カテゴリー「書籍・雑誌」の61件の投稿

2020年6月27日 (土)

トランプ大統領の第二の暴露本は 彼の姪が書いた。

Trump-photo 6月23日の元大統領補佐官 ジョン・ボルトンの暴露本 “The Room Where It Happened : A White House Memoir” の出版に続いて,トランプ大統領の姪(兄の娘)による暴露本の出版が 7月28日に計画されているようで 更に話題になっています。

英文 Wikipedia には,すでに この本のタイトル “Too Much and Never Enough” で記事が掲載されています。

よくまとまっているので 拙訳・転載します。

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Too Much and Never Enough: How My Family Created the World's Most Dangerous Man” は,ドナルド・トランプの姪であるメアリー L.トランプ(Mary L. Trump)によって書かれた近刊の暴露本(tell-all book)であり,2020728日にSimonSchusterによって発行される予定である。

この本は,著者が,どのようにニューヨーク・タイムズの,トランプ家族の税申告を明らかにした匿名の情報源になったかについて詳述する。このレポートは2019ピューリッツァー賞を受賞した。

Background
背景

臨床心理学者のメアリー L.トランプはフレッド・トランプ・ジュニアの最年長の子供であり,フレッド・トランプ・シニアの最年長の孫である。メアリーの父親は1981年に42歳でアルコール依存症による心臓発作で亡くなった。

1999年にフレッド・シニアが死去した後,メアリーとその弟のフレッドIIIは,フレッド・シニアがアルツハイマー病に苦しんでおり,その遺言(will)は,フレッド・シニアの他の子供たち,ドナルド,マリアンヌ,ロバートによる「不正(fraud)と不当威圧(undue influence)で作られた」と主張して,遺言検認裁判所(probate court)でフレッド・シニアの遺言に異議を唱えた。

1週間後,ドナルド,マリアンヌ,ロバートは,てんかん性けいれんのある(epileptic spasms)フレッドIII18ヶ月の息子ウィリアムの医療保障を終了した。

メアリー氏は ニューヨーク・デイリー・ニュースへのインタビューで,「叔母と叔父は自分を恥じるべきだと思う。彼らはそうではないと信じてはいるがー。」と語った。訴訟は和解し,ウィリアムの健康保険は回復した。

ドナルドは2016年に彼の行動を説明した:「彼らは訴訟を起こしたので私は怒っていた。」

メアリー・トランプは,叔父の2016年の大統領選挙に反対した。

彼が大統領に選出された後,彼女はニューヨーク・タイムズに連絡を取り,匿名の情報源としてトランプ一家からの税務書類を提供した。
これらの文書は,デビッド・バーストウ,スザンヌ・クレイグ,およびラス・ビュトナーの説明的報告で,ピューリッツァー賞を受賞したトランプによる金融詐欺を詳述した2018年の記事に使用された。

バーストウはメアリー・トランプに対して,彼女に代わって本をゴーストライティングするという申し出を進めようとした。
彼は彼女に彼の代理人であるアンドリュー・ワイリー(Andrew Wylie)を紹介した。アンドリュー・ワイリーは彼女に数百万ドルの前金を提供した。クレイグとビュトナーはこれについて知って腹を立て,そしてタイムズの編集者はその倫理的ガイドラインのためにバーストウが本を書くことを禁じた。

彼女は最終的にWME(William Morris Endeavor)のジェイ・マンデルと協力して,オークションでサイモン&シュースターに彼女の本を売った。

Release
発行

SimonSchusterは,最初,2020811日のリリース日を設定して,この本に関する独占情報を デイリー・ビースト紙(The Daily Beast)に提供し 615日に掲載された。2日後,この本はAmazonのベストセラーリストで5位になった。

この記事への反応により,彼らは発行日を728日まで早める変更をした。

ドナルド・トランプ氏は,2001年にフレッド・シニアの遺言の和解において秘密保持契約に署名したと主張し,本の出版を停止するためにメアリーに対して訴訟を起こすことについて話し合うために彼の弁護士に相談したと伝えられている。
ロバート・トランプは623日に,暫定的差止命令(preliminary injunction)と一時的な禁止命令(temporary restraining order)によって 出版を阻止しようとして訴訟を起こした,

Overview
要約 

この本は,メアリー・トランプが,トランプ家からの機密税務書類をニューヨーク・タイムズに提供した方法を示していると伝えられている。文書は,ドナルド・トランプが 1990年代に 自分が苦労している事業にテコ入れするために,父親の不動産事業から約41300万ドルを移した不正にかかわる方法を明らかにしている。

ニューヨーク・タイムズは,その報道により,2019年ピューリッツァー賞の説明報道賞(Explanatory Reporting)を受賞した。メアリーはまた,ドナルドとフレッド・シニアが 彼女の父親を無視したことが,アルコール依存症による彼の死の一因になった(contributed)と本で主張している。

(転載了)
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この本は売れそうです。

サブタイトルの “How My Family Created the World's Most Dangerous Man”(どのようにして 世界で最も危険なこの男を 私の家族は生んだか)は興味があるところです。

因みに 「暴露本」と訳した Tell-all book” の定義は次の通りー
「対象者の許可や情報なしで書かれた,オーソライズされてない伝記。
通常,対象者の存命期間内または死亡直後に書かれた伝記に限定される。よって,対象者の死後ずっと後に書かれた,歴史上の人物の伝記には適用されない。」

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2020年6月19日 (金)

元大統領補佐官 ボルトンが回顧録を出版するらしい。

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CNN’ 電子版 June 12, 2020付けに “John Bolton's book to be published later this month despite White House objections” (ホワイトハウスの反対にもかかわらず,ジョン・ボルトンの本は今月後半に出版予定)の見出し記事がありました。

興味深いタイトルなので 拙訳し転載します。

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ワシントン(CNN):大統領 ドナルド・トランプの元国家安全保障担当大統領補佐官(national security adviser)ジョン・ボルトン氏は,ホワイトハウスの反対にかかわらず,今月後半に待望の回想録(memoir)を発表する,とボルトン氏の出版社は金曜日(12日)に語った。
SimonSchuster’ は,ボルトンの著書 "The Room Where It Happened : A White House Memoir" (それが起こった部屋:ホワイトハウス回顧録)623日にリリースすることを発表した。

この本は,昨年トランプの弾劾(impeachment)につながったウクライナを取り巻く,西ウィングで起こった出来事のインサイダー報告を暴露する。発行日の発表は,ホワイトハウスが今月初めに,機密情報(classified information)が含まれているという主張をめぐって,この本の出版をまだ有効にしていないと述べた後に発表された。

SimonSchusterは金曜日,ボルトンが国家安全保障理事会(the National Security Council)と「協力して」(in cooperation)変更を組み込むために働いたと言った。

「この本の最終版はこれらの変更を反映しており,‘SimonSchusterはボルトン大使のトランプ・ホワイトハウスでの彼の時代の物語を伝える最初の修正の権利を全面的に支持している」と出版社は述べた。

ボルトンは,トランプが行ったすべての決定が彼の再選に集中していることに気が付いていたと書いており,ボルトンは下院民主党議員(House Democrats)が,「ウクライナのような犯罪(transgression)が存在した」という追加の外交政策決定ではなく,ウクライナだけに焦点を合わせることによって「弾劾過誤(impeachment malpractice)を犯した」と考えた。

SimonSchuster’ によれば「私の在職中,再選の計算に基づくものではなかった重要なトランプの決定を特定するのは難しい(hard-pressed to identify)。」とボルトンは書いている。

ボルトンの回想録は,下院の弾劾審理(impeachment inquiry)または上院の弾劾裁判の一環として証言しなかった後に出版される。

ボルトンは,20197月のトランプ大統領のウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領との電話で,ゼレンスキー氏にトランプの2020年のライバルである,ジョー・バイデン前副大統領の調査を要請したトランプ氏の国家安全保障アドバイザーだった。ボルトンはまた,ホワイトハウス会議と米国の治安援助が差し控えられている間,ウクライナをバイデンの調査に駆り立てる政権内外の取り組みの間,そこにいた(present)。

ボルトンは,欧州連合ゴードン・ソンドランドと当時の参謀長ミック・マルバニーへの当時の米国の大使がウクライナで捏造していたどんな「薬物取引」(drug deal)の一部にもありたくないと 昨年,言った。そして,元ホワイトハウス・ロシアの専門家フィオーナ・ヒルが昨年下院弾劾調査者に話した。

しかし,ボルトンは下院情報委員会の前に自分自身を証言することに抵抗し,それが下院の弾劾捜査を導き,トランプの権力乱用(abuse of power)と議会妨害(obstruction of Congress)の2つの弾劾(impeachment)につながった。

上院は両方の罪でトランプを無罪とした。

ボルトン氏の元代理人であるチャールズ・カッパーマン氏は,昨年召喚(subpoena)された後,訴訟を起こした。

カッパーマンとボルトンは弁護士を共有し,下院民主党はボルトンの召喚状を発行すれば同様の訴訟が起こされると述べた。

その後 ボルトンは上院弾劾裁判(the Senate impeachment trial)で証言することを申し出たが,上院は大統領を無罪にする(acquit)前に,いかなる証人も呼ぶことに反対した。

CNNは以前に,ボルトンのチームが彼の本の一部の情報を遡及的に(retroactively)機密化(classify)しようとする可能性に備えて準備したと報告した - 機密情報を扱う行政命令の抜け穴のため,珍しいこと(uncommon)だが,前例がないことではない(not unheard of)。

大統領,副大統領,および大統領によって指名された一部の政府機関の長(agency heads)は,情報の機密化(classifying)または機密扱いの解除(declassifying)に対して幅広い権限を持っている。

(転載了)
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米国の政治に疎く,うまく訳せませんでした。申し訳ない。
トランプはかなり気にして何らかの手を打っているようですが・・・。

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2020年5月22日 (金)

UNIQLO のフリーマガジン “LifeWear” はクール。

先日,UNIQLO の店の前で たまたま 2月14日発行のフリーマガジン “LifeWear Magazine/Issue 02 2020 Spring & Summer” を見つけて持って帰りました。
約130ページの立派な雑誌で 製品の単なるカタログではありません。
Issue 02” で,去年の夏に 創刊号 “Issue 01 2019 Autumn & Winter” が発行されたようですが,気が付きませんでした。

日本語と英語を 並列に示してあるバイ・リンガル誌で 発行部数 は100万部,世界中で配布しているのでしょう。

カタログではなく,記事毎にテーマがあって その中で製品紹介しています。

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表・裏 表紙
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内表紙 & 索引
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2020年4月11日 (土)

今更だが,10年前の “Take Ivy” の Book Review

10年前の2010年8月,米国の出版社(powerHouse Books,NY)から1冊の本が出版されました。
1965年に 婦人画報社から出版された写真集 “TAKE IVY” の英語版で,45年を経た復刻版です。

出版1年前の2009年6月17日に,‘The New York Times’ の ‘Fashion & Style’ 欄に,“The All-American Back From Japan” というタイトルの記事が掲載されました。
「“TAKE IVY” は アメリカでは常に希少で,ファッション関係者の貴重品(treasure)として eBayや 古本屋で 1,000ドル以上の値が付いている。」とありました。この記事がきっかけで 更に値段が上がり,アメリカでの re-print に繋がった,ということでしょう(か?)。

2010年7月23日,出版前に またしても ‘The New York Times’ の Fashion & StyleThe Look(新書紹介?)で “TAKE IVY” が取り上げられていました。ここでは 「・・・online で 数千ドルで “TAKE IVY” が取引されていた。・・・ 来週からは 誰でも 24.95ドルで “TAKE IVY”の odd influence(何と訳すべきか?) を経験できるようになり ・・・」などとありました

GENTLEMAN’S GAZETTE’ ウェブサイトの 10年前 September 3, 2010 にも,出版されて すぐの “Book review: Take Ivy” の書評記事がありました。

下記,拙訳し 転載します。

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Introduction
イントロダクション

つい最近,831日の時点で,“Take Ivy”という本を再び手にすることができるようになると述べた…
 出版社の “powerhousebooks” は,親切にも 発売前に本を送ってくれた。

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もともとこの本は,1965年に,著者である石津 祥介,くろす としゆき,長谷川 元,写真家 林田 昭慶が米国東海岸を訪れた後に執筆された。彼らは,アイビーリーグの8つの大学(ハーバード大学,イエール大学,プリンストン大学,ペンシルベニア大学,コロンビア大学,ダートマス大学,ブラウン大学,
コーネルル大学)の学生のライフスタイルのポートレートを撮影することを意図していた。

この本は日本語でのみ発行されたが,コレクターとプレッピー・スタイルの愛好家は,この本のコピーに過大な(excessive)金額(時には最大2000ドル)を払うことをいとわなかった。明らかに,供給よりもはるかに多くの需要があった。多くのブロガーとNYタイムズが “Take Ivy” について書いた後,1965年版の著作権所有者である「アシェット・コレクションズ・ジャパン」(Hachette Japan)の承認を得た後,“powerhousebooks” はそれを再発行することを決定した。

最終的に,本を再発行する(reissue)だけでなく,できる限り正確に複製することが決定された。彼らは1965年版と同じ紙,製本,ブックカバー(dustcover)などを使った。唯一の例外は,本を日本語から英語に翻訳して,世界中のアングロ・プレップ・スタイル(anglo-Prep Style)のファン(enthusiast)が “Take Ivy” を楽しめるようにすることだった。

Contents
コンテンツ

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本は4つの主要な章に分かれている:カレッジ・ライフ,カレッジ・ファッション,「アイビー」の要素(Elements of “Ivy)そして “Take Ivy”である。最初の3つの章は大きな写真と簡単な説明で主に占められているが,4番目の章はより多くの文章といくつかの写真のみを掲載している。
最初の章では,学生がどのように生活し,学び,自転車に乗り,あるいは洗濯店まで歩くかを示して,日常の学生生活に主に焦点を当てている。
第2章では,衣服の習慣とスタイルをより詳しく分析している。興味深いことに,45年前のアイビーリーグの学生は,教会に行く日曜日にのみ タイとジャケットを着ており,残りのウィークデイは,よりカジュアルな服を着ることを好んだ。そのほかにも,いくつかの注目に値する(noteworthy)衣服の組み合わせが見られる-すなわち,ジャケットとローファーに合わせたマドラス・ショーツ。

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第3章では,著者は周囲の建築,音楽,服飾品(haberdasheries)…を示して,アイビー・スタイルの要素を探っている。
最後の章は,アイビーリーグ大学の歴史の簡単な概要で始まり,その伝統,スポーツ,乗り物,衣服の説明が続く。

不思議なことに,128ページと129ページでは,理想的なアイビーリーグのドレスチャートのようなものが見つかる:学生が必要とする衣服の色,パターン,数量を正確に示している。学生は2着のスーツと2着のスポーツコートが必要で,1着はネービーのブレザーでなければならない。セーターは特に「シェットランドウール,ラムズウール,キャメル,モヘア」素材が必要で,スポーツシャツはストライプまたはマドラス柄を備えている必要がある…など。

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次の2ページには,イエール・ドレスコードの20条が掲載されている - 最も重要なのは,「日常着の綿のソックスもピンクまたはブルーであること」。

Conclusion
結論

私の意見では,この本は,アイビーリーグのスタイルに関する興味深い写真と面白い情報(entertaining information)を提供している。

画質は1965年の品質と変わらないことを覚えておくこと - すでに述べたように,これは1965年版の正確な複製である。現在Amazon14.49ドルであることを考えると,コピーを購入すること,自分で判断するのが間違いだと気付くのは間違いない。

(転載了)
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006_20200331130601日本語の初版が発行された1965年,私は高校2年で 制服の他は何を着ていたか,記憶にもない生活をしていたので 買っていません。
その後,1973年と2006年に復刻版が出ましたが,生活に余裕がなく(?)買いませんでした。

この2010年の英語版が出版されたことは,N.Y.Times の記事を参照して 日本の新聞で紹介されたので知っており,たまたま 2011年,東京出張時に銀座のセレクトショップに入った折り,積んでいるのに気が付いて購入しました。

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2020年2月14日 (金)

「イタリア料理教本」

Dsc_2620aイタリア料理教本」 ずっしり重い ハードカヴァー 575ページ,発行 (株)柴田書店。

著者は,1989年の「日本イタリア料理協会」発足時に初代会長に就き、都合6年間を務め,現在 経堂のイタリア料理店 「エル・カンピドイオ」のオーナー・シェフ,イタリア料理の重鎮 吉岡敏明さんです。

71歳にして イタリア料理を勉強しようとしているわけでは毛頭ありません。
たまたま,京都で古書店を営む,家人の高校時代の友人から 何かの返礼として送られてきました。

食材から,イタリア各地の情報まで網羅されています。

見ているだけで 食べたくなります

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米(リゾット・その他の米料理)だけで 10種類以上あります。
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そして 下は 家人にオーダーして作ってもらった 「いかすみのリゾット」です。
烏賊の「スミ袋」を入手するために買った烏賊が 500円したそうです。
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2019年9月25日 (水)

予約登録者 既に14名。

朝日新聞 9月24日の 天声人語に 「中国のSF小説が人気だとの記事を読み,何冊か手に取ってみた。世界的なベストセラーの『三体』は評判通りの面白さだったが,・・・ 」とありました。
残念ながら その記事を読んでおらず,慌てて図書館のホームページで検索したところ ・・・

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7月に出版された 「三体」は既に購入されていて,貸し出し中,予約登録者数 14名。
今から 予約しても 借りられるのは半年後になりそうです。

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2019年9月23日 (月)

ノンフィクション 『死に山』を読んだ。

Cover_201909151540011959年2月,当時のソ連で発生した, ウラル山脈北部での雪山トレッキング中の9人の若者死亡事件,所謂 「ディアトロフ峠事件」 (the Dyatlov Pass Incident) の真実を,米国の ドキュメント映画作家が調査した結果の本です。

ディアトロフ峠」(the Dyatlov Pass)は 事件後,グループのリーダー,イーゴリ・ディアトロフの名前をとって付けられたものです。
事件の真相の解明はできておらず,現在までに 事件を説明する 75の説があると言われています。

今年(2019年)2月1日,ロシア検事総長事務所が,「ディアトロフ峠事件」の真相を明らかにすべく,本格的に再捜査すると発表しました。
1959年に発生した,この謎に包まれた事件を,60年経った今 取り上げる理由は不明です。

原本は “Dead Mountain :
The Untold True Story of the Dyatlof Pass Inccident”  by  Donnie Eichar,2014年10月。

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読んだ訳本は  『死に山:世界一不気味な遭難事故«ディアトロフ峠事件»の真相 ドニー・アイカー(著) 安原和見(訳) 河出書房新社 2018年8月 です。

図書館で借りて読みました。

事件の概要,分っている事実は次の通りです。

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・1959年1月中旬,ウラル山脈北東部に 地元ウラル工科大学学生 およびOBからなる9人(当初10人,途中 体調不良で 1人抜けた)が22日間の冬山トレッキングに出発。
・メンバーは 男 7人,女 2人,何れも 登山/長距離スキーの熟練者。
・2月1日,目的地のオトルデン山まで 10kmの地点で日没となりキャンプ。
・キャンプ地点 傾斜15度の雪面を掘って平にする,気温 -25~-30℃,風速 15~20m/sec。
・2月16日,下山予定日を3日すぎて連絡なし。
・2月20日,地元捜査本部を立てて捜索開始。
・2月26日,テント発見。
               テントは雪で潰されていたが,支柱は立っていた。
               テントの中に靴,荷物はそのままあった。
               テントは内側から 数か所 ナイフで切り裂かれていた。(人が出られる穴)
・2月27日,テントから 1.5km 下った場所で 散らばって 雪に覆われた5人の遺体が発見された。
               テントから下方に向かういくつかの足跡があった。
               遺体は 防寒服,靴の着用なし。裸足の者もいた。
               外傷なく,凍死と判断された。
       ・・・ 残り 4人は 直ぐには発見されなかった。
・5月4日,雪解けが進み, 5人が発見された場所から 75m下で 4人の遺体が発見された。
             4人の遺体はー
                 頭部陥没損傷,肋骨5本骨折し,内蔵に刺さっていた
                 肋骨10本骨折し,心臓に刺さっており,顔に損傷ー眼球と舌 喪失。(女性)
                   (上記2人は暴力的外傷)
                 残り 2人は 車に轢かれたような強い外力による圧迫痕があった。
             2人の服に異常な量の放射線検出。
             雪解けの水の中で 腐敗と分解が進んでいた。
・事件当時,ウラル山脈上空に光球がいくつも目撃された。
・上記 調査の結果,検事局が 数百ページの報告書発行。
      解剖結果:食事後 6~8時間後,死亡。
      結論 : 自然災害 「未知の不可抗力による死亡

報告書は 機密文書となって 1990年代まで公開されなかった。

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記述は 事故発生時(トレッキング実施前から事故後の報告書発行まで)の1959年の出来事(被害者の日記,残された写真,関係者の聞き取りなどから)と,筆者がロシアに行っての関係者との対話,トレッキングルート・事故発生現場への踏査ー2010年,2012年,著者なりの結論に至る2013年を 時代を交錯しながら 上の目次のように示しています。
状況の記述は詳細ですが,想定された原因をひとつずつ消去していくと 事故の可能性が消えていきます。

結局は 気象現象に焦点を当て調べるうちに 「超低周波音」(音と言いながら,人間の可聴域より低い周波数)が 人間に,説明のつかない吐き気と鼓膜の痛みを生じさせ 遂には パニックに陥れる可能性があることを知ります。

そして 論文「大気の作用で生じる超低周波不可聴音について」(2000年,‘Phisics Today’)の著者 Dr.アルフレッド・ベダードに相談し,ベダードは 事件発生現場の地形写真から 「カルマン渦列」と「超低周波音」発生の可能性を指摘し,それにより 不快感や恐怖感が生じたとします。

べラードは 次のように状況を推定しました。
みんなでテントに入っていると,風音が強くなってくるのに気が付く ・・・・ そのうち,南の方から地面の振動が伝わってくる。嵐の咆哮が西から東にテントを通り抜けていくように聞こえたでしょう。また地面の振動が伝わってきて,テントも振動し始めます。今度は北から,貨物列車のような轟音がまた通り抜けていきます ・・・・ より強力な渦が近付いてくるにつれて,その轟音はどんどん恐ろしい音に変わり,と同時に超低周波音が発生するため,自分の胸腔も振動し始めます。超低周波音の影響で,パニックや恐怖,呼吸困難を感じるようにもなってきます。生体の共振周波数の波が生成されるからです。

この耐え難い恐怖で 9人の若者は我を忘れて,靴も防寒服を着ることもなく,先を争ってテントから出て(中にはナイフでテントを切って) 5人は低体温症で,その先まで逃げた4人は崖から転落して傷を負って死亡した,テントから離れた後,テントに戻ろうとしても強風と視界の悪さでできなかったと思われます。

(この原因による事実との矛盾の解説は 省略します。)

下に 本に掲載された 1959年当時(被害者による撮影を含む)を掲載します。

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最後の写真は 1959年2月27日,捜索隊によって発見されたテントです。

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ゾンデ棒で 雪に埋もれた遭難者を探す当時の様子です。

謎の多い事件の原因究明には その責任者が 如何に可能性を拡げる想像力があるか,関係専門家を選ぶことができるかにかかっています。

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2019年8月24日 (土)

「井上陽水英訳詞集」(ロバート・キャンベル著・文)を読んだ。

図書館に借り出し予約していた 「井上陽水英訳詞集」が返却されたとの連絡が8月7日,図書館からあって借りてきました。

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Dsc_22455月14日 講談社刊  ロバート・キャンベル著 「井上陽水英訳詞集」 301p.,¥2,916 です。
6月29日 朝日新聞の書評で取り上げられているのを見て,7月1日に 図書館に購入要求票を提出したところ,まだ購入はしてないが,既に購入要求票を出していた方がいたので,未だ購入してない本を借り出し予約で待っていました。

Native English Speaker にして 来日 30余年の日本文学者(近世・近代)のロバート・キャンベルさんによる井上陽水さんの歌詞の英訳とくれば,その質を信頼できる英訳として読みたくなるのは当然です。

本の構成は次のとおりです。

 はじめに                                 pp.1-12
第1章 時を彷徨う中で                pp.24-53
第2章 余白に気をつけろ             pp.55-177
第3章 井上陽水英訳詞集(50曲)  pp.179-301
   Endless Desire限りない欲望
   If We Could Live Life Again人生が二度あれば
   Rupture(断絶
   If by Chance Tomorrow It Is Clearもしも明日が晴れなら
   Go on Home家へお帰り
   No Umbrella傘がない
   Map of the World from a Frigid Roomつめたい部屋の世界地図
   To the East,then to the West東へ西へ
   It's So Damn Hotかんかん照り
   Summer Festival夏まつり
   Into Our Dream夢の中へ
   Images of the Heart心もよう
   The Two Who Can't Go Home帰れない二人
   A World of Ice氷の世界
   An Evening Cloudburst(夕立
   Clockwork Beetleゼンマイじかけのカブト虫
   A Two-toned Top二色の独楽
   A Show with No Invitations招待状のないショー
   Blue Sky,All by Myself青空,ひとりきり
   A Turn in the Road曲り角
   Words toward the End結詞
   Warings from the Blue Darkness青い闇の警告
   A Miss-something Contest(ミス コンテスト
   My Soft-word Darling甘い言葉ダーリング
   Somehow It's Shanghaiなぜか上海
   Come out to Sea海に来なさい
   Pegasus the Victor(勝者としてのペガサス
   Jealousy(ジェラシー
   A Perican Puzzledとまどうペリカン
   Canary(カナリア
   Just One Wishお願いはひとつ
   Can't Grasp Itワカンナイ
   45 Minutes to Her Back(背中まで45分)
   Ballerina(バレリーナ
   A Just-so Serenadeいっそ セレナーデ
   I Can't Dance So Wellダンスはうまく踊れない
   No Trinkets These Tears飾りじゃないのよ 涙は
   Wine-red Heartワインレッドの心
   So Miscastミスキャスト
   Smoldering恋こがれて
   The Last News最後のニュース
   Boyhood Days(少年時代
   A Tight FitJust Fit
   The Sighs of Do-re-miドレミのため息
   Lying Diamods嘘つきダイヤモンド
   Purity of Asiaアジアの純真
   The Ship without Cargo積み荷のない船
   On the Top Floorビルの最上階
   Frame aound the Painting of a Lengthy Slope長い坂の絵のフレーム
   The Dreams Goes on覚めない夢

詞は メロディとリズムを考慮した,歌える英訳ではなく,より正確に歌詞の意味を尊重した,読むための英訳(読詞)を心掛けたそうです。

キャンベルさんは NHKSONGSの井上陽水さんの回でコメントを述べたことがあって 陽水さんとその詞に興味を持っていることは知っていましたが,本書で 接した歴史を知りました。

キャンベルさんは 1979年 21歳で初来日し,しばらく東京で過ごし,このとき 井上陽水さんの歌を聞いたとのことです。
そのときの感想:「井上陽水は上手い,こんな歌手がいるのだ。」

次に来日したのが 1985年 27歳,九州大学に籍を置き,研究生,その後 専任講師になり,1995年に上京するまでの約10年間を 福岡市で過ごしています。
私は 1968年から1972年までの4年間,福岡市で大学生活を送ったので,キャンベルさんの知っている福岡は私の知っている福岡の約20年後ということになります。
キャンベルさんは 「リバーサイドホテル」(1982年)を福岡市,それも 那珂川沿い西中洲のラブホテル(の雰囲気)と考えていたようですが,20年前に住んだ私の ぼんやりしたイメージもほぼ同じでした。

次の文がありました。
那珂川のいわば左岸にはふたつの色合いがありました。性風俗に従事する人たちが辻の物陰に屯しているのが上流に向かって路地の左側,川に面した路地の右側には新しいホテルと着飾った金持ちそうな男女がいる。
  賑やかな街から一筋奥まったところのホテルの鉄の扉を開けてチェックインし,私は博多のネオンに揺蕩う中州をなんとはなしに眺めていました。
  有線ををつけると陽水さんの 『リバーサイドホテル』が流れました。1982年にリリースされた『LION&PELICAN』の中の一曲です。飯塚なのか田川なのか,まだ田舎だった筑豊からやってきたであろう若い男女を想像しました。
この若い男女は 五木寛之著「青春の門」の信介と織江を連想させますが,織江が女給をしていたのは若松のキャバレーで,二人が結ばれたのも若松でした。

「春吉のブロック」に関する描写は 20年経っても変わってなかったことが確認できますが,「路地の右側には新しいホテルと着飾った金持ちそうな男女がいる。」は よく分りません。

又,「リバーサイドホテル」に関する記述の後に 「・・・ 橋を渡ったところの寿司屋の先にある狭い路地の入口付近,住吉橋のずっと手前にあったのがホテルIです。意匠を凝らした大理石をふんだんに使った,イタリア人の設計によるデザイナーズホテルでしたが,・・・ 」と書いています。
このホテルI は,私が暮していた時代にはなかった 「ホテル イル パラッツォ」(IL PALAZZO)で,予約サイト「一休」から予約できるホテルで,所謂,ラブホテルではありませんが,那珂川左岸に面する,ラブホテルがあって不思議ではない場所にあります。
川に浮かぶプールはありませんが,室内には円形のジャグジー・バスがあって 「リバーサイドホテル」の雰囲気があります。しかし,このホテルができたのは曲がリリースされた後の 1989年です。

一曲のみ ここに(遠慮がちに,密かに)転載します。

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東へ西へ
To the East, then to the West

昼寝をすれば夜中に眠れないにはどういう訳だ
Why's is to hard to sleep nights on days that you've napped?

満月 空に満月 明日はいとしいあの娘に逢える
A full moon - there's a full moon in the sky,
and tomorrow I get to see my sweetheart.

目覚まし時計は母親みたいで心がかよわず
The alarm clock is like mom, we don't commune so well.

たよりの自分は睡眠不足で だから
Yours truly,the one who should be strong, is sleep deprived,
so everyone hang in there,hang in everybody.

ガンバレ みんなガンバレ 月は流れて東へ西へ
The moon flows out to the east,then to the west.


電車は今日もスシヅメのびる線路が拍車をかける
Today's train is packed again like sushi,spurred on by tracks that stretch far out.

満員 いつも満員 床にたおれた老婆が笑う
“Jammed full,always jammed full.” An old lady who fell down laugh back.

お情け無用のお祭り電車に呼吸も止められ
My breath is cut off on this cutthroat carnival train,

身動き出来ずに夢見る旅路へ だから
can't budge an inch;I'm off on a trip into dreams,

ガンバレ みんなガンバレ 夢の電車は東へ西へ
so everyone hang in there,hang in everybody.
The train of dreams runs to the east,then to the west.


花見の駅で待ってる君にやっとの思いで遭えた
Finally I met you waiting at the station near the flowering trees.

満開 花は満開 君はうれしさあまって気がふれる
They're in full bloom,the cherries are all out
ー so thrilled,you went over the edge.

空ではカラスも敗けないくらいによろこんでいるよ
In the sky,you know,ravens are as thrilled as we are.

とまどう僕にはなんにも出来ない だから
Me, puzzled,I can't do anything,

ガンバレ みんなガンバレ 黒いカラスは東へ西へ
so everyone hang in there,hang in everybody.
Black ravens fly east,then to the west.

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日本語原文での,日本語特有の曖昧な「主語」,「性別」,「単数・複数」,「時制」,「目的語」などを 英訳においては 明確にする必要があり,それらを考えることを通して,井上陽水の詞の心を明らかにしていました。

私より 英語の総合力は上であろう家人は 50作品 すべてをコピー(自身でキーを打って)しました。
その感想はー
 ・分り易い英語になっている。
 ・‘blue sky’,‘darkness’,‘dream’ の三語の頻出が印象的。
でした。

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2019年7月 3日 (水)

気が付かなかった,「井上陽水英訳詞集」が出版されていた。

ロバート・キャンベル著「井上陽水英訳詞集」(講談社 5月16日 発行)が 6月29日,朝日新聞の読書欄で紹介されていました。

Article

不覚でした。この本の存在を知りませんでした。

2,916円の値段の高さは勿論ですが,身の回りの品を増やさぬよう心掛けているので 図書館で借りて読まねばなりません。
遅まきながら,7月1日に図書館に行って調べると,まだ購入はしてないが,購入リクエストがあって注文中,さらに貸し出し予約も入っているとのこと,手にするのは早くとも 1ヶ月はかかりそうです。

陽水の 主語のない(日本語では普通),前後の関連性不明の,よく分らない,論理的とは言えない日本語の歌詞が どのような英語になっているのか楽しみです。
「『翻訳は基本的に原作に隷属すべき』であり,事象を足したり引いたりせず,取りこぼしを少なく、という著者の潔さが印象的だ。」と書評にあり,足さずして どのように英訳に成り得るのか,近世文学から明治期文学を専門とする日本文学者 ロバート・キャンベルさんの腕前(?)に興味があります。
上記とは 無関係ですが,7月2日に気になったことー

「とくダネ!」で 山口県周南市の公園で増え続ける危険な野犬問題を報じた後,小倉智昭さんが 「犬に餌をあげるのは ・・・ 」と言いました。
私より一つ歳上の 72歳にして 元(?)アナウンサーが,「犬に餌をあげる」はまずいでしょう,やるでしょう。
驚くとともに 少し がっかりしました。彼をしても時代の趨勢には逆らえない? あるいは,もう,アナウンサーではない? 元々,NHKのアナウンサーではない。

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2019年4月 5日 (金)

「伊丹十三選集 第三巻 日々是十三」 を読んだ,全三巻読了。

昨年(2018年)12月22日,呉市立図書館に 『伊丹十三選集』(岩波書店)の第一巻から 第三巻の購入依頼書を提出し,最終巻 2月19日発行の『伊丹十三選集 第三巻 日々是十三』 が入ったとの連絡が 3月29日にあって借りてきました。

Dsc_1806

Dsc_1805編者は 第一,二巻と同じく,松家仁之(小説家,編集者),中村好文(建築家),池内万平(伊丹十三の次男。伊丹プロダクション取締役 等)の三人です。

出典は 次のとおりと示しています。

A. 『再び女たちよ!』(新潮文庫,2005年)
B. 『女たちよ!』(新潮文庫,2005年)
C. 『ぼくの伯父さん』(つるとはな,2017年)
D. 『日本世間噺大系』(新潮文庫,2005年)
E. 『小説より奇なり』(文春文庫,1986年)
F. 『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』(文春文庫,1984年)
G. 『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫,2005年)
H. 『問いつめられたパパとママの本』(中公文庫,2011年)
I.  『快の打ち出の小槌』(朝日出版社,1980年)

目次はー

【青春】 pp.1-16,出典:A,B
【結婚】 pp. 17-62,出典:A,B,C, D
【子ども】pp.63-92,出典:D,C,E,F
【働く】 pp.93-164,出典:A,B,F,G
【育児】 pp.165-232,出典:C,D,F
【教育】 pp.233-272,出典:C,B,H
【心】 pp.273-366,出典:A,F,I
・編者解説:pp.369-383
・伊丹十三年譜:pp.385-389

Dsc_1807

Dsc_1808

 

 

 

 

 

 

 


この巻で 最も懐しいのは 高校2年生の時読んだ,1965年 第一刷 「ヨーロッパ退屈日記」出典の 「働く」の章の 「ロータス・エランのために」です。

伊丹一三(当時。“十三” に改名したのは1967年)は 映画「ロード・ジム」(‘Lord Jim’,1965)出演のカメラテストを受けるため 20日間ロンドンに滞在しました。
伊丹一三は この映画への出演が決まったら 「ロータス・エラン」を買うことを決めて日本を発ったのでした。
出演が決まらなければ 「ロータス・エラン」を買うことは 勿論できないし,ロンドンまでの旅費とロンドンでの滞在費 100万円以上が自腹となるという胃が痛む20日間を過ごし,出演決定後,雨のロンドンの街に「ロータス・エラン」を注文に出掛けたのでした。

そして カンボジアで ピーター・オトゥールと共演しー

Lord-jim

撮影が終わって 日本の 70mm上映館で 映画が公開される頃には,30歳代になったばかりの伊丹一三は 「ロータス・エラン」を 東京で乗り回していたのです。
写真家 浅井慎平さんが この車によく乗せてもらったと書いているのを読んだことがあります。
「ロータス・エラン」のエンジンは,初期は 1,500cc でしたが,これは後期の 1,600cc と思われます。
若き日の伊丹十三として よく見る(?)写真ですが,この車は 「ロード・ジム」の出演料で買ったものなのです。

Photo_1

第三巻の末尾には 3人の編者の1人である,伊丹十三の次男,池内万平氏による 「編者解説」が附されています。

その書き出しはー
伊丹さんが亡くなってから,早いものでもう二十年以上経ちます。
下北沢で一人暮らしをしていた二十二歳の冬の夜。家でお酒を飲んでいたところに,宮本さんからの電話で訃報を知らされ,そこからの二週間は怒涛のようにすぎていきました。」とあって,いくつかのエッセイに関連する,子供の頃の父親・十三とのやりとりなどが書かれています。
昨年12月から 2月にかけて出版された 「伊丹十三選集」全三巻(¥3,300/巻)を呉市立図書館に購入依頼して,購入してもらって借り出し,読了しました。

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