは今もそこに残っている。
「乗員全員が,この経験は人類が想像し得なかったほどのものだったと確信している。」とルイスは記している。
「一体どれだけの…人を殺したというのか?理解する(comprehend)ことさえ不可能に思える」と彼は記している。「正直,説明すべき言葉を探し求めている。いや,なんてことをしてしまったんだ,とでも言いたくなる。たとえ100年生きたとしても,この数分間のことは忘れられないだろう。」
ノートの裏には,ルイスは爆弾が爆発した後に立ち上がったキノコ雲のスケッチを描いている。「様々な色(Various colors)」と書き,「高度4万 ft以上」と雲の高さを記している。そして時刻 「09:30」,日付「8/6/45」,そして自身のイニシャル “R.A.L.” を記した。
ブルックリン生まれで “Bud” と呼ばれていたルイスは優秀なパイロットだった。トーマスとモーガン=ウィッツによると,彼はかつて航空界のパイオニア,チャールズ・リンドバーグをB-29に乗せて飛行したことがあるという。
ルイスは 「エノラ・ゲイ」を自分の機と考えており,機長のポール・W・ティベッツ・ジュニア大佐(Col. Paul W. Tibbets Jr.)が離陸前に爆撃機の機首に母親の名前をステンシルで刻んでいたことに憤慨した(incensed)。
書籍商のホイットモアは,4月30日から開催されるニューヨーク国際古書フェア(the New York International Antiquarian Book Fair)でこのノートを展示する予定だと述べた。
「この文書に非常に興味を持つ(compelling)収集家は,様々な収集分野にたくさんいると思う。」と彼は語った。「ある機関が寄贈者を見つけたり,寄贈(donate)を勧めたりする可能性は十分あると思う。」
(転載了)
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