ブルートレインの記憶。
NHKで,5月5日に放送された 「夜行列車タイムマシン」で,かつてブームを巻き起こしたブルートレインの映像などが特集されていました。
新幹線が 博多まで延びた 1974年以前に 福岡県で学生時代を過ごし,卒業後は広島県に配属された私には 特急寝台・ブルートレインは東京に行く唯一と言える交通手段でした。
九州から東京に向かう(当然 逆も)ブルートレインには 次の列車がありました。( )内は始発駅。
・あさかぜ(博多・下関)
・さくら(長崎)
・はやぶさ(熊本)
・富士(大分)
・みずほ(熊本・長崎)
全て 乗ったことがあります。
初めて乗ったのは おそらく 1970年(昭和45年)の大学3年生の夏休み,東京で企業実習をしたとき,2度目は その翌年,就職試験をを受けたときと思いますが,それぞれ どのブルートレインに乗ったのか記憶がありません。
(2度目が 大学3年生の実習の帰りではないのは,切符がとれなかったからで 何と臨時急行(座席)下関行きーで帰りました。静岡県の広さを感じる旅でした。)
覚えているのは 東京着の前,食堂車で 食べた(これから 7時過ぎに東京に着く「あさかぜ」ではないことが分る )洋朝食に「オートミール」があったことです。
初めて食べました。塩をかけるか,砂糖をかけるか 迷いました。
就職してからは 「東京・本社」への出張に 東京着が最も早い「あさかぜ」を多用しました。
広島発 20:00 くらいなので,仕事を終えて駅に出て 夕食を済ませて「あさかぜ」に乗り,寝ているうちに 07:30 くらいに東京駅着,東京駅で朝食を摂って,本社に行って仕事 ー 帰りはその逆で 全く無駄のない移動でした。但し,2日間 風呂に入れませんでした。
(そのうち シャワー・ルームが設置され,予約がとれれば使っていました。)
1974年に新幹線が広島を通るようになってからも 「あさかぜ」を使いました。
但し,広島ー東京 往復で「寝台特急」と「新幹線グリーン車」の組み合わせ自由 -(おそらく)¥35,000 というプランが出て 新幹線に乗ることもありました。
そして,2005年に「あさかぜ」が廃止されて以降,次第に飛行機を使うようになりました。
乗車中の記憶がある出来事としてはー
夜中に トイレに行くために通路に出た時,高齢の婦人から「通路に人が倒れています。」と声を掛けられたことがありました。
言われるままに 隣の車両に行くと 確かに通路に男がうつぶせに倒れていました。血は見えませんでした。
「寝台特急 殺人事件か?」と思いましたが,直接 生死を確認するのは度胸はないので 車掌を探して 確認してもらうとー 寝ていました。
それにしても 進行方向に直角の寝台から落下して 進行方向の通路まで 目を醒まさないで移動して寝続けるとは どれだけ深酒しているのだろうかと感心しました。
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コメント
ブルートレイン 懐かしいですね
私は秋田~上野であけぼのに長くお世話になりました。 寝ている間の移動が効率もよく、戻りは発車近くまで懇親会を開いてもらって。
ある時、秋田到着時に周辺で3名が財布がないと大騒ぎ、事件て起こるんだ。寝台で心掛けていたのは、財布貴金属は肌身離さず、背広は背をこちら向けハンガー、カバンのチャックは奥のほうに。でした。
投稿: エブリィ太郎 | 2026年5月14日 (木) 17時23分