カテゴリー「書籍・雑誌」の79件の投稿

2022年11月24日 (木)

「漢字に親しむ」

001_20221121205001 先日,新聞に載っていたクイズの漢字熟語に分からないものがあったのでー
「漢字を勉強して 漢字検定でも受けるか」と冗談で言うと,家人に 「この雑誌を読んだら?」と見せられたのが,「日経おとなのOFF/漢字に親しむ」(Oct.2012No.136/¥680)でした。
私が10年前に買った雑誌でした。

試しに 中を見るとー

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いくらでも 分からない漢字・熟語がありました。

【紅灯緑酒】(こうとうりょくしゅ)華やかな歓楽街で,思うままにおいしい酒を飲み遊ぶこと。
【鉄心石腸】(てっしんせきちょう)意思が極めて強く,簡単に動じないことの例え。
【彫心鏤骨】(ちょうしんるこつ)とても苦労して物事を成し遂げる例え。
【確乎不抜】(かっこふばつ)意志や精神などが堅固なさま。

漢文の素養が必要です。
これらの熟語を使うのはクールですが,使ったとしても 理解できる人がいなければ ・・・ 。

この雑誌を買った10年前も あまり 勉強しなかったようです。それなりの興味があって買ったものと思いますが ー 。

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2022年11月11日 (金)

穂積和夫氏の イラスト本,海外で発行。

英国 ‘Herb Lester Associates Limited’ のサイトに,穂積和夫著“ILLUSTRATED IVY”の紹介がありました。
£12.00 / $14.00  Dec.152022 発行
次の紹介文がありました。

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Illustrated Ivy is an overview of Ivy League style depicted in a series of endearing, impeccably detailed illustrations by Kazuo Hozumi. Since their 1963 debut in the Japanese magazine Men’s Club, Hozumi’s cheerful Ivy boys and girls have acted as guides to shifting styles within the pantheon of Ivy League clothing. In addition to cataloguing a subtly evolving style of dress, Hozumi has gathered a cult following for his beguiling, deceptively simple approach. Illustrated Ivy is the first time Kazuo Hozumi’s Ivy illustrations have been available with his accompanying text in English.

Illustrated Ivy”は,穂積和夫による一連の親しみやすい(endearing),非の打ちどころのない(impeccably)詳細なイラストで描かれた(depicted)アイビー・リーグ・スタイルの通覧である。 1963年,日本の雑誌 ‘Men's Club’でのデビュー以来,穂積の陽気な(cheerful)アイビーの男の子と女の子は,アイビー・リーグの衣料品の殿堂(pantheon)の中でスタイルをシフトするためのガイドとして機能してきた。 微妙に進化するドレス・スタイルをカタログ化することに加えて,穂積は彼の魅力的で(beguiling)一見シンプルなアプローチでカルトの支持者を集めている。“Illustrated Ivy”は、穂積和夫の Ivy のイラストが,彼の英語のテキストと共に初めて利用可能になったものである。

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Hardcover922日 発行済み,
Paperback 1215日 発行予定のようです。

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2022年7月 9日 (土)

ポロシャツの本 “Ralph Lauren's Polo Shirt”

ポロシャツは,この50年で 夏のファッションとして 多く着用され,広く認可されているアイテムの1つに進化しました。
ラルフ・ローレンの50周年を記念して,ブランドはその歴史に捧げる ‘コーヒー・テーブル・ブック’ (coffee-table book)を作成することでそれを称えることにしました。
544ページの本,“Ralph Lauren’s Polo Shirt” には,400枚の画像が掲載されており、父親やカニエ・ウェスト(Kanye West)が着ていたシャツを記録し,現在は書店の棚で見ることができます。

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この本の出版社 “RIZZOLI New York” のサイトの記述を下記,拙訳・転載します。

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ラルフ・ローレンによる紹介,ケン・バーンズ(Ken Burns)による序文,デイヴィッド・ローレンによる後書き

アメリカンならではのシックなカジュアルさを体現するポロシャツは,映画スターや大統領からアスリートやアーティストまで,誰もが着用する文化的シンボルである。

ミッキー・マウスと言えばディズニー,エンパイア・ステート・ビルと言えばニューヨークと同じように,ポロシャツと言えばラルフ・ローレンである。襟をポップアップに,開いてアンタックに,あるいはスーツ・ジャケットの下にドレス・アップで着用するかどうかにかかわらず,ポロはアメリカン・スタイルの楽観主義を体現している。ローレンの言葉を借りれば,「それは正直で心からのものであり,それを身につけるすべての人の多様性に触れるものであることを願っている。それはシャツではなく,生き方だった。」
ポロを自己表現のためのキャンバスにする日常の人々,ポロシャツ・ルックはワードローブ・クラシックの永続的なクールさ。

含まれているのは,50年以上の歴史の中でシャツが生産されてきた,あらゆる色,スタイル,フィットである。クラシックな白から風雨に晒された(weathered)ポロ,ストライプのポロから全米オリンピック,全米オープン,ウィンブルドン選手権のコラボレーションまで,このカタログはポロの全領域(spectrum)を祝い,コレクターの夢となっている。

About The Author
著者について

ラルフ・ローレンは1967年に,ポロのレーベルでネクタイをデザインしてキャリアをスタートさせた。
彼は,ファッション,慈善活動,人道主義の分野で数々の賞を受賞しており,CFDACOUNCIL OF FASHION DESIGNERS OF AMERICA:全米ファッション・デザイナー協議会)の4つの最高の栄誉を受賞した唯一のデザイナーである: 「婦人服デザイナー・オブ・ザイヤー」; 「紳士服デザイナー・オブ・ザイヤー」;「今年の小売業者(Retailer of the Year; 特別功労賞(Lifetime Achievement)。

2019年に彼はプリンス・オブ・ウェールズからファッションへの貢献に対して名誉KBEKnight Commander of the Order of the British Empire:大英勲章第2位)を受けた。

ケン・バーンズ(Ken Burns)は,アカデミー賞を受賞した映画製作者である。

デビッド・ローレン(David Lauren)は,ラルフ・ローレンの最高イノベーション責任者であり,取締役会の副会長であり,ラルフ・ローレン財団の会長である。

Publish Date: April 26, 2022
Format: Hardcover
Category: Design - Fashion & Accessories
Publisher: Rizzoli
Trim Size: 6-1/2 x 8-1/2
Pages: 496
US Price: $36.95
CDN Price: $49.95
ISBN: 978-0-8478-6630-4

Reviews
書評

「この544ページの書物(tome)は,このクラシックなシャツの歴史と進化,そしてそれが体現するライフ・スタイルそのものを物語っている。ゴージャスな画像は,有名人と非有名人の両方による魅力的な物語とともに,ポロ愛好家にとって必読の記事を示している。」— SCIETY TEXAS

50年近くの歴史を持つポロは,さまざまなバリエーションで製作されており,そのすべてが本に忠実に文書化されている。クラシックなホワイト・バージョンからオリンピックでチームUSAが着用したストライプのイテレーション(iteration:反復)まで,すべてにポロ・ラルフ・ローレンの多くの側面を反映したストーリーがある。」ROBB REPORT

(転載了)
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記憶に残る限りでは 初めて買ったポロシャツは ラルフ・ローレンで,ほぼ50年前,その発売開始直後だった気がします。Brooks Brothers が日本で発売を開始し,入手できるようになる その10数年後まで ポロシャツは ラルフ・ローレンだけ着ていました。
「ラコステ」も「マンシングウエア」も着たことはありません。

以下に この本の内容の一部を紹介します。

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新旧の着こなしの写真が掲載されています。
最新の着こなしは,上の写真のように ポロシャツ2枚の重ね着のようです。

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2022年4月17日 (日)

“LOOK”誌,“LIFE”誌,そして “TIME”誌があった(ある)。

昨年末 TVで 映画「ショーシャンクの空に」(‘The Shawshank Redemption’,1994)を観ていて,字幕には出ませんでしたが 図書館のシーンで “Look” と喋るのを 少なくとも2回聞きました。
雑誌 “LOOK” のようで,そう言えば昔ありましたが,最近は見ません。同様に “LIFE” も見なくなった気がします。“TIME” はあります。

英文 Wikipedia の “LOOK”,“LIFE”,“TIME3誌の前書き(概説)部分を読んでみました。
下記,拙訳・転載します。

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LookLook
Look”は,1937年から1971年にかけてアイオワ州デモイン(Des Moines)で発行され,ニューヨーク市に編集部を置く隔週の一般向け雑誌だった。「ヒューマン・インタレスト」や「ライフスタイル」記事に加えて,写真やフォトジャーナリズムに重点を置いていた。
11インチ×14インチ(280mm×360mm)の大型雑誌で,マーケット・リーダーの “Life” の直接の競争相手だった。“Lifeは,“Lookの数か月前に発行を開始し,“Look” が発行停止してから数か月後の1972年に終了した。

LifeLife
Life”は,1883年から1972年まで毎週発行され,1978年までは断続的な “special” として,1978年から2000年までは月刊として発行されたアメリカの雑誌だった。1936年から1972年までの黄金期,“Life” はその写真の質で知られる大衆的な(general-interest)週刊誌だった。

Lifeは,1936年までの最初の53年間,イラスト,ジョーク,社会解説に重点を置いた,大衆向けの軽快なエンターテインメント雑誌として独立して発行された。当時の最も著名な作家,編集者,イラストレーター,漫画家が登場した:チャールズ・ダナ・ギブソン(Charles Dana Gibson),ノーマン・ロックウェル(Norman Rockwell),ジェイコブ・ハートマン・ジュニア(Jacob Hartman Jr.)。ギブソンは,ジョン・エイムズ・ミッチェル(John Ames Mitchell)が1918年に亡くなった後,雑誌の編集者兼所有者になった。晩年,この雑誌は,当時 ニューヨーク市で上演されている演劇や映画の簡単なカプセル・レビュー(“The New Yorker” のものと同様)を提供したが,各レビューに追加された信号機に似た色付きの活字の中点(typographic bullet)の革新的なタッチがある:肯定的なレビューの場合は緑,否定的なレビューの場合は赤,混合通知の場合は琥珀色 だった。

1936年,タイム出版社のヘンリー・ルース(Henry Luce)が そのタイトルだけが欲しくて “Life” を購入した:彼は出版物を大幅に作り直した。“Life” は アメリカの,最初の,すべてが写真の(all-photographic)ニュース・マガジンになった,そして,数十年の間,市場を支配した。雑誌は一度に週に1350万部以上を売った。

Sailor おそらく雑誌に掲載された最も有名な写真は,ニューヨーク市で日本に対する戦勝を祝った1945814日に撮られた,水兵の腕の中の看護婦のアルフレッド・アイゼンスタット(Alfred Eisenstaedt)の写真だった。フォトジャーナリズムの歴史における雑誌の役割は,出版への最も重要な貢献と考えられている。“Life” のプロフィールは,ハリー S.トルーマン(Harry S. Truman)大統領,ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)首相,ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)将軍の回想録がすべてそのページに連載されているようなものだった。

2000年以降,タイム社は特別な記念の出版時に “Life” ブランドを使用し続けた。
2004年から2007年にかけて週刊新聞の補完となったとき,“Life” は定期的な発行に戻った。

もともとタイム社の先駆者(Pathfinder)サービスのチャネルの1つであったウェブサイト“life.com” は,2000年代後半に,“See Your WorldLLC” という名前で “Getty Images” との合弁事業として運営されていた。2012130日,“Life.com” のURLは “Time.com” の写真チャンネルになった。

TimeTime
Time”(すべて大文字で定型化)は,ニューヨーク市で発行および本拠地になっている米国のニュース・マガジンおよびニュースWebサイトである。1世紀近くの間,毎週発行されていたが,20203月までに,隔週発行に変わった。
Time192333日にニューヨーク市で最初に出版され,長年にわたってその影響力のある共同創設者であるヘンリー・ルース(Henry Luce)によって運営されていた。ヨーロッパ版(“Time Europe”,以前は “Time Atlantic” として知られていた)がロンドンで発行され,中東,アフリカ,および2003年以降はラテン・アメリカもカバーしている。
アジア版(“Time Asia”)は,香港を拠点としている。
オーストラリア,ニュージーランド,太平洋諸島をカバーする南太平洋版(The South Pacific edition)は,シドニーを拠点としている。

2012年の時点で,“Time” の発行部数は330万部であり,米国で11番目に発行部数が多く,“People”誌に次いで週刊の発行部数が2番目になっている。20177月の発行部数は3,028,013だった。これは2017年後半までに200万に削減された。印刷版の読者数は160万人で,そのうち100万人は米国を拠点としている。

2018年11月以降,ニューヨークを拠点とするタイム社によって以前に発行された“Time”は,‘Meredith Corporation’ から取得した ‘Marc Benioff’ が所有する ‘Time USALLC’ によって発行された。

(転載了)
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LIFE」誌が発行されたのは1936-19721978-20002004-2007 3期に分けられるようです。
写真をインターネットで簡単に見ることが可能になって,20年以上前から写真誌に厳しい時代になったといえるでしょう。

日本の写真誌は 「アサヒグラフ」が 1923-2000,「毎日グラフ」が 1948-1994 の発行でした。

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2022年3月11日 (金)

「みゆき族」の顛末と日本のファッション黎明。

Parisian Gentleman’ のサイトに 服飾に関する書籍について書いた記事 “HOW JAPAN SAVED AMERICAN STYLE (AMETORA), A BOOK BY W. DAVID MARK”(アメトラ:どのように日本がアメリカン・スタイルを救ったか,デビッドマーク著)By Hugo JACOMET8/4/2017 - がありました。

(*‘Parisian Gentlemanは,2009年にヒューゴ・ジャコメ(Hugo Jacomet)によって 個人的な日記として作成された。この日記で,彼の服飾の冒険(sartorial adventures)とオーダーメイドの仕立て(bespoke tailoring)と靴作り,・・・ への情熱を共有している。)

下記,拙訳して転載します。

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男性のエレガンスに興味があるなら,おそらく日本の紳士が世界で最も教育を受けた,より粋な(dapper)男性であることをご存知だろう。活況を呈しているオーダーメイドの靴業界(bespoke footwear industry),才能のある靴職人,アトリエを開く多くのオーダーメイドのテーラー,高品質のメンズウェア・ブランドとショップ,クラシックなメンズウェアを専門とする優れた雑誌を擁する日本は,現在の衣服(sartorial)ルネッサンスの原動力の1つである。

しかし,なぜ ? 世界的な衣服ムーブメントにおいて日本が果たしている重要な役割をどのように説明できるだろうか?

ちょうど1年以上前,米国の出版社であるベーシック・ブックス(Basic BooksG. Bruce Boyerの “Real Style” を出版)の広報部(press bureau)から,著者 W.デビッドマークによる「アメトラ:どのように日本がアメリカン・スタイルを救ったか(AMETORA : How Japan Saved American Style)」というタイトルの本を郵送で受け取った。それでも,先週まで 本の内容を吸収するのに時間がかかった。

この非常に興味深く,十分に記録化された本は,古典的な男性のスタイルの現象における日本の現在の役割に関する質問に正確に答える。

今日,私たちは本の紹介の一部をその内容のスニーク・ピーク(sneak peek:チラ見せ)として,そしてうまくいけば,服装の議論へのこの優れた貢献を注文して読むためのインセンティブとして公開する。

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AMETORA/How Japan Saved the American Style by W. David Mark” から-

1964年の夏,東京はオリンピックに向けて何千人もの外国人ゲストを迎える準備をしていた。計画立案者は,延びた(sprawling)高速道路,現代主義の(modernist)スタジアム複合施設,エレガントな西洋料理のレストランを揃えて,第二次世界大戦の灰の中から生まれ変わった未来都市(futuristic city)を示そうとしていた。昔ながらのトロリー・カーが通りから姿を消して,羽田空港から都内に観光客を呼び込む(whisk)ために,洒落た(sleek)モノレールがデビューした。

東京都は,観光客が高級デパートや高級(posh)カフェに引き寄せられる(gravitate)ことを知って,街の最高峰(the crown jewel)である銀座に特別な注意を払った。銀座のコミュニティ・リーダーは,戦後の貧困を連想する可能性があるものを排除し,木製のゴミ箱をモダンなプラスチック製のゴミ箱に置き換えさえした。

これらの清掃活動は,築地警察署の配電盤が必死の電話で点灯し始めた8月まで着実に進んだ。

銀座の店主達が,メイン・プロムナードである「みゆき通り(Miyuki-dori)」に侵入(infestation)があり,警察(law enforcement)の早急な支援が必要だと報告した:奇妙な服を着てぶらぶらしている多くの日本人ティーン・エイジャーがいた!

警察は調査(reconnaissance)チームを現場に送った。そこで彼らは,襟を押さえている珍しいボタンが付いた,厚いしわのある布(thick wrinkled cloth)で作られたシャツ,胸の高いところに余分な3番目のボタンが付いたスーツ・ジャケット,大きなマドラスとタータンの格子縞,縮んだチノ・パンツ あるいは 後ろに丈夫なストラップが付いたショーツ,長い黒のニー・ハイソックス,複雑な(intricate)ブローグ(broguing)が付いた革靴 を身に付けている若い男達を発見した。10代の若者たちは,正確に73の比率で髪を分けていた - これは,明らかに 電気ヘア・ドライヤーの使用を必要とした。警察はすぐに,このスタイルが英語の “Ivyから「アイビー(aibii)」と呼ばれていることを知った。

夏の間,タブロイド誌は銀座のこれらの気まぐれな(wayward)十代の若者たちに対して論じ(editorialized),彼らを「みゆき族」(the Miyuki Tribe)と呼んだ。彼らは家で真面目に(dutifully)勉強する代わりに,一日中店の前をうろつき(loitered),異性のメンバーとおしゃべりをし,銀座の紳士服店で父親が苦労して稼いだお金を浪費した(squandered)。彼らの哀れな(pitiful)両親はおそらくそのグループ(tribal)のアイデンティティについて知らなかっただろう:10代の若者たちは学校の適切な制服を着て家からこっそり出て,カフェのトイレに滑り込んで禁じられたアンサンブル(ensembles)に変わった。メディアは,皇居から天皇の出発を称える通りの名前である「みゆき通り」を「親不孝通り(Oyafuko-dori)」(street of unfilial children)と呼び始めた。

メディアは,みゆき族を彼らの明らかな少年非行(juvenile delinquency)だけでなく,国のオリンピック・プロジェクトの中心を脅かすものとして非難した。1964年の夏季オリンピックは,第二次世界大戦での敗北以来,世界の注目を集める日本初の瞬間であり,国際社会への完全な復帰を象徴するものだった。日本は,外国人観光客に,反抗的な十代の若者たちが通りにたむろしている様ではなく,国の奇跡的な復興の進展を直接見てもらいたいと考えていた。日本の当局は,帝国ホテルにお茶を飲みに出かける(sauntering)米国人ビジネスマンとヨーロッパの外交官達が,ボタンダウンの襟付きの軽薄な(frivolous)シャツを着た不快な(wicked)ティーンエイジャーの醜い光景に出くわすことを恐れた。

一方,地元の店のオーナーは,より直接的な不満を持っていた:毎週末,2千人の10代の若者がウィンドウの表示を覆い隠し(obscured),商取引の道具を台無しにした(gummed up。戦前の日本の権威主義の(authoritarian)時代なら,警察は最も些細な理由で銀座の怠惰な(derelict)ティーンエイジャーを簡単に逮捕することができただろう。しかし,新しい民主主義の日本では,警察の手は縛り(tied)があった。みゆき族のメンバーを一斉検挙する(round up)法的正当性はなかった。彼らは立ち止まって話をしているだけだった。しかし,警察は店主と同様に,介入(intervention)しなければ,銀座がそのうち「悪の巣(hotbed of evil)」に退化することを恐れた。

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そのため,オリンピックの開会式まで1ヶ月を切った1964912日土曜日の夜,10人の私服の刑事(plain-clothes detectives)が銀座の通りを一掃した(ran a coordinated sweep)。彼らは,ボタンダウン・シャツとジョンF.ケネディのヘアカットであれば誰でも止めた。85人の10代の若者が逮捕され,バスで築地留置所に送られ 手続き,説教,取り乱した両親との面会の夜に耐えた。

翌日,刑事は新聞にみゆき族の,たとえば,厚い英語の本のページの中にタバコを隠すなど多くの悪意のある(nefarious)トリックを明らかにした。すべてのメンバーが不正行為をしたわけではない,と警察は認めたが,彼らは「これらの若者を法律侵犯者(delinquents)になることから守る」ために手入れ(raids)が必要だったと感じた。逮捕はまた,10代の若者のファッションへの異常な関心が,男らしさ(masculinity)の危機と相関しているという警察の懸念を確認した。刑事たちは,「女性らしい(feminine)」言葉で話すみゆき族の少年たちに反発した(recoiled)。

これらの反体制的な(subversive)若者を撲滅しよう(stamp out)と決心した警察は,次の土曜日の夜に再び銀座に群がり(swarmed),残りの者たち(stragglers)を捕まえた。彼らの強硬な戦術(hard-line tactics)は成功した:みゆき族はその年の残りの期間,銀座から姿を消し,1964年の東京オリンピックは滞りなく開催された。縮んだ綿のズボン(shrunken cotton trousers)を穿いた日本人のティーンエイジャーの振る舞いの,おかしな(lurid)話を持って帰国した外国人は一人もいなかった。

大人はみゆき族を打ち負かしたかもしれないが,日本の若者はより大きな戦いに勝利したことになろう。1960年代以降,世界中で反抗的な10代の若者が両親や当局をはねつけ(spurned),独自の文化を築き上げ,学生としての狭いアイデンティティから解放された。日本での,最初のそして最も重要なステップは,標準的な問題(standard-issue)の学校制服を彼ら自身のスタイリッシュな服に置き換えることだった。このファッションへの関心はエリート家族の若者の間で始まったが,国の奇跡的な経済成長とマスメディアの爆発(explosion)と並行して大衆に広がった。アイビーによる銀座の奪取(takeover)以来,日本は世界で最もスタイルに拘る(style-obsessed)国としての現在の地位に向けて50年の軌道(trajectory)に乗ってきた。

Copyright © 2015 by W. David MarxPublished by Basic Books, a Member of the Perseus Books Group

(転載了)
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「みゆき族」のニュースは全国的であり,九州の高校生だった我々の耳にも届いていました。
そして その翌年の1965年秋,「みゆき族」騒動から 1年強経過後,高校2年生での関東地方への修学旅行の東京自由行動日,おかしなことをした連中がいました。

ニュースと「平凡パンチ」と想像力で,精一杯の「みゆき族」風の恰好をして「みゆき通り」に出向いたというのです。
勿論,教師がいる本郷の旅館からなので,途中で着替えるにしても,意図する格好に対して,かなり制限があったと思われます。
で,その結果は? 「みゆき通り」に十代の若者の姿は全くなかったそうです。
いずれにせよ,丸刈り頭では 7:3 に分けられない。

1968年から1972年まで学生だった私は,ほぼボタンダウン・シャツを着ており,1971年に入社試験(特に面接)を受ける際,「ボタンダウン・シャツは止めた方がいい」とのアドバイスを誰か(覚えてない)から受けた記憶があります。面接で,よほどおかしなことを言わない限り,筆記試験の出来が悪くても不採用になることはないと言われた指定校だったので,おそらくアドバイスは無視したと思います。

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2021年12月15日 (水)

“Take Ivy” を撮った写真家・林田昭慶氏,その逝去の年に-

米国のファッション・サイト ‘IVY STYLE’,AUGUST 8, 2013付けで-
Take Ivy Photographer Teruyoshi Hayashida, 1930-2013” の見出し記事がありました。
下記,拙訳・転載します。

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伝説の写真集 “Take Ivy” とその続編 “The Ivy”,“Take 8 Ivy” を制作した日本人写真家・Teruyoshi Hayashida(林田昭慶)は,88日にガンとの戦いで亡くなった。彼は83歳の誕生日までわずか15日達しなかった(shy of)。

林田は1930年に東京で生まれ,明治大学で政治経済学を学んだ。卒業後,カメラの使い方を学び,すぐにフリーランスの写真家になり,日本初のメンズ・ファッション雑誌「男子専科」と「メンズクラブ」で最も有名になった。後者を通じて,林田はVAN Jacketの石津謙介と親しい友人となり,1960年代初頭に「メンズクラブ」でほぼすべてのVAN広告写真を撮影した。

VANの従業員である石津祥介,くろすとしゆき,長谷川ポールが1965年春にアイビー・リーグのキャンパスの短編映画を撮影する計画だったとき,「メンズクラブ」は彼らにプロモーション用のスティル写真を撮るために写真家も連れてくるように頼んだ。林田は当然のように選ばれ,その任務は彼に初めて米国を訪問する機会を与えた。林田は,撮影クルーの邪魔にならない限り,好きな写真を撮ることができた。

帰国して数百枚の写真を現像後,「メンズクラブ」の編集者である西田豊穂は,彼らが素晴らしい仕事をしていたことを知り,VANに,出版社の婦人画報に林田の作品の別の本を映画に添えてリリースさせるよう説得した。

どちらの作品も19658月に “Take Ivy” というタイトルでデビューした。映画は本質的に公の場から姿を消したが,林田の本は生き続け,日本,そして後には米国でも,新世代のアイビー・ファンのスタイル・バイブルになった。

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日本での林田の伝説は,アイビー・リーグのキャンパスと密接に(inextricably)結びついており,1970年代から1980年代にかけて,東海岸の特定の8つの場所を撮影するためにさまざまな出版物で何度も戻ってきた。彼は年をとるにつれて,アイビー・リーグへの関心は,学生のファッションから伝統的な建築への崇拝(veneration)へと広がった(broadened)。彼の1983年の作品,“The Ivy” は,ほとんど人が写ってない大学のツタに覆われたレンガと石の建物に焦点を当てている。

2010年に “powerHouse” が英語でリリースした “Take Ivy” により,林田の作品は以前よりもさらに多くの,そのほとんどは本が出版されたときには生まれていなかった読者をインスパイアした。

1965年,日本人の海外旅行のごく初期の頃,林田と若いVANの従業員は,彼らの愛するアイビー・スタイルの国である米国を訪れる機会を得ることができてとても幸運だった。VANと「メンズクラブ」を中心としたこの “アイビー・カルト” にとって,“Take Ivy” の旅はメッカへの巡礼だった。林田の学生への深い敬意は,学年末の怠惰な日々(lazy days)の大雑把なスナップであったかもしれないものを永続的な文化的人工物(cultural artifacts)に変える。林田はファインダーを通して,当時の米国人が当たり前のように片付けていたであろう魔法のようなものを見た。

そして彼の作品のおかげで,60年代後半の反体制文化の(countercultural)の波の前のアイビー・スタイルの最後の苦闘(throes)である時代のスタイルの,視覚的な証拠資料(documentation)は永遠に生き続ける。W. DAVID MARX
(転載了)

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映画の Still Photo.が 雑誌となったこと,発行40余年後に米国で評判となり,英語版が出版されたこと,いずれも故人には予想外のことだったでしょう。

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2021年11月25日 (木)

N.Y.Times が選んだ注目すべき本,今年の100冊の中から-

The New York Timesの Nov.22,’21付けで-
100 Notable Books of 2021”(2021年の注目すべき本100冊)が掲載されました。

ニューヨーク・タイムズのブック・レビューの編集者によって選ばれた,今年の注目すべき本 100冊:
「フィクション」,「回顧録(Memoir)」,「ノンフィクション」,「詩」,「短編集(Stories)」の 5分野 計100冊を挙げています。
この中の「ノンフィクション」部門から 興味のある5冊を紹介します。

001_20211124180101 America on Fire: The Untold History of Police Violence and Black Rebellion Since the 1960s
America on Fire1960年代以降の警察の暴力と黒人の反乱の秘められた歴史
By Elizabeth Hinton(エリザベス・ヒントン) $29.95 Liveright

Notification
Hinton documents hundreds of often violent urban protests by Black Americans beginning in the mid-1960s, as policing grew increasingly aggressive.
ヒントンは,警察の攻撃性が増大するにつれて,1960年代半ばに始まったアフリカ系米国人による何百ものしばしば暴力的な都市の抗議を記録している。

Such protests must be understood, she posits, not as riots but as “rebellions” against racial injustice.
そのような抗議は,暴動(riots)としてではなく,人種的不公正に対する「反逆(rebellions)」として理解されなければならない,と彼女は主張している。

002_20211124180101 Catching the Wind: Edward Kennedy and the Liberal Hour
風をキャッチ:エドワード・ケネディとリベラル・アワー
By Neal Gabler(ニール・ガブラー) $40.00  Crown

Notification
Gabler relates how the youngest Kennedy brother overcame and scandal to become one of the most effective senators in U.S. history.
ゲイブラーは,ケネディの末っ子がいかに嘲笑(ridicule)とスキャンダルを克服して,米国の歴史の中で最も効果的な上院議員の1人になったのかを語っている。

In five decades, Ted Kennedy sponsored nearly 700 bills that became law, and left his imprint on scores of others.
50年間で,テッド・ケネディ(Ted Kennedy)は法律になった700近くの法案(bills)の発起人となり(sponsored),他の多くの法案に彼の痕跡を残した。

003_20211124180201 The Chancellor: The Remarkable Odyssey of Angela Merkel
首相:アンゲラ・メルケルの驚くべきオデッセイ
By Kati Marton(カティ・マートン) $30.00  Simon & Schuster

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As Marton demonstrates in this biography, Merkel’s was a life full of drama, as she rose from the hinterlands of East Germany to the center of power in Berlin and overcame all of the obstacles, from Communist repression to German misogyny, on her rise to the top.
マートンがこの伝記で示しているように,メルケル首相は,東ドイツの内陸地域(the hinterlands)から ベルリンの権力の中心に立ち上がって,共産主義の抑圧からドイツの女性憎悪(misogyny)に至るまでのすべての障害を克服し,トップに上り詰めた,ドラマに満ちた人生を送った。

004_20211124180201 Churchill’s Shadow: The Life and Afterlife of Winston Churchill
チャーチルの影:ウィンストン・チャーチルの生涯と余生
By Geoffrey Wheatcroft(ジェフリー・ウィートクロフト) $40.00  W.W. Norton

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Wheatcroft’s Churchill led Britain heroically during World War II, but at other times in his life, as recounted in this revisionist biography, he was an imperialist, a racist, a drunk, a neglectful father and, perhaps most of all, a masterful mythmaker.
ウィートクロフトのチャーチルは,第二次世界大戦中に英国を英雄的に導いたが,この修正主義者の伝記で詳しく述べられている(recounted)ように,彼の人生の他の時期には,帝国主義者(imperialist),人種差別主義者,酔っぱらい(drunk),怠慢な父親(neglectful father),そしておそらく何よりも優れた技量の(masterful)神話作者(mythmaker)だった。

005_20211124180201 JFK: Coming of Age in the American Century, 1917-1956
JFK:アメリカ世紀の時代の到来、1917-1956
By Fredrik Logevall(フレデリック・ロジヴォール) $40.00  Random House

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In this first of two projected volumes, Logevall demonstrates how, even at an early age and despite his playboy reputation, John Kennedy took a serious interest in politics, forming a cleareyed sense of the world and his nation’s place in it.
ロジヴォールは,この2つの計画されたボリュームの最初の巻で,若い頃からのプレイボーイの評判にもかかわらず,ジョン・ケネディが政治に真剣に関心を持ち,世界と米国の世界における位置について明敏な(cleareyed)感覚を形成したことを示している。

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機会があれば読んでみたい,と書きたいところですが,無理と思われるの止めておきます。
どのような本が 出版されているかに関する興味,ということでいいでしょう。

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2021年11月23日 (火)

伝説の写真集 “TAKE IVY” を 英文 Wikipedia はどのように記しているか。

001_20211116162201 写真集 “TAKE IVY” は-
  「いまでこそIVYTRADファンの永遠のバイブルともいわれているが,当初はさほどの人気はなく,発行部数数千部の半分はVANが買い取り,得意先に配布したという程度のものだった。
   ところがその数十年の間に,この本は海外のファッション専門家の間でカルト的な人気を博すようになり,オリジナルの日本語版はeBayのオークションにおいて数千ドルで売買されるまでになる。日本でもその人気は高まり,2006年にはSHIPSの協力で限定復刻版が1000部発刊されたが,またたく間に完売したという。」(「石津謙介 大百科」より)

以下,英文Wikipedia を拙訳・転載します。
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TAKE IVY

TAKE IVY” は,1960年代のアイビー・リーグの学生の服装を記録した1965年のファッション写真集である。ニューヨーク・タイムズはそれを「ファッション・インサイダーの宝物(a treasure of fashion insiders)」と表現した。“TAKE IVY” は,日本のベビーブーム世代向けのアイビー・リーグのバイブルであり,近年では「ネオ・アイビー」スタイルにも影響を与えている。この本は世界中で5万部以上売れている。オリジナルのコピーは西洋では稀少であり,2,000ドルものオークション価格を獲得している。

002_20211116162201 Background
背景

TAKE IVY” は,4人の日本の,洋服スタイル(sartorial style)の愛好家(enthusiasts)によって制作され,米国のエリート・アイビー・リーグ大学のキャンパスで撮影されたスナップ写真(candid photographs)のコレクションである。このシリーズは,1959年から1965年までの大学生の男性とその服に焦点を当てている。キャンパスで食事をする,寮(quad4人部屋)でくつろぐ,自転車に乗る,図書館や教室で勉強する,またはボートハウスで,この写真の概要(compendium)の主題は,完璧で(impeccably)独特な(distinctively)米国製の上質な衣服を着ている。

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Reception
受け入れ

ラルフ・ローレンや J.クルーなどの有名な米国人デザイナーは,どちらも “TAKE IVY” のコピーを店頭に陳列している。雑誌の編集者や小売業者は,本の写真から直接取ったファッション(looks)を誇らしげに表示しており,このスタイルはクラシックと見なされている。

Authors
著者

TAKE IVYは,日本の写真家とメンズ・スタイルの愛好家によって作成された写真集だった。タイトルはデイヴ・ブルーベックのジャズ曲 “Take Five” にインスパイアされたものである。

林田昭慶は,都会の,おしゃれな青山地区で生まれ育ち,メンズクラブ誌のタイトル発足直後から表紙撮影を開始した。
彼のスタイルは非常に洗練されている(sophisticated)と見做されており,グルメ料理の愛好家でもある。自家製醤油漬けの山椒(soy sauce-marinated Japanese pepper)と,ガネルの天ぷらとリースリング・ワイン(riesling wine)が大好きなことで知られている。

石津祥介,石津オフィスのディレクターは岡山県生まれ。
桑沢デザイン研究所卒業後,メンズクラブ編集部に勤務。彼は1983年に石津事務所を設立し,ニブリック(Niblick)を含むいくつかの衣料品ブランドを生み出し続けている。

くろすとしゆきは1961年にVAN Jacket(株)に入社し,商品の開発と販売を推進した。
彼は1970年に会社を辞め,‘Cross and Simon’と呼ばれる彼自身の事業を始めた。ブランドの営業を停止した後,としゆきは「アサヤン」と呼ばれるヒットバラエティ番組にレギュラー・ゲストとして出演し始めた。としゆきはまた,活発なライターであり,知識人でもある。

元(Paul)長谷川は兵庫県出身である。
長谷川は1963年に米国での留学を終えた後,帰国してVAN Jacketに入社。そこで彼は広告と広報を担当した。長谷川は “TAKE IVY” 制作のメイン・コーディネーター兼通訳だった。それ以来,彼は国内外で様々な管理職を歴任した。彼は現在,‘Cosmo Public Relations Corporation’ の常務取締役を務めている。

Publishing
出版

TAKE IVY” のオリジナルは,1965年に日本で,現在は「㈱ハースト婦人画報社」(Hachette FujuingahoCo.Ltd)として知られている「婦人画報社」の発行者によって発行された。
最新版は,2010831日にニューヨークのブルックリンにある ‘powerHouse Booksから出版され,24.95米ドルと28.95カナダ・ドルで販売されている。 2011年に,オランダ語の翻訳が ‘Michael Hendriks’ によって書かれ,‘Parvenu Publishers’ によって 19,95ユーロで発行・販売された。

(転載了)
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このWikipediaには 参考資料として オリジナル版をスキャンしたサイトが紹介されています。

http://www.acontinuouslean.com/2008/05/19/take-ivy/
http://thetrad.blogspot.ca/2008/12/take-ivy-chapter-i.html

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2021年9月19日 (日)

TIME誌の「2021年 最も影響力がある100人」から-

米誌タイムは15日(日本時間16日)、毎年恒例の「世界で最も影響力のある100人」を発表,日本から女子テニスの大坂なおみ,エンゼルスの大谷翔平投手,建築家の隈研吾さんが選ばれました。

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ここでは 大坂なおみさんと大谷翔平投手の記述を紹介します。

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THE 100 MOST INFLUENTIAL PEOPLE OF 2021

Naomi Osaka
大坂なおみ

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大坂なおみの謙虚さ(humility)と他人への献身は注目に値する(spectacular)。 彼女がメンタルヘルスとの闘いについて正直に話し,彼女の脆弱性(vulnerability)を私たちと共有することができたことは,非常に有意義である。
彼女は世界に言うことができた:ねえ,聞いて,私は何かを経験している。これが私の真実です。(Hey, listen, I’m going through something. Here’s my truth.

そうすることで,彼女は以前と同じように他の人に奉仕している。20205月のジョージ・フロイドの死後,なおみはミネアポリスでの抗議行動に参加した; 彼女が最終的に優勝した昨年の全米オープンでは,なおみはトレイボン・マーティンやブレオナ・テイラーなど,近年殺害された7人のアフリカ系米国人を称えるマスクを着用した。彼女は,あなたが自分のしていることで世界最高の仲間入りをし,それでも正義のために戦い,直面している課題についてオープンになれることを示している。

私たちは皆,違いを生む能力を持っている。しかし,時には,誰かの影響範囲が非常に大きいため,文化を変えたり,社会を変えたり,世界全体を変えたりすることができる。大坂なおみにはそれをする力がある。

BY RUSSELL WILSONan NFL player for the Seattle Seahawks

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Shohei Ohtani
大谷翔平

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大谷翔平は 我々が今まで見たことのないような素晴らしいシーズンを迎えている。
マウンドでの彼のスキルは,バッター・ボックス(plate)での彼の優位性(dominance)と相まって,メジャーリーグ全体で比類のないものだ(unparalleled)。

彼は現代のバンビーノ(Bambino:ベーブ・ルースの愛称)だが,ベーブ・ルースでさえ,同じシーズンに20以上の盗塁をしたり,40本以上の本塁打を打ったり,時速100マイルを投げたりしていなかった。
翔平だけが可能だ。 フランケンシュタインにすべてのユニークな才能を1人のプレーヤーにまとめると,大谷翔平になる。彼はブライス・ハーパー(Bryce Harper)の力,マックス・シャーザー(Max Scherzer)のピッチング,そしてトレイ・ターナー(Trea Turner)のスピードを持っている。

彼はフィールドで素晴らしいだけでなく,フィールド外では紳士である。彼のチームメイトは翔平について良いことしか言わないし,彼はメディアやファンに対しても素晴らしい。

You can tell he is a hard worker, from his improvement yeartoyear and his vertical-jump increase to the career-year hes put together in 2021.
彼の年ごとの改善,垂直跳びが増えて2021年にまとめられたキャリア年から,彼が勤勉であることがわかる。(訳:?)

今年,翔平は見ているのが真の喜びだった。私は大ファン(huge fan)で,彼は容易に入場料の価値がある。彼がどのようにシーズンを終えるかを見るのが待ちきれない。

BY ALEX RODRIGUEZan ESPN analyst and a former professional baseball player

(部分転載了)
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2021年8月11日 (水)

“AMETORA” の著者とのインタビュー

 2015/12/1,出版社 ‘Basic Books’(米)から “AMETORA/How Japan Saved American Style” という本が出版されました。
著者は W. David Marx本の内容について 出版社のサイトには次のように書かれています。

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最近の典型的な「アメリカ」の衣料品をよく見ると,中に日本のラベルが入っているのを見て驚くことがあるかもしれない。最高級のデニム(high-end denim)からオックスフォード・ボタンダウンまで,日本のデザイナーは「アメトラ(ametora)」,あるいは「アメリカン・トラディショナル(American traditional)」として知られるクラシックなアメリカン・ルックを採用し,ユニクロ,鎌倉シャツ,エヴィス(Evisu),カピタル(Kapital)などの企業にとって巨大なビジネスに変えた。この現象は,日本とアメリカのファッションの間の長い対話(dialogue)の一部である:実際,現代アメリカのワードローブの基本的なアイテムや伝統の多くは,日本の消費者とファッション専門家(fashion cognoscenti)の管理(stewardship)のおかげで今日も健在である。彼らは,生まれ故郷(native land)で流行遅れになった(out of vogue)時期に,これらのアメリカのスタイルを儀式化し(ritualized),保存した(preserved)。

Ametora” では,文化史学者(cultural historian)の W.デビッド・マルクスが過去150年間のアメリカのファッションの日本での同化(assimilation)をたどり,日本の流行仕掛け人(trendsetter)や起業家がどのようにアメリカのスタイルを模倣(mimicked),適応(adapted),輸入,そして最終的に完成させ,日本の文化だけでなく,その過程で私たち自身をも劇的に再形成したかを示している。***********************

The Wall Street Journalの姉妹誌の週刊誌/新聞である ‘Barron'sのサイト ‘PENTA’,Feb. 24, 2020付けに 著者 W. David Marx とのインタビュー記事がありました。

下記,拙訳・転載します。

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20 Minutes With: W. David Marx on How Japan Saved Traditional American Style
「『日本が伝統的なアメリカン・スタイルをどのように救ったかに関するW.デビッド・マルクスとの 20分間

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W・デイビッド・マルクスは 東京に16年間住んでおり,日本のアメリカン・スタイルとの関係について書いている。)

W.デビッド・マルクスの本 「アメトラ:いかに日本がアメリカン・スタイルを救ったか(Ametora: How Japan Saved American Style)」は,奇妙な逸話から始まる。1964年の夏,何百人もの10代の若者が銀座の活気に満ちた地区に殺到した(descended)。その銀座が,東京都は,オリンピックのために集まる外国人にとっての,最高の重要な町(the city’s crown jewel)になることを望んでいた。
10代の若者たちは,3ボタンのスーツ・ジャケット,ボタンダウンのオックスフォード・シャツ,チノパン,革のドレス・シューズなど,日本の当局がこれまでに見たことのない服を着ていた。彼らは米国のエリートである東部大学の学生のように目立って(remarkably)に見えた — そして,それがまさにポイントだった。

その外観(look)はアイビー・スタイルとして知られており,それは米国のファッションに対する一人の男性の執着(obsession)の結果だった:それは,先見の明のある(visionary)ブランド,“Van Jacket” の創設者である石津謙介であった。 石津謙介のアイビー・リーグの美学(aesthetic)は,日本の若者に急速に広まった。(その キャッチ・フレーズ(tagline)は “For the young and the young-at-heartだった。)しかし,警視庁は,これらの変わった服装の(unusually-dressed)若者が,訪ねる観光客に間違った印象を与えるのではないかと危惧し,10代の若者を一斉検挙し(rounded up),警察署にしょっ引いた(hauled)。

それは極端な(drastic)措置であり,最終的には10代の若者が勝利を収めた(win the day):銀座の急襲(raids)は,伝統的なアメリカのスタイルに対する日本での数十年にわたる(decades-long)執着(obsession)の始まりを運命づけた(marked)。アメリカでは使われなくなった織機(looms)で作られたセルヴィッチ・デニム(selvedge denim)やスウェットシャツから,J.プレスなどの伝統的なアメリカのブランドを日本企業が完全に(outright)購入するまで,日本のデザイナーは何十年にもわたってアメリカン・スタイルを採用し,改良し,自身のものとした。 (“Ametora” は “American traditionalを意味する。)

マルクス(41歳)は,東京に住む16年間,この移り変わりを記録してきた(chronicled)。フロリダ州ペンサコーラで育った彼は,17歳のときに初めてホームステイのために日本を訪れた。ハーバード大学で,マルクスは日本の社会と政治に焦点を当てて東アジア研究を学び,日本のストリートウェア・ブランド “A Bathing Ape” に関する卒業論文(senior thesis)を執筆した。それ以来,GQHarper’sNylonなどの雑誌に寄稿し,東京の慶應義塾大学で商学(business and commerce)の修士号を取得している。

マルクスは最近,アメリカのスタイルに対する日本の影響(逆もまた同様-and vice versa)に関して,“Penta” と話した。

PENTA:あなたの本の多くは,日本人がこれらの 伝統的なアメリカの衣服(traditional American garments)に 如何に興味を持ち,何年にもわたってそれらを改良したかについて書かれている。日本から来るものなら,品質は良くなると思うが,どうして これが(米国から・・・)起こった?

W.デビッド・マルクス:私が興味を持ったことの一つは,日本がどこかクールに,アメリカ合衆国 あるいは 西側の地図に載ったかということだった。日本はどうやってクールになったのか? そうではなかったからである。私の世代は任天堂の最初の世代で,日本はテクノロジーの面で米国よりも 物事が早く起こっていると漠然と感じていたが,日本はそれほどクールではなかった。

80年代後半から90年代初頭に戻ると,日本の報道では,日本の若者の文化,パンクを模倣する人々,または確固としたアメリカの個人主義をその中心に据えることなく,アメリカのカジュアル・スタイルを模倣する,非常に傲慢で非常に失礼な作品がたくさん見られる。日本がクールになった90年代半ばには,それは本当にひっくり返る。

セーターとジーンズとスニーカー(これらの種類のもの)で魅力的であることは,それらが古典的にアメリカのものであるということであり,そして,日本はそれらの第一の(premier)提供者(purveyor)になった。やや意外なことだった。これらの衣料のデザインは,米国の古典的な形と同じである。彼らは新しい種類のスウェットシャツを作ったのではなく,米国で失われた本物の生産技術を復活させただけだった。日本は,過去を保存する場所,そしてあなたに最も本物の物(authentic things)を与える場所として有名になり始めている。

PENTA:あなたの本は,アイビーの服を着た10代の若者についての,この驚くべき逸話(anecdote)から始まる。そして、それがいかにスキャンダラスで,怠慢(delinquent)と見なされたかについてである。それを,本を読んだことがない人のために文脈に入れて,アイビー・スタイルとは何かを説明してもらえますか?

W.デビッド・マルクス:人々は,1945年の戦後,アメリカ兵やアメリカ人が日本に現れ,日本人が彼らのスタイルを模倣し始め,60年代までには誰もがアメリカ人の服を着たという意味で,占領によってアメリカのスタイルが大きく影響したと考えている。しかし,私が調査で気が付いたのは,占領されるようになって,日本人はアメリカ文化を願望としての理想に惹きつけられたということだったが,物質的な意味ではなかった。人々はアメリカ人のようには着なかった。アメリカン・スタイルをはぎ取って日本人に売り戻すようなものを作っている会社はなかった。

それは,本当は,60年代初頭に始まる,一人の男から。この男は “Van Jacket” というブランドを始めた石津謙介である。彼は50年代の終わりにプリンストンに行き,プリンストンの学生が非常にクラシックなアイビー・リーグのスタイル(ツイードジャケット,チノパンツ,ボタンダウンのオックスフォード・シャツ)を着ているのを見た。そして言った「うわー,これを日本で若い人たちに売ることができる。」
それは,まさにオリンピックの時期である1950年代後半から1964年頃に実際に始まる。

それは若者のファッションが本当に非行な(delinquent)ものとして見られた最後の瞬間だった。 そこから,若者の市場は本当に爆発する。

001_20210621155601 PENTAこの本では,アイビー・スタイルが何度も登場し(reemerges),その間にあるこれらすべてのトレンドを乗り越えているのは興味深いことである。アイビー・スタイルは 今日どのように生き残っているか?

W.デビッド・マルクス:現在,純粋主義者のアイビー・ブームは,日本と世界中で終わっている。
しかし,それは日本のファッション文化の基本に浸透している(seeped)。若者向けファッションの日本最大のブティック・チェーンの1つである “Beams” のようなブランドは,アメリカ東海岸のブランドのように始まる。そして,“Uniqlo” の創業者である柳井正は,父が故郷で “Van Jacket” のブティックを経営していたことから,アイビー・リーグ・スタイルで育った。“Uniqlo” に行っても極端なアイビー・リーグはあまり感じないが,そこに根ざしています。 基本的に日本では,アイビー・リーグ・スタイルがベース・ファッションで,その後は基本的にすべてがバラバラになっている(splintered)ことがわかる。

PENTA今日のアメリカン・スタイルに影響を与えている日本のスタイル・トレンドは何か?

W.デビッド・マルクス:最も明らかな例は,ブランドそのものということ。

メンズウェアをリードしているブランドを見ると,かなり明確な2つは “Engineered Garments” と “Visvim” である。メンズウェアだけでなく,ストリートウェアとのクロスオーバー・ファンがたくさんいる。日本はトレンドの最初のアイデアを採用しないことがよくある。しかし,日本はそれらのトレンドに合った服を作ることと,雑誌を通してスタイリングを示すことの両方でしばしば最速である。

PENTAあなたの本を読んだり,「ポパイ」(1976年に創刊された影響力のあるファッション出版物)のようなさまざまな男性誌について読んだりして,トレンドを定義する上で光沢のある(glossy)雑誌がまだ本当に重要だった昔のことを懐かしく思いました。日本にはまだ堅調な(robust)プリント・ファッション雑誌市場がありますか?

W.デビッド・マルクス:はい,間違いない。10年前と比べると輝き(luster)が少し失われているが,米国と比べるとまだ非常に強い。書店に行くと,日本で販売されているタイトルの数に戸惑う(bewildered)だろう。しかし,いくつかのことが継続している:まず,日本には多くのブランド広告があり,ファッション・ブランドにとって,雑誌は依然として最も信頼できる広告掲載場所である。

第二に,日本と米国では雑誌の役割が異なり,最近では,米国は日本の雑誌に非常に似たものになっている。70年代に戻って,“Vogue”,“GQ”,その他のこの種類の雑誌を見ると,それらは特にあまり規範的(prescriptive)ではなかった。それらはあなたに感触を与え,季節が何であるかについての一般的な感覚をあなたに与えるだろう,しかし,それらは「これをしなさい,あれをしなさい(do this, do that)」とは言わない。

日本の雑誌はあなたが物を着る方法について非常に規範的(prescriptive)である。雑誌には価格が示していて,あなたは実際にそれを買うために店に電話をする。日本の雑誌は,カタログとスタイリング・ガイドのように機能する。特に東京の外に住んでいて,これらのトレンドをリアルタイムで見ることができない場合,多くの若者がそう感じる。何を買うべきか,どのように着るべきかについての具体的な指示を得るのは非常に役に立った。

PENTA:東京を訪れる,メンズウェアに夢中になっている友人がいる場合,彼らにチェックを勧める最適なショップはどこか?

W.デビッド・マルクス:有楽町の「ビームス・プラス(BEAMS)」は,アメリカのクラシックな伝統的なアイテムに極めて優れている(really great)。 「鎌倉シャツ」は、オーダーメイド(made-to-measure)のシャツを手頃な価格(affordable prices)で手に入れるのに最適な店である。デニムに関しては,「フルカウント(FULLCOUNT)」は本当によくできたデニムだが,比較的最小限で(relatively minimal),できるだけオリジナルに近づけようとしている。
(転載了)

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1965年に出版された日本の写真集 “Take Ivy” が 40年後に米国で話題になり,2010年に米国の出版社から 英語版として復刻・再出版されたことからも “How Japan Saved American Style” は正しい表題です。

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