カテゴリー「書籍・雑誌」の57件の投稿

2020年2月14日 (金)

「イタリア料理教本」

Dsc_2620aイタリア料理教本」 ずっしり重い ハードカヴァー 575ページ,発行 (株)柴田書店。

著者は,1989年の「日本イタリア料理協会」発足時に初代会長に就き、都合6年間を務め,現在 経堂のイタリア料理店 「エル・カンピドイオ」のオーナー・シェフ,イタリア料理の重鎮 吉岡敏明さんです。

71歳にして イタリア料理を勉強しようとしているわけでは毛頭ありません。
たまたま,京都で古書店を営む,家人の高校時代の友人から 何かの返礼として送られてきました。

食材から,イタリア各地の情報まで網羅されています。

見ているだけで 食べたくなります

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米(リゾット・その他の米料理)だけで 10種類以上あります。
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そして 下は 家人にオーダーして作ってもらった 「いかすみのリゾット」です。
烏賊の「スミ袋」を入手するために買った烏賊が 500円したそうです。
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2019年9月25日 (水)

予約登録者 既に14名。

朝日新聞 9月24日の 天声人語に 「中国のSF小説が人気だとの記事を読み,何冊か手に取ってみた。世界的なベストセラーの『三体』は評判通りの面白さだったが,・・・ 」とありました。
残念ながら その記事を読んでおらず,慌てて図書館のホームページで検索したところ ・・・

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7月に出版された 「三体」は既に購入されていて,貸し出し中,予約登録者数 14名。
今から 予約しても 借りられるのは半年後になりそうです。

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2019年9月23日 (月)

ノンフィクション 『死に山』を読んだ。

Cover_201909151540011959年2月,当時のソ連で発生した, ウラル山脈北部での雪山トレッキング中の9人の若者死亡事件,所謂 「ディアトロフ峠事件」 (the Dyatlov Pass Incident) の真実を,米国の ドキュメント映画作家が調査した結果の本です。

ディアトロフ峠」(the Dyatlov Pass)は 事件後,グループのリーダー,イーゴリ・ディアトロフの名前をとって付けられたものです。
事件の真相の解明はできておらず,現在までに 事件を説明する 75の説があると言われています。

今年(2019年)2月1日,ロシア検事総長事務所が,「ディアトロフ峠事件」の真相を明らかにすべく,本格的に再捜査すると発表しました。
1959年に発生した,この謎に包まれた事件を,60年経った今 取り上げる理由は不明です。

原本は “Dead Mountain :
The Untold True Story of the Dyatlof Pass Inccident”  by  Donnie Eichar,2014年10月。

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読んだ訳本は  『死に山:世界一不気味な遭難事故«ディアトロフ峠事件»の真相 ドニー・アイカー(著) 安原和見(訳) 河出書房新社 2018年8月 です。

図書館で借りて読みました。

事件の概要,分っている事実は次の通りです。

***********************

・1959年1月中旬,ウラル山脈北東部に 地元ウラル工科大学学生 およびOBからなる9人(当初10人,途中 体調不良で 1人抜けた)が22日間の冬山トレッキングに出発。
・メンバーは 男 7人,女 2人,何れも 登山/長距離スキーの熟練者。
・2月1日,目的地のオトルデン山まで 10kmの地点で日没となりキャンプ。
・キャンプ地点 傾斜15度の雪面を掘って平にする,気温 -25~-30℃,風速 15~20m/sec。
・2月16日,下山予定日を3日すぎて連絡なし。
・2月20日,地元捜査本部を立てて捜索開始。
・2月26日,テント発見。
               テントは雪で潰されていたが,支柱は立っていた。
               テントの中に靴,荷物はそのままあった。
               テントは内側から 数か所 ナイフで切り裂かれていた。(人が出られる穴)
・2月27日,テントから 1.5km 下った場所で 散らばって 雪に覆われた5人の遺体が発見された。
               テントから下方に向かういくつかの足跡があった。
               遺体は 防寒服,靴の着用なし。裸足の者もいた。
               外傷なく,凍死と判断された。
       ・・・ 残り 4人は 直ぐには発見されなかった。
・5月4日,雪解けが進み, 5人が発見された場所から 75m下で 4人の遺体が発見された。
             4人の遺体はー
                 頭部陥没損傷,肋骨5本骨折し,内蔵に刺さっていた
                 肋骨10本骨折し,心臓に刺さっており,顔に損傷ー眼球と舌 喪失。(女性)
                   (上記2人は暴力的外傷)
                 残り 2人は 車に轢かれたような強い外力による圧迫痕があった。
             2人の服に異常な量の放射線検出。
             雪解けの水の中で 腐敗と分解が進んでいた。
・事件当時,ウラル山脈上空に光球がいくつも目撃された。
・上記 調査の結果,検事局が 数百ページの報告書発行。
      解剖結果:食事後 6~8時間後,死亡。
      結論 : 自然災害 「未知の不可抗力による死亡

報告書は 機密文書となって 1990年代まで公開されなかった。

*****************************

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記述は 事故発生時(トレッキング実施前から事故後の報告書発行まで)の1959年の出来事(被害者の日記,残された写真,関係者の聞き取りなどから)と,筆者がロシアに行っての関係者との対話,トレッキングルート・事故発生現場への踏査ー2010年,2012年,著者なりの結論に至る2013年を 時代を交錯しながら 上の目次のように示しています。
状況の記述は詳細ですが,想定された原因をひとつずつ消去していくと 事故の可能性が消えていきます。

結局は 気象現象に焦点を当て調べるうちに 「超低周波音」(音と言いながら,人間の可聴域より低い周波数)が 人間に,説明のつかない吐き気と鼓膜の痛みを生じさせ 遂には パニックに陥れる可能性があることを知ります。

そして 論文「大気の作用で生じる超低周波不可聴音について」(2000年,‘Phisics Today’)の著者 Dr.アルフレッド・ベダードに相談し,ベダードは 事件発生現場の地形写真から 「カルマン渦列」と「超低周波音」発生の可能性を指摘し,それにより 不快感や恐怖感が生じたとします。

べラードは 次のように状況を推定しました。
みんなでテントに入っていると,風音が強くなってくるのに気が付く ・・・・ そのうち,南の方から地面の振動が伝わってくる。嵐の咆哮が西から東にテントを通り抜けていくように聞こえたでしょう。また地面の振動が伝わってきて,テントも振動し始めます。今度は北から,貨物列車のような轟音がまた通り抜けていきます ・・・・ より強力な渦が近付いてくるにつれて,その轟音はどんどん恐ろしい音に変わり,と同時に超低周波音が発生するため,自分の胸腔も振動し始めます。超低周波音の影響で,パニックや恐怖,呼吸困難を感じるようにもなってきます。生体の共振周波数の波が生成されるからです。

この耐え難い恐怖で 9人の若者は我を忘れて,靴も防寒服を着ることもなく,先を争ってテントから出て(中にはナイフでテントを切って) 5人は低体温症で,その先まで逃げた4人は崖から転落して傷を負って死亡した,テントから離れた後,テントに戻ろうとしても強風と視界の悪さでできなかったと思われます。

(この原因による事実との矛盾の解説は 省略します。)

下に 本に掲載された 1959年当時(被害者による撮影を含む)を掲載します。

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最後の写真は 1959年2月27日,捜索隊によって発見されたテントです。

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ゾンデ棒で 雪に埋もれた遭難者を探す当時の様子です。

謎の多い事件の原因究明には その責任者が 如何に可能性を拡げる想像力があるか,関係専門家を選ぶことができるかにかかっています。

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2019年8月24日 (土)

「井上陽水英訳詞集」(ロバート・キャンベル著・文)を読んだ。

図書館に借り出し予約していた 「井上陽水英訳詞集」が返却されたとの連絡が8月7日,図書館からあって借りてきました。

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Dsc_22455月14日 講談社刊  ロバート・キャンベル著 「井上陽水英訳詞集」 301p.,¥2,916 です。
6月29日 朝日新聞の書評で取り上げられているのを見て,7月1日に 図書館に購入要求票を提出したところ,まだ購入はしてないが,既に購入要求票を出していた方がいたので,未だ購入してない本を借り出し予約で待っていました。

Native English Speaker にして 来日 30余年の日本文学者(近世・近代)のロバート・キャンベルさんによる井上陽水さんの歌詞の英訳とくれば,その質を信頼できる英訳として読みたくなるのは当然です。

本の構成は次のとおりです。

 はじめに                                 pp.1-12
第1章 時を彷徨う中で                pp.24-53
第2章 余白に気をつけろ             pp.55-177
第3章 井上陽水英訳詞集(50曲)  pp.179-301
   Endless Desire限りない欲望
   If We Could Live Life Again人生が二度あれば
   Rupture(断絶
   If by Chance Tomorrow It Is Clearもしも明日が晴れなら
   Go on Home家へお帰り
   No Umbrella傘がない
   Map of the World from a Frigid Roomつめたい部屋の世界地図
   To the East,then to the West東へ西へ
   It's So Damn Hotかんかん照り
   Summer Festival夏まつり
   Into Our Dream夢の中へ
   Images of the Heart心もよう
   The Two Who Can't Go Home帰れない二人
   A World of Ice氷の世界
   An Evening Cloudburst(夕立
   Clockwork Beetleゼンマイじかけのカブト虫
   A Two-toned Top二色の独楽
   A Show with No Invitations招待状のないショー
   Blue Sky,All by Myself青空,ひとりきり
   A Turn in the Road曲り角
   Words toward the End結詞
   Warings from the Blue Darkness青い闇の警告
   A Miss-something Contest(ミス コンテスト
   My Soft-word Darling甘い言葉ダーリング
   Somehow It's Shanghaiなぜか上海
   Come out to Sea海に来なさい
   Pegasus the Victor(勝者としてのペガサス
   Jealousy(ジェラシー
   A Perican Puzzledとまどうペリカン
   Canary(カナリア
   Just One Wishお願いはひとつ
   Can't Grasp Itワカンナイ
   45 Minutes to Her Back(背中まで45分)
   Ballerina(バレリーナ
   A Just-so Serenadeいっそ セレナーデ
   I Can't Dance So Wellダンスはうまく踊れない
   No Trinkets These Tears飾りじゃないのよ 涙は
   Wine-red Heartワインレッドの心
   So Miscastミスキャスト
   Smoldering恋こがれて
   The Last News最後のニュース
   Boyhood Days(少年時代
   A Tight FitJust Fit
   The Sighs of Do-re-miドレミのため息
   Lying Diamods嘘つきダイヤモンド
   Purity of Asiaアジアの純真
   The Ship without Cargo積み荷のない船
   On the Top Floorビルの最上階
   Frame aound the Painting of a Lengthy Slope長い坂の絵のフレーム
   The Dreams Goes on覚めない夢

詞は メロディとリズムを考慮した,歌える英訳ではなく,より正確に歌詞の意味を尊重した,読むための英訳(読詞)を心掛けたそうです。

キャンベルさんは NHKSONGSの井上陽水さんの回でコメントを述べたことがあって 陽水さんとその詞に興味を持っていることは知っていましたが,本書で 接した歴史を知りました。

キャンベルさんは 1979年 21歳で初来日し,しばらく東京で過ごし,このとき 井上陽水さんの歌を聞いたとのことです。
そのときの感想:「井上陽水は上手い,こんな歌手がいるのだ。」

次に来日したのが 1985年 27歳,九州大学に籍を置き,研究生,その後 専任講師になり,1995年に上京するまでの約10年間を 福岡市で過ごしています。
私は 1968年から1972年までの4年間,福岡市で大学生活を送ったので,キャンベルさんの知っている福岡は私の知っている福岡の約20年後ということになります。
キャンベルさんは 「リバーサイドホテル」(1982年)を福岡市,それも 那珂川沿い西中洲のラブホテル(の雰囲気)と考えていたようですが,20年前に住んだ私の ぼんやりしたイメージもほぼ同じでした。

次の文がありました。
那珂川のいわば左岸にはふたつの色合いがありました。性風俗に従事する人たちが辻の物陰に屯しているのが上流に向かって路地の左側,川に面した路地の右側には新しいホテルと着飾った金持ちそうな男女がいる。
  賑やかな街から一筋奥まったところのホテルの鉄の扉を開けてチェックインし,私は博多のネオンに揺蕩う中州をなんとはなしに眺めていました。
  有線ををつけると陽水さんの 『リバーサイドホテル』が流れました。1982年にリリースされた『LION&PELICAN』の中の一曲です。飯塚なのか田川なのか,まだ田舎だった筑豊からやってきたであろう若い男女を想像しました。
この若い男女は 五木寛之著「青春の門」の信介と織江を連想させますが,織江が女給をしていたのは若松のキャバレーで,二人が結ばれたのも若松でした。

「春吉のブロック」に関する描写は 20年経っても変わってなかったことが確認できますが,「路地の右側には新しいホテルと着飾った金持ちそうな男女がいる。」は よく分りません。

又,「リバーサイドホテル」に関する記述の後に 「・・・ 橋を渡ったところの寿司屋の先にある狭い路地の入口付近,住吉橋のずっと手前にあったのがホテルIです。意匠を凝らした大理石をふんだんに使った,イタリア人の設計によるデザイナーズホテルでしたが,・・・ 」と書いています。
このホテルI は,私が暮していた時代にはなかった 「ホテル イル パラッツォ」(IL PALAZZO)で,予約サイト「一休」から予約できるホテルで,所謂,ラブホテルではありませんが,那珂川左岸に面する,ラブホテルがあって不思議ではない場所にあります。
川に浮かぶプールはありませんが,室内には円形のジャグジー・バスがあって 「リバーサイドホテル」の雰囲気があります。しかし,このホテルができたのは曲がリリースされた後の 1989年です。

一曲のみ ここに(遠慮がちに,密かに)転載します。

************************************

東へ西へ
To the East, then to the West

昼寝をすれば夜中に眠れないにはどういう訳だ
Why's is to hard to sleep nights on days that you've napped?

満月 空に満月 明日はいとしいあの娘に逢える
A full moon - there's a full moon in the sky,
and tomorrow I get to see my sweetheart.

目覚まし時計は母親みたいで心がかよわず
The alarm clock is like mom, we don't commune so well.

たよりの自分は睡眠不足で だから
Yours truly,the one who should be strong, is sleep deprived,
so everyone hang in there,hang in everybody.

ガンバレ みんなガンバレ 月は流れて東へ西へ
The moon flows out to the east,then to the west.


電車は今日もスシヅメのびる線路が拍車をかける
Today's train is packed again like sushi,spurred on by tracks that stretch far out.

満員 いつも満員 床にたおれた老婆が笑う
“Jammed full,always jammed full.” An old lady who fell down laugh back.

お情け無用のお祭り電車に呼吸も止められ
My breath is cut off on this cutthroat carnival train,

身動き出来ずに夢見る旅路へ だから
can't budge an inch;I'm off on a trip into dreams,

ガンバレ みんなガンバレ 夢の電車は東へ西へ
so everyone hang in there,hang in everybody.
The train of dreams runs to the east,then to the west.


花見の駅で待ってる君にやっとの思いで遭えた
Finally I met you waiting at the station near the flowering trees.

満開 花は満開 君はうれしさあまって気がふれる
They're in full bloom,the cherries are all out
ー so thrilled,you went over the edge.

空ではカラスも敗けないくらいによろこんでいるよ
In the sky,you know,ravens are as thrilled as we are.

とまどう僕にはなんにも出来ない だから
Me, puzzled,I can't do anything,

ガンバレ みんなガンバレ 黒いカラスは東へ西へ
so everyone hang in there,hang in everybody.
Black ravens fly east,then to the west.

***************************************

日本語原文での,日本語特有の曖昧な「主語」,「性別」,「単数・複数」,「時制」,「目的語」などを 英訳においては 明確にする必要があり,それらを考えることを通して,井上陽水の詞の心を明らかにしていました。

私より 英語の総合力は上であろう家人は 50作品 すべてをコピー(自身でキーを打って)しました。
その感想はー
 ・分り易い英語になっている。
 ・‘blue sky’,‘darkness’,‘dream’ の三語の頻出が印象的。
でした。

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2019年7月 3日 (水)

気が付かなかった,「井上陽水英訳詞集」が出版されていた。

ロバート・キャンベル著「井上陽水英訳詞集」(講談社 5月16日 発行)が 6月29日,朝日新聞の読書欄で紹介されていました。

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不覚でした。この本の存在を知りませんでした。

2,916円の値段の高さは勿論ですが,身の回りの品を増やさぬよう心掛けているので 図書館で借りて読まねばなりません。
遅まきながら,7月1日に図書館に行って調べると,まだ購入はしてないが,購入リクエストがあって注文中,さらに貸し出し予約も入っているとのこと,手にするのは早くとも 1ヶ月はかかりそうです。

陽水の 主語のない(日本語では普通),前後の関連性不明の,よく分らない,論理的とは言えない日本語の歌詞が どのような英語になっているのか楽しみです。
「『翻訳は基本的に原作に隷属すべき』であり,事象を足したり引いたりせず,取りこぼしを少なく、という著者の潔さが印象的だ。」と書評にあり,足さずして どのように英訳に成り得るのか,近世文学から明治期文学を専門とする日本文学者 ロバート・キャンベルさんの腕前(?)に興味があります。
上記とは 無関係ですが,7月2日に気になったことー

「とくダネ!」で 山口県周南市の公園で増え続ける危険な野犬問題を報じた後,小倉智昭さんが 「犬に餌をあげるのは ・・・ 」と言いました。
私より一つ歳上の 72歳にして 元(?)アナウンサーが,「犬に餌をあげる」はまずいでしょう,やるでしょう。
驚くとともに 少し がっかりしました。彼をしても時代の趨勢には逆らえない? あるいは,もう,アナウンサーではない? 元々,NHKのアナウンサーではない。

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2019年4月 5日 (金)

「伊丹十三選集 第三巻 日々是十三」 を読んだ,全三巻読了。

昨年(2018年)12月22日,呉市立図書館に 『伊丹十三選集』(岩波書店)の第一巻から 第三巻の購入依頼書を提出し,最終巻 2月19日発行の『伊丹十三選集 第三巻 日々是十三』 が入ったとの連絡が 3月29日にあって借りてきました。

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Dsc_1805編者は 第一,二巻と同じく,松家仁之(小説家,編集者),中村好文(建築家),池内万平(伊丹十三の次男。伊丹プロダクション取締役 等)の三人です。

出典は 次のとおりと示しています。

A. 『再び女たちよ!』(新潮文庫,2005年)
B. 『女たちよ!』(新潮文庫,2005年)
C. 『ぼくの伯父さん』(つるとはな,2017年)
D. 『日本世間噺大系』(新潮文庫,2005年)
E. 『小説より奇なり』(文春文庫,1986年)
F. 『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』(文春文庫,1984年)
G. 『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫,2005年)
H. 『問いつめられたパパとママの本』(中公文庫,2011年)
I.  『快の打ち出の小槌』(朝日出版社,1980年)

目次はー

【青春】 pp.1-16,出典:A,B
【結婚】 pp. 17-62,出典:A,B,C, D
【子ども】pp.63-92,出典:D,C,E,F
【働く】 pp.93-164,出典:A,B,F,G
【育児】 pp.165-232,出典:C,D,F
【教育】 pp.233-272,出典:C,B,H
【心】 pp.273-366,出典:A,F,I
・編者解説:pp.369-383
・伊丹十三年譜:pp.385-389

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この巻で 最も懐しいのは 高校2年生の時読んだ,1965年 第一刷 「ヨーロッパ退屈日記」出典の 「働く」の章の 「ロータス・エランのために」です。

伊丹一三(当時。“十三” に改名したのは1967年)は 映画「ロード・ジム」(‘Lord Jim’,1965)出演のカメラテストを受けるため 20日間ロンドンに滞在しました。
伊丹一三は この映画への出演が決まったら 「ロータス・エラン」を買うことを決めて日本を発ったのでした。
出演が決まらなければ 「ロータス・エラン」を買うことは 勿論できないし,ロンドンまでの旅費とロンドンでの滞在費 100万円以上が自腹となるという胃が痛む20日間を過ごし,出演決定後,雨のロンドンの街に「ロータス・エラン」を注文に出掛けたのでした。

そして カンボジアで ピーター・オトゥールと共演しー

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撮影が終わって 日本の 70mm上映館で 映画が公開される頃には,30歳代になったばかりの伊丹一三は 「ロータス・エラン」を 東京で乗り回していたのです。
写真家 浅井慎平さんが この車によく乗せてもらったと書いているのを読んだことがあります。
「ロータス・エラン」のエンジンは,初期は 1,500cc でしたが,これは後期の 1,600cc と思われます。
若き日の伊丹十三として よく見る(?)写真ですが,この車は 「ロード・ジム」の出演料で買ったものなのです。

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第三巻の末尾には 3人の編者の1人である,伊丹十三の次男,池内万平氏による 「編者解説」が附されています。

その書き出しはー
伊丹さんが亡くなってから,早いものでもう二十年以上経ちます。
下北沢で一人暮らしをしていた二十二歳の冬の夜。家でお酒を飲んでいたところに,宮本さんからの電話で訃報を知らされ,そこからの二週間は怒涛のようにすぎていきました。」とあって,いくつかのエッセイに関連する,子供の頃の父親・十三とのやりとりなどが書かれています。
昨年12月から 2月にかけて出版された 「伊丹十三選集」全三巻(¥3,300/巻)を呉市立図書館に購入依頼して,購入してもらって借り出し,読了しました。

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2019年3月27日 (水)

「ターザン」を書いたバロウズを検索したら「世界SF全集」がヒットした。

図書館に本を返却に行ったとき,先日,TVで放映された「ターザン」映画を思い出し,「ターザン」シリーズの小説を書いた 「エドガー・ライス・バローズ」(‘Edgar Rice Burroughs’, 1875~ 1950)の本があるだろうかと 検索すると,「ターザン」小説はなく, 「世界SF全集 第31巻」がヒットし,借りてきました。

この早川書房の「世界SF全集」には 思い出があり,最初に発行されたのが 1968年(昭和43年)で,私が大学に入学した年です。
全35巻+別巻1 が1971年(昭和46年)にかけて発刊されました。
約50年前のことです。
学生だった私は この全巻を集めよう(買おう)と考えましたが,1巻 \1,200 は,当時 1日の食費: \300,間借り費 月 \4,500で生活していた私には負担が大きく,2,3巻買って 断念しました。

就職後,忘れたわけではありませんでしたが,生活が慌ただしくなって買うことも,読むこともありませんでした。

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借りた 第31巻 は 「世界のSF(短篇集)古典篇」でした。
図書館1Fの書架には置いておらず,4Fの書庫から出してもらいました。
約50年前のハードカバーは 相当 くたびれていて,今にもバラバラになりそうです。

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Dsc_1759全28篇が 四部に分けられて 掲載されています。

バローズ(バロウズ)の掲載されている作品は 「火星の月の下で」(‘Under the Moons of Mars’,1912)で,元南軍大尉,ジョン・カーターを主人公とする 「火星シリーズ」11作品の元になった,SF小説と言うより 冒険小説です。

突然,「主人公が 火星の黄色の苔の上で目を覚ます。」で,始まる話は,どのようにして火星に行ったかが明確ではありません。
「幽体離脱」で 「瞬間移動」というのは 舞台を火星にしたかったにしても 荒唐無稽です。

Under_the_moons_of_marsディズニー映画 『ジョン・カーター』(‘John Carter’,2012) の原作です。

他に,掲載されている興味深い作品として ジュール・ヴェルヌの 「2889年」(‘La Journée d'un journaliste américain en 2889’,「西暦2889年,アメリカのジャーナリストの一日」,1889)がありました。

Wikipediaには 「実際には息子のミシェル・ヴェルヌによって英語で書かれた “In the Year 2889” というタイトルの短編で,そのフランス語訳にジュールが加筆」となっています。
出版された 1889年の 1000年後を描いています。
何故 100年後ではなくて 1000年後なのか,やや不思議に思います。1,000年後なら とんでもないことを書いても 許されるだろう,あるいは,1,000年後まで この小説が残っていることはないだろう,というところでしょうか。

この 「世界SF全集」での掲載(1971年)が 初邦訳の作品です。

未来小説を書く SF作家は 生きている時代の人が読むことを ほぼ考えており,未来の人が読むことは あまり考えて書いてはいないでしょう。

因みに 発行された1889年には,ベルの電話,ダイムラーのガソリン自動車,エジソンの白熱灯は発明されていましたが,飛行機,無線電話,ラジオは存在していませんでした。

この小説の中に書かれて,小説発行後 100年余りで実現したものを挙げるとー
「TV電話」,「写真電報(ファクシミリ)」,「計算機」,「カラー写真」,「時速 100マイルの列車」などー

実現してないものー
「蓄積機(‘accumulator’,あらゆる自然力を圧縮・蓄積)」,「変形機(‘transformer’,蓄積機内の自然力を好きな形のエネルギーに変換してO/P)」,「雲に映像を移す『大空広告』」(「プロジェクト・マッピング」は近いか),,「殺人電光」,「人工冬眠」

実現してないとしているが実現したもの(こと)-
「月の裏側を見る」

もっとも興味深く,予想が間違っているのは 「寿命:37歳が52歳になった。」 と書いていることです。19世紀でも 60歳代,70歳代まで,あるいはそれ以上生きた人はいくらでもいて,うまく 病気に罹らなければ 生物としての寿命は もっとあることは分っていたと思うので,体力のない子供の病死が多く,寿命を引き下げていたと考えられる状態の飛躍的改善は望めないとの考えがあったのでしょうか。

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37歳は,上図から 欧米の寿命を対象としているようですが,100年後の1990年頃には 70歳を超えています。
西暦1900年前後からの急速な医学の進歩による病気の克服,食料(栄養)状態の改善を,ヴェルヌにして見抜けなかったと言えます。
ひょっとすると戦争による死亡も考慮されたのかも知れません。

書かれて 130年後に読んで あれこれ言うのは簡単です。

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2019年3月12日 (火)

「伊丹十三選集 第二巻 好きと嫌い」を読んだ。

昨年(2018年)12月22日,呉市立図書館に 『伊丹十三選集』(岩波書店)の第一巻から 第三巻の購入依頼書を提出し,12月20日発行の 『伊丹十三選集 第一巻 日本人よ!』を 2月1日に図書館から連絡があって借りて読み,今回,1月18日発行の『伊丹十三選集 第二巻 好きと嫌い』 が入ったとの連絡が 3月1日にあって借りてきました。

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編者は 第一巻と同じく,松家仁之(小説家,編集者),中村好文(建築家),池内万平(伊丹十三の次男。伊丹プロダクション取締役 等)の三人です。

Dsc_1742Dsc_1744出典は 次のとおりと示しています。

A. 『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫,2005年)
B. 『女たちよ!』(新潮文庫,2005年)
C. 『日本世間噺体系』(新潮文庫,2005年)
D. 『再び女たちよ!』(新潮文庫,2005年)
E. 『小説より奇なり』(文春文庫,1986年)
F. 『ぼくの伯父さん』(つるとはな,2017年)

目次はー

・好きと嫌い      pp.1-32,出典:AB, C
・ダンディズム   pp. 33-64,出典:A,B,D
・美味礼賛       pp.65-114,出典:AB,
・呑む              pp.115-132,出典:B,D
・運転              pp.133-172,出典:A,B,D,E
・小咄              pp.173-252,出典:A,B,C,D,F
・脱毛              pp.253-284,出典:D,E
・猫                 pp.285-330,出典:D,E

私は 全出典を持っていて,それも 『ぼくの伯父さん』(2017年刊)を除くと 文庫本になる前の ほぼ第一刷を,五十数年前の高校生から40年前の就職後にかけて読んでおり,懐かしさを感じながら読みました。

彼の本で 多くのことを知りました。

Dsc_1746今では 日本人の誰もが知っているであろう 「アル・デンテ」を広めたのは彼だったのでは ・・・ 。
彼の 『女たちよ!』(第一刷:昭和43年,1968年,大学1年でした)より前に 「アル・デンテ」が活字になったことがあるでしょうか。
又,『ヨーロッパ退屈日記』には スパゲッティの正しい食べ方を書いており,①皿の隅にフォークに巻きつけるスペース(煙草の箱大)を作る。②2,3本(これは 50cmクラスの場合)のスパゲッティをフォークで引っかけ ③フォークを皿から離さないように(時計回りに)回転させて巻きつけるー を50年間,守っています。「スプーンを使う」とは書いていません。しかし,イタリア人にも使う人間がいるので 違反ではないだろうと書いています。
そもそも,この時代(1960年代半ば),日本においてパスタは,スパゲッティより,マカロニの方がポピュラーで,クリント・イーストウッドに代表されるイタリア製西部劇は 米国では スパゲッティ・ウェスタンと呼ばれたのに対し,日本では マカロニ・ウェスタンと呼ばれたのです。

嫌いなものを挙げている中に,食事中のコーヒーやウィスキーがあります。
このことだけで,アメリカ人がヨーロッパ人に軽蔑されている,と書いています。
アメリカのホテルで(日本でも) 食事中に 「コーヒーはいかがでしょうか?」と言うウェイターに 私は常に 「食後にー」と言っていたのは この影響もあります。

「好きと嫌い」と 「ダンディズム」の章は 50年たっても 完璧に覚えており,すなわち,影響を受けているようです。

美味礼賛」の章,「食前の果物」に 『アヴォカード』 として 「アボカド」のことを書いています。
これが書かれた時代,まだ 「アボカド」という片仮名名詞は日本に存在してなかったのです。
すなわち 「『カジノ・ロワイヤル』 という小説のなかで,ジェイムズ・ボンド・ダブル・オウ・セヴンが美女と食事をする。その時,オードヴルに彼は 『鰐梨』を食べる,とある。」と書き,「この『鰐梨』 がフランス料理の典型的なオードヴルの一つ,英語では これを 『アヴォカード』と言って ・・・ 」 と詳述されているのです。
(*「鰐梨」は アボカドの英語の別名 ‘alligator pear’を直訳した和名。)
この出典は 『女たちよ!』 であり,1968年に,これを読んだ 大学1年の私は 見たこともない 『アヴォカード』 を その記述と挿絵から想像するしかありませんでした。
『アヴォカード』を 初めて見たのが,あるいは 食べたのがいつだったの記憶は全くありませんが,おそらく 30歳(1978年)を過ぎてからだと思います。
調べると,2005年における日本の「アボカド」輸入量は 28,150ton,それに対して,その25年前 1980年は 479ton しかなかったのです。1970年代に 「アボカド」を手にする,あるいは口にする可能性はほぼゼロだったと思います。

同じく 「美味礼賛」の章,「三ツ星のフランス料理」に 『ミシュラン』の話があります。
出典は『ヨーロッパ退屈日記』(第一刷:1965年)で,これには 「ダブル・オウ・セヴン,『ゴールド・フィンガー』の邦訳には,ミシュランが 『ミケリン』 となっていて ちょっとわびしい。」と書かれています。
55年前,日本では 「ミシュラン(の星)」が何かも分っていなかった時代,伊丹十三は フランスにあった 三つ星レストラン 9店のうち,敷居の高いパリの4店を避け,地方の5店のうちの3店を目指したのでした。

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ー と,出典の本を持ち出して確認しながら,四分の一までしか読んでないところで, 様々な記憶が甦ります。

限がないので この辺で ・・・ 。
次の 第三巻を待ちます。

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2019年2月22日 (金)

フィリップ・ロスが 去年(2018年)亡くなって - 。

フィリップ・ロス(‘Philip Roth’,1933年3月19日 ~ 2018年5月22日)が,去年亡くなりました。

1970年前後 学生だった私にとって,米国の作家で,‘ハードボイルド/サスペンス’と ‘SF’ 分野を除く 作家で 知っていたのは  J.D.サリンジャー(‘Jerome David Salinger’,1919年1月1日 ~ 2010年1月27日) と フィリップ・ロス でした。
2人とも ユダヤ系で,ジャンルとしては 青春小説でした。

フィリップ・ロスの代表作は 「さようならコロンバス」(‘Goodbye,Columbus’,1959),サリンジャーの代表作は 「ライ麦畑でつかまえて」(‘The Catcher in the Rye’, 1951)です。
「さようなら コロンバス」は 映画化され 1969年に日本で公開され,大学2年のとき観ました。

「ライ麦畑でつかまえて」は映画化されていませんが,関連する映画として 「ライ麦畑をさがして」(‘Chasing Holden’,2001)があり,関東在住時の2003年,都内,青山の名画座で観ましたが,詳しくは覚えていません。原題の中の ‘Holden’は 「ライ麦畑でつかまえて」の主人公です。

又,去年 映画 「ライ麦畑で出会ったら」(‘Coming Through the Rye’,2015)が日本で公開されたようですが 観ていません。
ただ この映画の原題 ‘Coming Through the Rye’は,2009年に 同じタイトル,但し,正確には 60 Years Later:Coming Through the Rye という,「ライ麦畑でつかまえて」 の続編と銘打った小説が出版されそうになり,「サリンジャー自身が 出版差止めを求め,作者と出版社をニューヨーク連邦地裁に提訴した。」という報道がありました。
サリンジャーは 翌年 逝去し,この小説がどうなったのか,又,映画との関係は不明です。

(小説にもどって) 「さようなら コロンバス」の原作は読んでいませんでした。

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「ライ麦畑でつかまえて」は 原文も翻訳も読んでいました。
いずれも 1970年版です。
原文は 49年前,苦労して読んだようで,そうとうくたびれた姿になっていました。

The Cacther in the Rye” の邦訳は 次の4種類あり,いずれも 邦題(訳題)が 異なっているのが面白いところです。

  • 危険な年齢』 (橋本福夫訳,ダヴィッド社,1952年)
  • ライ麦畑でつかまえて』 (野崎孝訳<,白水社,1964年)
  • ライ麦畑の捕手』 (繁尾久訳,英潮社版,1967年)
  • キャッチャー・イン・ザ・ライ』 (村上春樹訳,白水社,2003年)
  • もっとも耳に馴染むのは,私が読んだ 「ライ麦畑でつかまえて」です。
  • Dsc_1682_2今回,フィリップ・ロスに 弔意を込めて,「さようなら コロンバス」を読もうと 図書館から借りてきました。
  • あまり読む人はいないようで,書架には出ておらず,書庫から出してもらいました。
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    2019年2月19日 (火)

    ヴェルヌの 「地軸変更計画」 を初めて読んだ。

    小学生の頃,海外の小説家で知っている一人が 「ジュール・ヴェルヌ」でした。
    他は,コナン・ドイル,エドガー・ライス・バローズ,・・・ 。

    ヴェルヌの 「地底探検」,「十五少年漂流記」,「海底二万哩」などは 何回も読み返したものです。

    Dsc_1597ジュール・ヴェルヌ(1828~1905)が,1889年に発表した 「地軸変更計画」(創元SF文庫,2005,原題:‘Sans Dessus Dessous’,『上も下もなく』 or 『上もなく下もなく』)を 図書館で借りて,初めて読みました。

    日本語に初翻訳されたのは 1996年 「ジャストシステム」(出版社)による発行時で,子供の頃は読むことができなかった作品でした。今回,図書館で初めて知った作品です。

    この小説が書かれた時代 1889年,まだ北緯83度~84度付近までしか人類は到達できておらず,北極点(北緯90度)までの 6度,すなわち 1度を約110km とすると 北極点の周り 半径 660kmの範囲は 人類未到達で,土地(島)があるのか,海だけなのか解明できていませんでした。

    登場するのは,「月世界旅行」(‘De la Terre à la Lune’,直訳は『地球から月へ』 1865年,および Autour de la lune’,直訳は 『月を周って』 1870年)で 大砲が撃ちだす有人弾丸による月旅行を計画・実行し,月を周って地球に帰還するという芸当を成し遂げた,南北戦争後の大砲専門家が作る 「大砲クラブ」です。

    Dsc_1599時は 19世紀後半,話は,米国 バルティモアで開催された,あるかないか分らない,北緯84度より北の北極の土地の競売会から始まります。入札者は 個人ではなく 国の代表であり,米国の代表は 「北極実用化協会」で,この団体が 最終的に,英国代表との一騎打ちの結果,1平方マイル当たり,200セント,合計 80万ドル強で落札します。
    そして この協会を運営しているのは 「大砲クラブ」会長,インペイ・バービケインが社長の会社でした。

    このクラブこそ,20余年前 人間を乗せた弾丸を 長さ 200mを超える大砲で月に向かって撃ち出した(「月世界旅行」,1865 & 1870)連中だったのです。

    彼等の,この落札,北極圏領有の目的は 北極地域に大量に存在していると推定される石炭を手に入れて大儲けすることでした。

    しかし,北緯84度以北の極地に行くことは,この時代,ほぼ不可能であり,うまく到達できたとしても 石炭を採掘する作業は更に不可能と思われました。
    それ以前に,彼の地に土地(大陸)が存在していることすら不明だったのです。

    ここに,驚くべき計画がありました。バービケイン達の計画は,黄道面(地球の公転面)への垂直線から 23度28分(原文のまま)傾斜している地球の地軸(自転軸)を 黄道面に対して垂直に変え,現在の北極点を 北緯67度の温暖な気候地帯として採掘可能な地域とするという,地球上の四季を失くし,地球は勿論,他の地域住民の迷惑を顧みない我が儘なものでした。

    その手段として,赤道付近で地軸にほぼ平行に,すなわち地表の接戦方向に砲弾を撃ちだし,その反力による(地球中心回りの)モーメントで地軸を移動させるというもので,「大砲クラブ」の書記にして数学者,マストンの計算によれば 質量 18万トンの砲弾を撃ち出すことが必要でした。

    この情報が漏れると世界はパニックになりました。
    計画通りに行なわれ,成功したと仮定したした試算ではー
    「14億の人々を脅威にさらし,・・・ 地球規模の大惨事を引き起こす・・・」
    「海面変化 最大 8,000m による窒息死(高山化) あるいは 溺死」
    「新しい海の底に沈むのが,シベリアのサモイェード人やラップ人,フエゴ人,パタゴニア人,タタール人,中国人,日本人,アルゼンチン人だけなら,先進諸国はこの犠牲を受け入れただろうか?」

    *注:日本は 明治維新から 約20年,日露戦争勝利によって存在を世界に知らしめたのは この小説が発表された15年後の1904年であり,西欧諸国にとって日本は まだ とるに足らない後進国だった。

    この脅威の計画に対して 世界は これを中止させようと,実行場所を探しますが,見つかりません。米国は,計算し,実行場所を知っているマストンを拘留して 白状させようとしますが口を割りません。

    計画実行直前に,キリマンジャロ山脈の南,ワマサイ国 「ザンジバル駐在米国領事」から キリマンジャロの山麓で1年前から工事が行われているとの情報が入りますが,現地に分け入り,計画を阻止するには 時すでに遅く,計画は実行されます。

    実行仕様はー 砲身として キリマンジャロ山塊に水平に開けられたトンネル,すなわち爆薬抗: 直径27m,長さ 600m 内壁は鋳鋼製のパイプで装甲,砲弾は1,000トン弾を180個合体した砲弾長 105m,質量 18万トン,新型火薬 2,000トン でした。

    そして,誰にも邪魔されることなく,確かに発射しましたが,地球のどこにも 何の変化もなく,計画は失敗しました。

    しばらくして,この計画に関心を持ち,実行前に計画データを入手していた,フランスの数学者 ピエルドゥーが,フランスの新聞に計画のミスに関する記事を書きました。

    これによれば,ミスしたのは計算の基礎データ,地球の周囲 4万km を 4万m としていたことで,この 3桁の間違いが 最終的に12桁のミスとなり,計画(地軸23度28分移動)を成功させるためには 18万トン砲弾を 1兆発,同時 発射する必要がありました。
    このミスは マストンが計算を黒板に書き始めてすぐに,何度かの電話があって,慌てて何枚か継いだ黒板を倒して,その際,“0” が 3個 消えてしまったことが原因でした。

    終りにー 「地球の運動の条件を変えることは,人類に許される範囲を超えた行為なのだ。人間は,創造主が宇宙の仕組みの中に打ちたてた秩序を,何一つ変えることはできないのだから。」とありました。

    この小説は,いくつかの点で,それまでのヴェルヌの作品との違和感があって,彼に 「本当に あなたが書いたのか?」という質問状が寄せられたそうです。

    この「地球を動かす」というテーマで思い出すのは 中学生のとき観た,東宝映画 「妖星ゴラス」(1962年)です。これは 地軸の傾斜を変えるより 更に過激です。

    このケースは,地球に衝突するコースを進む,推定質量:地球の6,000倍の妖星(=凶事の前兆と信じられる不吉な彗星)との衝突から 地球を守るため,南極大陸に,地球の外に向けて噴射する巨大なロケット推進装置を建設して(一基ではなく 数十基),地球をロケットとして移動させ,公転軌道を変えるー という話です。東宝の特撮映画には 欠かせない,巨大な「せいうち」のような古代モンスターが建設途中で覚醒して 大暴れするというシーンもありました。

    その結果,成功したのかどうか,どのような気候等の影響があったのか等についての記憶はありません。
    が,「巨大大砲を撃って 地軸を変える」から 73年経って 「地球をロケットとして公転軌道を変える」 では 時代は変わっても内容レベルは大して変わってないようです。

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