朝日新聞 8月11日の「天声人語」に 『キセル』 について書いていました。
(一部転載)「・・・ ▼今年の夏,九州の玄関口でキセルが問題になっている。JR小倉駅の券売機では,隣駅までの大人用170円券が1日300枚売れる。しかし実際に一駅で降りるのは30人。じつに9割が,不正に乗っている可能性があるというから驚く▼改札から駅員が消え,車掌のいない列車は増えた。無人駅は全体の半数に迫る。JR各社の止まらぬ合理化が,乗客との心のすきまを広げてはいなかったか。小倉駅はこのきっぷの販売を一時,対面に限った▼ ・・・ 明日の汽笛が,キミに聞こえるだろうか。」
まるで 「合理化が『キセル』を助長している」かのような 文意と受け取れました。しかし,すんなりとは受け入れられません。
ここで 注意が必要なのは,「9割」は 一駅切符を買った人の 9割であって,無人駅で降車している人の9割ではないし,勿論,世の中の9割の人が環境が許せば「キセル」をするという意味ではありません。
大多数の人が降車駅が無人駅であっても 正しい切符で乗車しているー と思いたい。(何%が 無人駅でキセルをやっているかは不明です。)
ここで 思い出すのは 約25年前の現役,関東勤務時代のことです。
当時,JRのIC定期券は 乗車のデータが記録されませんでした。
部内の飲み会を銀座で終えた帰り,有楽町駅の券売機前で 女性部員に「小銭を貸して」と頼まれ 「いくら?」と訊くと 「一駅分」。
「それでは 定期券有効範囲に届かないので『キセル』になるだろう。」と言うと,「JRが それを許すシステムにしているから 利用するのは当然。JRが悪い。」と返されました。部内の人間に 「キセル」をやっていることを知られてもなんとも思わない-という感覚と罪の意識の無さに ややショックを受けました。私とは人間の種類が違うと思い,私は 彼女の親でも教師でもないので 何も言いませんでした。
JRに間接的責任があるとしても 不正行為の直接責任は行為者自身です。
世の中には 「見つからなければ(捕まらなければ)」不正(罪)を犯すことを辞さず,さらに後ろめたさを感じない人間が 何%か存在することは確かなようです。
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